海部川の人気に隠れてまったく目立たない伊勢田川。でもしっかりと地元の人は楽しんでいましたよ。伊勢田川の夏絵日記です。
伊勢田川の夏 絵日記
伊勢田川
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河口まではあと200メートルぐらい。引き潮なのか水は澄んでいる。撒き餌をして小魚を釣り上げていく地元の釣り人。いったい何の魚なのか?
この辺りも潮入川。コイが何尾か泳いでいる。赤い鳥居は高潮の犠牲者を鎮魂するための神社か?
家の裏から歩いてきた子ども。でも親も同伴だった。もちろん地元人。
ご覧の通り浅く小さな川なので親は安心して遊べるわけ。少し向こうには日よけとなる大樹があってなかなかいい感じ。


 さて、約束通りやってきました。伊勢田川。ときは2001年7月1日。下見のときに「いい川だな」と思ってその期待を胸に午後1時に自宅を出て約1時間20分後に到着。

 小さな川なので河口からあっという間に河原がなくなって浅い中流域となり、樹木の間や田んぼの間を流れてヤレヤレ峠にたどり着くはずです。

 左上の写真は浅川の浜辺から約500メートルぐらいの場所。潮入川(専門用語では河川感潮域という)ですが、引き潮時に水が澄んでいます。おそらく今はそうでしょう。地元のおじさんが、撒き餌をしながら小魚を浅瀬で釣っています。水深50センチぐらいで魚が食いつくのが見えるような釣り。いったい何を釣っているのか。海の魚なのか川の魚なのか?

 海南町浅川の集落は、昭和21年の南海大地震で大きな津波の被害を受けたところ。たまたま俳優の森繁久弥さんが疎開していたときに被災したらしい。幸いにも森繁さんは無事だったのだけれど、かなりの地元の人たちが亡くなっている。
 なぜ浅川だけがこのような大惨事に? 浅川湾は、奥へ行くほど狭くなる地形でそれが津波を増長させたらしい。その鎮魂のためなのか赤い鳥居の神社があり、川沿いの高台には祠が祀ってあった。

 鳥居の向こうで伊勢田川は左に屈曲していてそこに潮止め堰がある。その堰で子どもがたくさん水遊びをしていた。もちろん町外の人はいない。ここは地元専用の川。だってぼくみたいな海部フリークさえ始めた立ち寄ったのだから。

 さらに少し上流でまたまた子どもが泳いでいる。近所から歩いて通ってきた風情。親も遊んでいる。

 この辺りの川沿いに印象的な大樹がある。「この木なんの木♪」に似ている。遠くから「あっ」と思わせる印象的なたたずまい。その下の芝生のような草地は刈り込まれていてちょっと涼んだりバーベキューをしたりできそうな感じ。

 とにかく水深が浅い。瀬は子どもが歩いて渡れるし、浅瀬が多い。言い換えれば川底をかき回されたかな?という感じ。
 
 コンクリート張りのところがある反面、蛇篭による近自然河川工法風のところがあり、そこに竹林や樹木のトンネルに囲われた天然河川の区間が点在するという風景が続く。21世紀の日本の小さな川は切り売りしなければ絵にならないのは寂しい。

伊勢田川の夏絵日記 その2
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