四国(東南部)の川に思いを寄せて
1. つながる根っこ

「四国の川と生きる」といいながら、ほとんどが四国東南部の川ではないかとご批判がありそうです。ぼくにとって身近な川から始めてみたのですが、やはり四国はひとつの大きな流域だと思うのです。少しずつ範囲を拡げながらも、ねらいは絞っていきたいと考えています。

 川を見つめることは、川と人とのくらしをいまの時代に合わせて再定義、再創造することだと思います。そのことは、以下のような多種多様のテーマにたどりつきます。しかもそれらが別々に存在することなく有機的に結び付き合っています。政治と行政と芸術と経済と技術を分けて考えることはできません。市民運動だけでもアカデミックだけでも政治の力だけでも行政改革だけでも問題は解決しません。すべての主体がひとつの目標に向かって関わっていくことが必要です。

持続的社会、地域主権、情報公開(または情報共有)、住民参加(または住民参画)、地元学、地産地消マーケティング、資源循環、エコツーリズム(グリーンツーリズム)、伝統工法、近自然工法、遺伝子工学、流域共生圏、ミネラル、水がき(カワガキ)、農村と都市の関係と税制、総合学習(または生涯学習)、里山、ビオトープ、遷移帯、定住促進、自治体の自立と自律(自主財源の確保、公債費比率上昇の歯止め、経常収支比率の改善)

幸いにも、四国の川には、未来の日本のヒントとなる要素が隠されているように思います。たくさんの人が楽しく川で遊びながらも、考えるきっかけを提供し、ともに実践するなかから経験知を共有したいですね。

2. それぞれの川のみどころ

四国東南部の川には大河はありません。しかしそれぞれが珠玉のような輝きを放っています。

じっくり時間をかけて、ゆったりとして南四国の川の時間に身体を預けてみてください。虫の声、風のざわめき、人知れず存在する植物の営み、物質の循環を司る水の動き、川に溶け込んだ人々のくらし…。

できれば、ひとつの川に一日はかけてくださいと言いたいところですが、気に入った川を見つけるまでの簡単な案内も必要でしょう。

[海部川]
南四国一の川は海部川です。湿潤な海部の山々からしみ出す水がもたらす清冽な流れはダムで遮られることなく、いくつかの支流を集めて太平洋と注ぎます。その河口は世界的なサーフィンのポイント。上流の轟の滝に目がいきがちですが、海部川の白眉は、皆瀬から大井に至るまでの中流域です。徒歩や自転車でゆっくりと廻ると、地元の人たちとなにかしら会話が発展する可能性があるかもしれません。しかし近年は道路の整備が川の環境を台無しにしているところが散見されて残念です。

アウトドア用品店で売られているエアーマットを手に入れ、そのうえに乗ってからだで川を感じることも夏の楽しい風物詩です(「日本エアボードスポーツ協会」(ABSA)という団体もあります)。海部川中流域では、大雨が引いたあとの2週間ぐらいに川底庭園と形容したくなるような、さらさらの石を敷きつめた川底模様が出現し、ため息が出るほどです。海部川には今後も目が離せません。

[野根川]
野根川も海部川と似た自然度の豊かな川です。しかし海部川のほうが河原が発達し、周囲が開けていて開放感があります。
おすすめとして、宍喰町の船津のキャンプ場周辺はいかがでしょう。緑でむせかえる野山をすり抜けて流れる野趣あふれる川のたたずまいは、在りし日の南四国の川そのものです。

[伊勢田川]
伊勢田川は、知る人も知らない川ということで紹介しましたが、これは2002年までの話です。センスのない護岸工事が進み、風情のあった小さな潜水橋とその周囲の竹林は伐採され、何世代も地域の人たちが親しんできた川の姿はもはやありません。人のくらしに支障がないのに、なぜ川は生まれたときの姿を保つことが許されないのでしょうか? もちろん人のくらしの変遷ともに変わっていくことは、人と川の関わりとして肯定的に受け止めたいと思います。しかし伊勢田川は無言のまま何かを訴えています。地元の行政、地元の人たち、何か喪失感をお感じになりませんか?

[日和佐川]
日和佐川は、付き合えば付き合うほど親しみが増してくる川です。カヌーイストの野田知佑さんが支流沿いに住み、絶賛したことで、いまや全国から見に来る人がいるらしいのですが、過大な期待は禁物。

日和佐川の良さは、周囲の山々、田んぼを中心とした集落のたたずまいと川との一体感です。国道から離れていることが幸いし、地元の子ども以外は川で遊ぶ人はいません。河口近くで国道から別れて川沿いに進む道は、上流で再び国道へ抜けられるのですが、実はバス路線であり、生活に密着した道であり川であることがわかります。

海部川のような水晶の切り口にも似た凛とした透明感はないけれど、ひなびたたたずまいこそ落ち着くという人にはしっくり来るでしょう。「くじら岩」「ひそやかな潜水橋」、さらに上流にある「狭窄部」などは単品としても楽しめる場所ですね。

[赤松川]
赤松川は、那賀川の川口ダム直下流に流れ込む支流ですが、ダムから下流の那賀川の水質を支えています。例えば、本流が濁っているときでも赤松川は澄んだ水を吐き出していることが多いのです。

中学の頃、この川のほとりにある寺で合宿をしたことから思い入れがあります。さらに父に連れられてアユのドブ釣り(解禁から間もない初期の頃、毛針を淵で上下する釣り法)をしたのが合流点付近にある吊り橋直下の淵。社会人になって訪れてみると、中学の合宿で泳いだ場所は、いまでも夏休みの小学生の水遊び場(プール代わり)。そこには父兄または小学校の先生が交替で詰めています。地元のおばあさんや若い女性教師と談笑しながら、唇を紫にしてはしゃいでいる子どもたちに混ざって水遊びをしたことを思い出しました。

上流の杉山谷は林道沿いの散策路として楽しめます。それから、阿地屋集落と総屋敷集落を結んでいると思われる「足を浸ける潜水橋」は、平成11年版の二万五千分の一地図にも掲載されていません。ぼくは足で歩いて四国の川をたどっているつもりですが、基準としているのが国土地理院の地図です。地図を見るとだいたいの地形が頭に浮かぶので、特に見るものがないと判断して見落としたのでしょう。東京の"カワガキ"カメラマン村山氏に指摘されたときは「まさか」と思いましたが、初めてみたときは驚きました。合流点付近の吊り橋も風情があります。ここから見える本流と上流の淵に日が当たる光景は見応え十分です。

[牟岐川]
牟岐川でも、夏はカワガキが出現します。国道にかかる橋から下流(つまり国道沿い)の堰の下はいつも遊ぶ子どもの姿があります。あと少しで感潮域です。

[那賀川]
那賀川はさすがです。あれだけダムができると川は死んでしまうのですが、那賀川は赤松川の水と中流の激しい流れで酸素を送り込まれ、水質は多少甦ります。しかし川口ダム、長安口ダム、小見野々ダムによって、土砂の供給がなくなった下流は無惨です。

逆にそれぞれのダム上流には膨大な砂が堆積しました。すでに埋まってしまってダム年鑑から名前が消えてしまったダムも支流坂州木頭川(槍戸川)にあります。小松島市から那賀川町、阿南市にかけての広大な砂浜は、那賀川が運ぶ土砂によって形成した砂州(沖積平野)です。ダムによって上流の土砂が供給されなくなった今、これらの海岸線は数十年、数百年の間に海に浸食されてどんどん後退していくでしょう。これもダムの罪です。

今後はダムに頼らない方法を流域全体で議論する必要があります。総合的に水に対処していく最良の方法はダムでないことがすでに明らかなので、今からダムを取り壊すことも視野に入れてさまざまな見地から検討していきたいものです。水が足りないとの不満が一部にありますが、これは水利権の転用と地域間、産業間の調整といった社会的な枠組みの協議と森林の保水力を高めることで解決できるはずです。ダムがなければ日本有数の急流河川となっていただろう那賀川。いくつかの巨大ダムは人々に何をもたらし何を奪ったのか。ダムをめぐって自殺者も出るなど、ダムは自然のみならず、地域社会を分断して破壊します。科学的な目と多面的な視点でダムの功罪を冷静に検討する必要があります。

[安田川]
高知県下ではここのアユがもっともおいしいとの評判があります。河原はそれほど発達していませんが、南四国ならではの人と川との密接なつながりが実感できる名川です。上流の馬路村では農協が中心となった村おこしで全国的に有名になりました。同じ村内でも、巨大ダムができた奈半利川水系の魚梁瀬ダムと、ダムのない安田川水系では人々のくらしの豊かさの違いが感じられます。もちろん活気のあるのはダムのない安田川水系です。

[これからの南四国の川]

それぞれの地域で地元の人たちがその輝きに気付いて欲しいと思います。自分と同じ感性を持った人を3人見つけてあちこちに自慢し、誇りに思うことから始めてみてはいかがでしょうか。そこに共感してくれる外部の人が出てくるはずです。

現状では、地域の合意形成に向けて地元として行動を起こすとなると、大きなエネルギーが必要なのでわかっていても手が付けられないのではないかと思うのです。地域の人たち一人ひとりが(もちろん外部から眺めている人たちも)もっともっと生きることにこだわりを持ち、住んでいる地域の良さを再発見、再創造して欲しいです。

ぼくは、例え最後の一人になっても、四国の川とともに生きたいと思います。

(平井 吉信)