現代のひょっこりひょうたん島
石垣島で暮らしていたらどんなふうに一日が過ぎていくのだろう。ただひとつ言えることは、未知の世界を求める気持ちが強い一時期は島を出て行くのが自然だということ、そして島を離れて気付く故郷。

それを大島保克がアルバム「島時間」の「生まり島離り」で切々とうたっている。ここでの彼の唄は情感にあふれて聞くほうがつらくなるほどだ。同じことがビギンにも言える。ビギンのファーストアルバム「音楽旅団」には、なつかしさと憧れが泡盛の新酒のように生々しく初々しく伝わってくる(すべてを聞いたわけではないがビギンのなかではこれが一番好きだ)。

そんな大島も新良幸人もときどきは白保に帰って深呼吸をし、またそれぞれの街へと戻っていくのだろう。もしかして、ひょっこりひょうたん島は、石垣島がモデルではないのか。

八重山へ行くといったら、知人が「沖縄は食べものが悪いので行かない」と強調していた(この人たちはどんな先入観を持っているのだろう?)。実際に沖縄へ行って何を食べたのか聞きたいぐらいだ。素材の良さを活かそうとする八重山の郷土料理を食べてしまえば、本土の味付けの濃い料理や気取った懐石などは食べる気がしない。残念なのは、沖縄の若い人は、逆に食生活の本土化(またはアメリカ化)が進んでいるとか。地元文化をありがたがる観光客も存在意義があるわけだ。

今回の旅でぼくが生まれて初めて食べたものは、八重山そば(やいますば)、ゴーヤチャンプルー、アサヒ食堂のトンカツ定食、石垣牛の焼き肉(金城)、石垣島牛乳、サーターアンダギー、さんぴん茶、うっちん茶、八重泉(ストレート、水割り、うっちん茶割り、さんぴん茶割り)、紅イモアイス、グルクンの唐揚げ、島らっきょう、アイゴの姿焼き、アーサー汁、ナーベラー汁、パパイヤの煮付け、ジーマミ豆腐、モズク汁。どれをとっても健康的な島の食べものばかり。太陽を受けてのびのびと育った素材を簡素な味付けで出す。これ以上の食事があるのだろうか。

ぼくのなかで酒の順位を付ければ、泡盛、純米酒、芋焼酎がベスト3。ワインやウィスキーには冷淡だ。 泡盛をつい数年前まで知らなかったことを後悔するほどだ。口当たりがよく、ほのかに甘く、しかも悪酔いしない。戦後の一時期、泡盛が沖縄県人に見向きもされなくなったらしいが、地元の宝を知らないのは地元というのはどこでもそう。やがて一握りの地元の人が泡盛の価値を見出して再創造していった。

徳島でも手に入る「残波」(白)や久米島の久米仙「び」から入ったが、いまは瑞泉の「うさき」が気に入っている。この酒はこの世のものとは思えないほど切ない。体調がいいときにそのままでからだに吸い込まれていく。もっともぼくは酒飲みではない。小さなコップに1/3も飲めばそれで満足する。うまい酒を時間をかけていい音楽を聞きながら少しずつ飲む。アルコールに酔うのではなく音楽に酔いたい。

石垣島地ビールは地ビールのなかでも出色の出来だ。泡盛以上に収穫があったとさえ思う。このゆったりとした時間を閉じこめ、ていねいにつくられているからだろう。オリオンビールはどこにでもあるけれど、石垣島地ビールを逃すことはできない。

石垣島には、ゆったりとした時間がある。そのなかで、地元と観光客が入り交じり、さらに利便と自然がせめぎあう。現代のひょっこりひょうたん島。川人間のぼくは、いい川さえあれば、住みたいのだけれど。


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