八重山エコツーリズムは未来を切り開く? |
八重山といえばエコツアー。とりわけ西表島はエコツーリズムの先進地といわれる。エコツアーとは生態系を影響を与えることなく自然を体感する遊び(=学び)と思っている。けれどエコツアーガイドを依頼しなかったのは、ひとりの時間が欲しかったこと、質の高いガイドが少ないのではと思ったからだ。 (満潮のマングローブ 西表島) それを裏付けるできごとがあった。西表で他のグループをピナイサーラの滝へ案内したガイドが近くにいた。彼は、受けねらいのトークと馴れ馴れしい独演会のようなしゃべりが延々と続く。そのなかで生態系クイズを出題する。一般の人たちにとって「教えられること」がおもしろくないからことに配慮したものだろう。しかし鳥の名前や魚の名前を連発されても楽しくない。アウトドアの楽しさ+生態系の知識を売るだけで充分ではないかとの声もあるが、果たしてそうだろうか。 エコツアーは、自然だけが主人公ではなく、そこでめぐりあう人、その風土のなかに溶け込んだ人たちとの心のやりとりが必要だ。エコツアーガイドは、博学で冷静な判断力が必要なのは言うまでもないが、人の心を察する感応力がもっとも大切ではないだろうか。またガイド自身が静かなマングローブの河畔の騒音になっていることに気付いて欲しい。体育会系のノリでエコを押しつけられたらたまらない。 (サキシマスオウの樹は印象的だ) そんななかで、石垣島のエコツアー「ふくみみ」には注目している。川平湾のような観光客は例外にしても、大多数の人たちは自然がそこにあるだけではなにも感じられない(きれいな水…で終わってしまう)。無理にわかる必要も感じる必要もないけれど、そこに誰かがいて生態系の連鎖や人との関わりについてそれとなく気付かせてくれたら興味は広がるだろう。ふくみみは、そんな「つながり」を大切にしたエコツアーをめざしているのだはないだろうか。 (石垣島御神崎は、スクーバのポイントにもなっている) ぼくがスクーバや道具を付けたシュノーケリングをやらないのは、生身の人間だけで自然と向かい合いたいから。干潮のときに珊瑚礁やマングローブの干潟を歩くと影響を与えることもあるなど注意すべき点は多い。現在は試行錯誤であったり単なる金儲けの手段で終わっている感があるエコツアーのあるべき姿を極めることが、八重山の新たな一頁を開くことは間違いない。 さらにいえば、「観光客にお金を落としてもらう」という発想ではなく(結果として収益につながることは肯定したい)、「自分たちが楽しい」「住んでよかった」と思える地域にすること。エコツーリズムはそのための手法と位置づけることが不可欠だろう。 (西表島 ヒナイ川でカヌーを漕ぐ観光客) 八重山の歴史的な背景を知らずとも観光客として旅はできる。しかしそれを知ったうえで接すると、ちょっとした日常のなかに意味を見出すことができる。前述の「ですね」「しましょうね」も、八重山の共同体や風土のなかから必然的に生まれた言葉のように思える。それを発している人たちの気持ちに思いをめぐらしてみたい。 しかし過去は過去。歴史を引きずることなくそれを乗り越えていかなければならない。八重山〜沖縄に宿る精神は、生態系や国際協調が重視される時代にあってそのやさしさは多くの国が学ぶべきだろうと思う。イラク人質事件(2004年4月)における日本政府の対応はおかしい。真実を伝えることに命をかけて実行しようとした人たちに対して、「自己責任」で片づけるのなら、財政破たんや環境破壊、産業振興策の失敗など、政治と行政に携わる人たちは国民にどう説明し謝罪するのか? 破たんした大手企業の再生に巨額の税金を投入することはあっても、志を持って行動した人たちを救うわずかばかりのお金は本人に弁済させる。そんな政治家を選ぶ国民にも落ち度がある。もっと政治や行政に参加していかなければならない。自分たちの暮らし(生き方)は自分たちで創る、それが真の意味での自己責任ではないのだろうか。 今回の旅で接した八重山の人たちにはさまざまなことを教わった。西表のリゾート開発や赤土の流出、石垣新空港の問題など、地域の人たちが何を選択し何を残すかが問われている。八重山に限らないが、公共工事依存では豊かな未来はありえない。中山間地域では、タコが自分の足を食べるような公共事業を行い、それが当たり前のようになった村が衰退しているところを目の当たりにしてきた。 理想論では食えないというが、それはむしろ逆。夢を持ってそれを実現することがもっとも現実的ではないかと思える。独自の土俵を持ち、誇りと熱意を持ってそれを伝えるとき、それに共感する人たちがきっと現れる。それが商売の原点であり生きることである。やりたいことをやれない人生なんて意味がないように、中央に従属する沖縄なんて存在価値がない。八重山の人たちには意地と誇りがある。あるべき姿を模索しながら自分たちが生きる道は自分たちで創造していく。そこに八重山の未来がある。 △戻る |
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