日和佐川に集う人々〜げんさんのほたる村
げんさんのほたる村

山内満豊さんがなぜカッパのげんさんと呼ばれているかといえば、空き缶やゴミを拾うため黒のウエットスーツで川に潜る姿がかっぱに似ていたこと。そして友人の絵本作家、梅田俊作氏の絵本の主人公げんさんが仕事もせずに毎日ブラブラ、太鼓たたいておにぎりをもらって生きるところがそっくりだと、子どもたちが呼び始めたのだとか。

この二人と、カヌーイストの野田知佑さんを引き合わせたのは日和佐に住んでいたことがある元の木頭村長の藤田恵さんである。藤田さんは木頭村長時代に那賀川の細川内ダム建設の反対運動の先頭に立って活動してきた。その藤田さんが社長となってダムに頼らないむらづくりをめざした第三セクターが(株)きとうむら。現在では村民に株のほとんどを譲渡した村民セクターとして順調に推移している。木頭村のみなさんがつくった製品はここで買える。→ きとうむらオンライン

げんさんのほたる村は、国道のトンネルを越えてすぐに左折する。山河内の駅から歩いて行くこともできる。日和佐川中流から支流の山河内谷川を遡れば国道に戻るという不思議な地形だ。上流へ行くほど海に近づく川なのである。

日和佐川の大きな支流は2つある。ひとつは御世山に端を発し北河内の集落を流れて河口近くで合流する北河内谷川。この川の源流には赤滝と黒滝があり、さらに悲劇の伝説を持つ御世山がある。田んぼを縫って流れるこの川は水量が比較的多く上流まで川らしい。

もう一つが南阿波サンラインの北斜面から流れ出て白沢の集落を流れて中流で合流する山河内谷川である。その山河内谷川の支流が白沢川。げんさんや野田さんの家の前を流れる小川である。小さな支流だがそれなりに雰囲気はある。

白沢川は山から降りてきた沢が田んぼの間を用水のように縫って流れている。ところどころに落差があり、樹木や草が繁茂していて川は一種のトンネル状になっている。川幅はせいぜい1〜2メートル、水深は数十センチといったところ。だから釣り用の長靴で川のなかを歩いていける。アメゴがいるような川ではないが、モツゴやハエ、エビはいそうだ。もちろんホタルもいる。

げんさんのほたる村をさらに上流へ向かうとそのまま南阿波サンラインへ歩いて山越えの道と、南阿波サンラインの標高400メートル級の山頂をめざす登山道に分かれる。どちらも「四国の道」(遊歩道)であり、麓までは車が入る。白沢川の右の支流へと入っていく。

登山口にある最後の民家から沢沿いに杉林を抜ける。間伐の手入れは行き届いている。2/3ぐらい行くと照葉樹の林に変わり、登り始めて1時間弱で分水嶺の峠にさしかかる。そのまま降りれば南阿波サンラインの明丸と水落の中間ぐらいの場所に降りていくようだ。


さて日和佐川に話を戻そう。ここには天然のアメゴがいた。日和佐川には内水面漁協がないからアユやアメゴは放流しない。いれば天然である。ところが日和佐川のアメゴは釣られてしまったのか、何度釣りに行ってもかかった試しはない。夏に潜ってみたがやはりアメゴの魚影は見ない。人の気配で大物は岩の奥へ隠れて数日出てこないが、小さいのは魚生経験が浅いせいか、平気で出てくる。しかしその小さなのさえいなかった。

日和佐川がもっとも美しいのは、中流から下流にかけて田園地帯を流れるときだ。身近な里の暮らしに溶け込むように蛇行しながらゆるやかに流れる。子どもの姿は一日中絶えることはない。
 
川底をみればダムのない川であることがすぐにわかる。大水が出ていないため、茶色をしているが、流域人口が少ないため、生活排水の負荷はそれほどない。むしろ田園地帯のなかを流れるだけに農薬の影響が心配である。
 
大野見町を流れる四万十川上流もそうであるが、田んぼのなかの小川となる。里山の暮らしと川が密接に結びついた南四国らしい川である。海部川と比べると、野趣と水量で負けるが、取水堰がほとんどないため、親水性は高く子どものよき遊び相手となってくれる。まさにカワガキの川である。子ども、特に小学校高学年から中学生が遊ぶのにちょうどいい大きさだ。

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