仁淀川紀行 その二 |
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仁淀川紀行その二 なぜ、川は水が流れるのだろう。水の流れはやむことを知らない。 けれど、川はときどき姿を変える。北岸を流れていた澪筋が大胆にも南岸へ移ることもある。 ![]() 川は空を映す。水の色が冴えないとしたら空がどんよりとしているから。 それを見る人の心が淀んでいるから。 川を見つめるあなたが持ちこんだ思いを川は受け止め、あなたに返すだけ。
仁淀川をもっと知りたくなって、数十年ぶりに源流の面河渓谷をめざした。 土砂降りを夜通し走って辿り着いた静かな中流のキャンプ地で仮眠した。 夜のとばりが消えた気配を感じて目が醒めた。雨は小雨になったようだ。 ここはどんなところだろうと辺りを見渡せば、 谷間を蛇行する仁淀川と雨に打たれてしっとりと五色の宴を繰り広げる河原の石ころ、 振り返れば、めざめたばかりの集落の営み。 川霧に包まれて朝が動き始める。めざめた植物が宿した滴の重さは何グラムだろう。
今回は寄り道をしないで仁淀川の源流、面河渓谷をめざした。 辿り着いた面河渓は深い碧。黄色い岩盤との相互作用でこの色が生まれるのだろう。 ![]() 川の源流はそれぞれ水の色が違う。かつて吉野川の源流へ行ったときのこと。 水の透明度に驚いた。数え切れない源流のなかで吉野川は言葉を失う色だった。 不純物などこの世に存在しないとでも言いたげな、山から抽出されて岩のカクテルをすべる水。 しかし山の宝石の滴はわずか数キロメートル流れて灰色の水たまりに飲み込まれてしまう。 無垢の赤子が大海を知らずに人生を終える残酷さ。 川はいのちである。 ゆえに、ダムは山中に突然現れた水の墓場。 吉野川の上流にダムがなければ四国の人々の誇りが失われなかったのではないか。 ![]() 全国一の水質と喧伝される仁淀川ですら、 上流部はダム「群」で寸断された細い流れが何かを訴える。 水の循環、物質の循環を天から与えられた使命とばかりに いきり立つ水のきらめきはどこかへ消えて、ただ淀むだけ。 ダムの功罪というけれど、 ぼくにはダムの利点は見出せない (科学や生態系への理解が進んだ21世紀にまだダムがつくられようとするなんて。技術者はそう遠くない未来に必ず訪れる老朽化したダムの始末に頭を抱えるだろう)。 あの福島の事故を起こした原子力発電所がまだ必要と叫ぶ人もいる。 経済人はもっと正直になったほうがいい。 経常利益ばかりではなく、もっと夢を追いかけたほうがいい。 「みんな違って、みんないい」という言葉はいまの日本人への贈り物かもしれない。 けれど、仁淀川は人間の過ちを受け止めながらもひたひたと蘇ろうとする。 清冽な支流の水を集めながら中流域で俄然息を吹き返す。 ダムの負荷を水底に感じられないわけではない。 しかし、水は人間のさまざまな思いを受け容れて淡々と流れる。 ![]() そんな川の思いを綴った音楽が、 NHKのドキュメンタリー番組で使われた高木正勝の「niyodo ヒトも含め生き物たちの思いを受け止めて濁ることのない大河のたゆたいを 人と器楽の素朴な音で編み上げたもの。 その音楽が映し出す精神の広がりは純粋無垢でいて、 清濁併せ呑む雰囲気を持った音楽。作曲者の感性は仁淀川と一体化しているようだ。
現時点ではMP3音源のダウンロード販売しかなく、私はアマゾンで購入した。 それを奈良県のベンチャー起業がつくりだした奇跡のパソコン用スピーカー 「TIMEDOMAIN light これで十分だ。 人間に寄り添いつつ実在感のある音を響かせる。 できれば、圧縮しない音源からオーディオ装置で聴いてみたい気もする。 ![]() 実は中流があまりに魅力的で今回はとうとう面河渓にはたどりつけなかった。 仁淀川は四国の可能性を見せてくれる。 人々が水の生命をもっと身近に感じてくれたらいいなと思う。 空と海>>四国の川と生きる>>仁淀川紀行>> 仁淀川紀行その2>>面河渓紀行 >>支流の上八川川 |
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