ひょうたんのような流れ〜仁淀川(9.21テキスト増補、写真追加)
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仁淀川はゆったりとただずむ。瀞場が長い区間続いたあと、次の瀞場に水量を受け渡すかのように、短いつなぎの瀬があり、再び長い瀞場が続く。それは音楽のようにたゆたう。カヌーで行けば、ゆったりと静かに漕いだり手を休めたり。ときおり遭遇する瀬を楽しんだり。写真は、本流の伊野町近の河原。 仁淀川の由来はいくつかあるが、このように流れが遅く川が淀んでいる様子に由来することは想像できる。蛇行しながら流れる川をまたぐ沈下橋。山が川岸まで迫り、山肌を洗う中流域。これを部分的に切り取ると四万十川そっくり。まさに大河の風貌を持つ。写真は、伊野町の名越屋の沈下橋。 全国的な知名度の四万十川よりも人は少なくゆったりと楽しめるため、仁淀川が好きな人は多い。ぼくもその一人だ。 仁淀川…西日本最高峰の石鎚山に源を発し、面河渓谷を経て170本の支流を集め、流域10万6千人(流域面積1,560平方キーメートル)を潤し、土佐湾に注ぐ124キロメートルの四国4番目の大河。 わさび田のある安居川、南から注ぐ長者川、写真立村で映画「絵のなかのぼくの村」の吾北村を流れる上八川川などの支流も追ってみたい。ゆったり流れる中流から下流にかけては、和紙の里、伊野町や土佐市がある。暴れ川であった仁淀川を治めるべく、江戸時代には野中兼山による治水や利水施設が築かれ、その遺構が下流に点在する。時間をかけて仁淀川と付き合ってみよう。 吾北村と上八川川 仁淀川最大の支流にして、映画「絵の中のぼくの村」のロケ地として有名になった吾北村を流れる上八川川は、町のまんなかの広瀬で、東からの上八川川と西からの小川川が合流する。この合流点には広瀬のキャンプ場がある。こじんまりとしており、トイレと炊事場を備えている。当初はここでキャンプする予定だったが、三叉路が近くを横切り、人や車の往来が多いうえ、河原が狭く広々とした開放感がない。 村内をざっと走ってみたところ、広瀬から小川川をたどるとすぐに瀬越橋がある。この瀬越橋のすぐ下流に吊り橋があり、田んぼの小径からこの橋へと道が続き、さらに河原へ降りられるようになっている。ここは小さいけれど静かで絶好のキャンプ地だ。すでに地元の人たちが来ていた。だから上八川川をいったん下って仁淀川の本流でキャンプ地を探すことにした。 地図 → 合流点周辺 瀬越橋からの上流の眺め。川底は澄んでいる。水深2メートルぐらいと思うけれど、手が届くような雰囲気(写真左)。一方橋から下流には吊り橋があり、夏には子どもたちで賑わうような場所だ(写真右)。田んぼと吊り橋と瀬と淵。南四国の典型的な風景ではないだろうか。 それにしても、川というあとにさらに川が付く川名が多い。例えば、上八川川の支流で吾北村の象徴となっている程野滝から流れ出す川は枝川川。 楽しめる越知町〜上八川川合流点 仁淀川中流域で国道が川から離れる区間である。中流といいながらも平野はなく、山沿いを蛇行しながらゆったり流れる。水が当たる場所は崖となり、その反対側に広大な砂地〜頭石大の広い広い河原をつくる。静かな仁淀川を楽しめるおすすめの場所である。 夏場ともなると、下流は相当水遊びで混み合う。また連休中は四万十川の混雑はひどいが、ここは比べればまだ空いている。簡単なトイレと水場がある無料のキャンプ地もいくつか点在する。 地図 → 仁淀川中流域 → 片岡の沈下橋周辺 仁淀川の水質は四万十川よりもいいと言われる。BOD(生物化学的酸素要求量)という指標でいえば(目で見た限りでは中流では)1ppm台だろう。ここ数年の仁淀川の水質について測定した推移データを高知県に求めてみようと思う。 これらの河川水質指標はある程度は参考になるが、実際に訪れてみないとわからない。人の感覚は、測定器以上に微妙な差を見分けられる。 2002年9月上旬には、四国を次々と間接的に襲った台風のため、四国山地は記録的な降水に見舞われた。それから約10日以上経過した9月中旬に現地を訪れてみた。川の規模、流域の林相、降雨量にもよるが、経験的に言ってダムのない小さな川では洪水後1週間後ぐらいから、大きな川でも10日〜2週間を経た頃が洪水による大掃除が終わって水位が安定した頃であり、ある意味では川の状態がもっとも良い頃だ。伊野I.Cが開通したことで徳島から2時間少々で行けるようになった。 場所は、片岡の沈下橋。上八川川(かみやかわがわ)の合流点から国道を離れて狭い道を4〜5キロ上流へ進んだ場所にある。9月の連休なのに誰もいない。ここにテントを張った。 夜にはフクロウが鳴いていた。対岸の山とこちらの山側に一羽ずついるみたいだ。エンマコオロギにまじってスズムシ、ツクワムシの鳴き声も聞こえる。 それから数時間。夜明けとともに鳥のさえずりが始まる。まずはコジュケイ。キジの小型のような鳥で道路を歩いて渡る親子連れをこのあと見た。それからモズ、アオゲラを耳にする。 午前6時前。山に遮られて太陽はまだこの谷間に姿を現さない。川にはうっすらと靄(もや)がかかり、片岡の沈下橋が浮かび上がる。その向こうで、夫婦2人が川船で投網を打っていた。夕べにたいまつを付けて蛇行しながら走っていた船かもしれない。火振り漁にしては1艘だけである。けれど魚を追い込むのが目的であることは間違いない。 四万十川を凌ぐ清流とはいえ、仁淀川には大渡ダムをはじめ、いくつかのダムが本流、支流にある。それらの影響は避けられない。 見た目は美しい水であるが、川底に潜ってみると、9月にしては水温は低め。川底には細かいシルトが堆積している感じで「ああ、やっぱり」という感じ。長年仁淀川を生活の場として接してきた川漁師や鮎釣り師たちはダムの負荷を見抜いているはずだ。 とはいえ、蛇行する広い河原と山域が迫る仁淀川の水辺にいると心がなんにも考えなくなる。もしダムがなければ、仁淀川、那賀川、吉野川などは間違いなく全国一の大河であっただろう。 支流の上八川川に入ってみた。川に沿って2車線の道路が走り、ねこの額ほどの平坦な地に集落が点在する。吾北村役場周辺ではコンクリート護岸され、ところどころ水が濁っている。この水の濁りは、いくつかある放水路の吐き出し口からであることがわかる。放水路とは水位差を利用した位置エネルギーで発電するために、ダムのある高い場所から低い場所へと導水管を引いたもの。 ところがしばらく行くと濁りが沈殿するのか澄んだ水になる。これは不思議だ。濁りのない区間では、地元の人が投網をし、ステテコのポケットに取れた魚を押し込んでいた。夏に持って帰る魚といえば、アユだろう。 上八川川と小川川との合流点(国道194号と439号の分岐でもある)では、シャクリをしていた。シャクリとは、腰ぐらいまでの流れのある瀬や淵に立ち、箱メガネを覗きながら、オモリとかけバリの付いた釣り竿を操って魚をかけるもの。夏とはいえ、長時間は冷たいのでウェットスーツを着ている人もいるが、仕事着そのままで川に入る人もいる。 この漁法では、少なくとも10メートル向こうの水中にいる魚種が見分けられなければ釣れないと思う。濁った川では成立しない漁法だ。 小さな川なので、生活雑排水の負荷は少し感じられるが、都会から見た人にはコバルトグリーンの信じられない透明度の水という印象になるだろう。 問題はこの濁った水を湛えたダムがどこのダムなのかだ。上八川川水系にはダムがないので、山ひとつ越えた吉野川水系大森川ダムまたは本流長沢ダムからの導水ではないかと見当を付ける。念のため吾北村役場に立ち寄ってみた。日曜日なので当直の若い職員に尋ねる。 「水がところどころ濁っていますが、ダムの影響ですね」 「ダムは放流しているとは聞いておりません。国体の準備のための工事でしょう」 自分の目で確かめるべく、吾北村から北へ山域を越えて吉野川源流に位置する本川村に入った。吾北村からはクルマで1時間もかからない。 → 吉野川源流へ ▲戻る |
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