日和佐川に集う人々〜幻のくじら岩を探して
幻のくじら岩を探して

日和佐町には創作活動をする人が住み着いている。絵本作家の梅田俊作さん、ほたる村を主宰するカッパのげんさんこと山内満豊さん。ほかにも陶芸家がいらっしゃる。

日和佐川については、梅田俊作さんが素敵な本を書いている。「山里ノスタルジー」というその本には四国の嬉夜野村という架空の村が描かれているが、これはもちろん日和佐のこと。そこを流れる日和川(これは日和佐川のこと)での胸躍る遊びとそこに生きる人間模様を綴っている。いい本だが、残念ながら絶版である。図書館では見つかるかもしれない。
→梅田俊作さんの絵本のリスト

梅田さんは、日和佐川でもっともよい場所として、クジラ岩を挙げている(以下、山里ノスタルジーの一節から部分引用)。

「…カッコーの鳴く杉のトンネルを通りぬけ、棚田の石垣が美しい村落の前を下り、沈下橋を見て、崖のはるか下を流れる渓流のせせらぎを聞きながら行くと、やがて日和川八景(と私だけが勝手に名付けた)の一つ、クジラ岩です。渓流をせき止めるように巨大な岩があって、そこを蛇行した流れは深い淵をなし、瀬をつくり、急流となり、大小様々な岩を配した広い河原や隠れ滝まであるという変化に富んだ絶好の遊び場なうえに、森の陰にひっそりとあるので道からは見えないという、私のお気に入りの場所なのでした…。」

この一節を手がかりに「くじら岩」を探してみることにした。もちろんこれは嬉夜野村の日和川のことだから実際には「くじら岩」という地名は日和佐にはない。

くじら岩を求めて初秋の一日。梅田さんの自宅前を通過する。実は梅田さんの家の前にはけっこういい淵があり、道路から田んぼ一枚隔てている静かな場所であるが、自転車で上流に行くのだからここではない。

養殖場を過ぎ、山河内谷川との合流点を大越方面(本流)へと右折。しばらく行くと道から田んぼを隔てた河原がある。小さな中州で川が二手に分かれ、そして山裾の岩に当たって淵をつくっている。流れはそこで急角度で右に曲げられるが、淵は流心の左側にプール状に展開する。ここは夏に子どもがよく遊んでいる。確かに瀬と淵が組み合わされて趣がある。飛び込むような岩もあるが、高さと迫力に欠ける。どちらかといえば牧歌的な風景だ。日和佐川八景の一つには入れたいけれど「くじら岩」でなさそう。もう少し上流へ行ってみよう。

西山の集落を過ぎて橋を渡ると左岸になる。しばらく進むと川へ降りていく細い道がある。車は広い上の道において歩いていくと、民家に続く橋がある。この橋は厳密には沈下橋(徳島では潜水橋のほうが一般的)ではないが、ほかの橋に比べれば水面に近い。梅田さんはこの橋をそう呼んでいるのかもしれない。

橋の下には大きな淵が展開しており、夏には地元の人たちがバーベキューをやっている。ここがそうかと思ったが、どうも雰囲気がしっくり来ない。いい場所だがさらに上流をめざす。

日和佐川は西山から大越までが渓谷の様子を帯びてくるが、大越を過ぎると田園を流れるのどかな小川に姿を変え、水量も少なくなる。さらに上流は山を下る沢となる。従って大越までが描写の上限となる。春田さんのログハウスを過ぎると道は細くなる。

しばらく行ったところでたくさん車が止まっていた。渓流釣り師かと思ったが、この川には放流アメゴがいないため魚陰はそれほど濃くない。釣り上げられてしまってほとんどいないのではないか。もちろんアユ釣りの場所でもない。

そのとき車の陰から女の子が出てきた。なるほど、この下の河原で何かやってるなとわかった。車を止めて覗き込むと、地元の数家族がバーベキューをやっている。道から10数メートル降りると渓谷状の地形のなかでそこだけ河原となっている。そしてその少し上流には大きな淵がある。それも両岸の大きな岩の狭窄地形に閉じこめられて川底をえぐったような大きく長い淵。平均の水深は3メートル、深いところでは5メートルぐらいだろうか。ぼくは気付いた。ここが梅田さんのいう「くじら岩」ではないかと。しかしここはクジラ岩ではなかった。それではクジラ岩はどこに?

[くじら岩のイメージ](左上がくじら岩)

 
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