第1分科会「川と市民」
  第1分科会「川と市民」ガイド

・「第十堰改築事業の説明」  山口 修  (建設省徳島工事事務所)・「第十堰改築事業の問題点」 姫野 雅義 (吉野川シンポジウム実行委員会)・「第十堰徹底討論」
     コメンテーター   大熊 孝  (新潟大学 河川工学)
               坂本 紘二 (下関大学 都市計画学)
               西口 徹  (日弁連公害対策環境保全委員会)
               大西 亘  (建設省河川局)
   綿澤 翼 (徳島県土木部河川課)
   山口 修 (建設省徳島工事事務所)
          姫野 雅義 (吉野川シンポジウム実行委員会)
コーディネーター  林 敬 (四国放送)
               相楽 治  (新潟の水辺を考える会)・活動報告「ダム・堰にみんなの意見を反映させる県民の会」
               武田 真一郎(徳島大学 行政学)・特別報告「アメリカの水管理と市民参加」
               ニコラスG・オーメン(南フロリダ水管理公社)

 第1分科会では、建設省が吉野川に計画している「第十堰改築事業」を通して、その背景にある住民参加、情報公開の問題を話し合い、同時に第十堰が持つ機能、果たしてきた役割ををさまざまな角度から眺めてみようとするものであった。
 そのため、事業主体である建設省の説明と、それに対する住民運動の反論をもとに、さまざまな分野の専門家が議論しながら、会場に集まった全国の活動家たちの声を拾いつつ進めた。また、アメリカのオーメン博士からは、アメリカでは徹底した情報公開を行い、住民参加のための仕組みを法律が保証していることが報告された。
日本でこの問題の指針となるのは、建設大臣の諮問機関である河川審議会が出した答申である。そこでは、生物の多様な生息環境の確保、健全な水循環系の確保、河川と地域の関係の再構築、洪水や渇水の非常時のみならず、365 日川とかかわっていく視点、流域全体での総合的な水管理のあり方がうたわれている。
 この流れは、建設省も総論として異論はない。しかし、各論になった時、そこに越えがたい壁、ズレがあることが確認された。さらに、住民が意思決定する際の責任の所在についての問題提起がなされ、これは今後の課題となった。提案として、地域の特性を生かしたさまざまな治水、住民と行政をつなぐ仲介組織の存在、行政は住民が意思決定していくのを援助する仕組みが望ましいなどの発言があった。まさに吉野川第十堰を舞台に、行政を交えて民主主義の実践が今始まろうとしている(平井)。
第一分科会

林/ 徳島県には、吉野川の第十堰の改築問題があります。第十堰の問題を通して、市民が、川と河川行政にどのように参加していくのかを考えていきたいと思います。午前は、建設省徳島工事事務所の山口所長から、第十堰改築事業の説明があります。それに対して、住民側として、吉野川シンポジウム実行委員会の姫野雅義さんから計画の疑問点が提出されます。午後は、コメンテーターの皆さんとともに話し合いを進めていきます。市民参加のあり方について,「ダム・堰にみんなの意見を反映させる会」の活動報告と、アメリカの南フロリダ水管理公社のニコラスG・オーメン博士の特別報告があります。
 会場の皆さんのご意見、質問を取り入れていきます。糊がついて,貼ったり接がしたりできる「ポストイット」をお配りしました。会場の皆さんに書いてもらったポストイットを回収して分類し、パネリストの皆さんにフィードバックしながら進めていきます。

相楽/ できるだけ多くの方々のご意見・ご質問を短時間の中でとりあげ、集約したいと考えています。みなさんのポストイットをパネルに掲示し、分類します。書き方として、最初に、意見、質問、提案などと題を書いてください。内容については、主語と述語を明確に、ひとつの内容を3行ぐらいにまとめてください。質問をするかもしれませんので、できれば右下にお名前を書いてください。

「第十堰改築事業の説明」/山口修(建設省徳島工事事務所所長)

山口/ 私どもの方は、事業を進める上で、地域の方々と対話をしながら進めていきたい思っています。本日はその他の分科会にも、建設省の担当者が出席して、皆さんと積極的に意見を交わしながら進めています。第十堰の改築の概要を説明して,皆さんのご意見を賜りたいと思います。(第十堰の航空写真。「第十堰の魚道」の表紙裏の写真を使用)
第十堰は、約240 年前に原型が作られました。これは徳川吉宗の治世が終わる頃です。それから営々とこの地にありました。書類で確認する限りは、昭和7年まで地域の農民の組合が堰を管理されていました。日本一の洪水が発生する吉野川ですから,維持管理には相当な苦労をされてきました。江戸時代の文献には、数千両を維持管理に充当する等、苦労がありました。度々の流出、崩壊があり、堰を維持する負担が大きいので、昭和7年から管理を徳島県に切り換えました。河川法が昭和40年に改正になってからは、建設省が管理をすることになりました。昭和49年には本体の決壊という大規模な災害がありました。度々の出水による損壊は枚挙にいとまがないわけで、堰の維持管理については、建設省は昭和40年から30年間,並々ならぬ力を注いできました。建設省も大変な力を注いできたことをご理解いただきたいと思います。
 特に出水時には、ある一定の水位,警戒水位等には、ここの地区,上下流を中心に,特別の班を増やして巡回にあたります。いったん事があると大変だということです。非常時に堤防の補強に使うために、数千個のブロック、土砂を備蓄しています。堰による災害を未然に防ぐために努力をしているわけで、災害の発生を非常に危惧をしています。
吉野川流域では、氾濫原に大半の人々が住んでいます。国土面積の10%の氾濫原に、50%の人口と75%の資産が集中しており、氾濫原に住まざるを得ないことがわが国の特徴です。アメリカで氾濫原の管理(Floodplain Management)が行われていますが、アメリカは、氾濫原に人が住む必要がないという特性があって,わが国とは地形的、社会的条件が違います。建設省では、営々と堤防を作って,氾濫原で安全に快適に人が暮らせるような努力をしてきました。
吉野川も例外ではありません。明治40年から改修に入りました。明治20年頃から全国で13番めの川の改修として,国の直轄事業になりましたが、洪水、堤防の作り方などに行違いがありまして、20年間,国はこの改修から撤退しました。
再び明治40年から改修にかかって,岩津の狭窄部( 河口から40km地点) まで、昭和2年までの20年間で連続堤防を完成させました。その上流地域は、まだ堤防のない地区が多いのです。そのために、下流の治水安全度が保たれてきたという面もありますそれでは公平性を欠きますし、平等に治水安全の恩恵を受けるべきということで、上流の無堤地区の改修に力を注いでいます。下流の一帯についても、現在は堤防の実質的な強化,本川の水位が高くなることによる内水の被害を防ぐため、排水ポンプの設置事業を行っています。阪神大震災で、淀川の堤防が大規模な損壊を受けましたが,その災害を教訓に、旧吉野川一帯の堤防の実質的な強化,作り替えを実施しています。
第十堰は、吉野川下流域の治水安全度の唯一のネックになっていると考えています。河積( 川の断面積) の40%を阻害する構造物です。そのため、洪水を防ぎながら、通常は下流域の人々の生活、産業、経済の用水となる水の確保を両立させる可動堰を提案しています。
第十堰は,徳島市,鳴門市など下流の町に飲み水,農業用水,工業用水を供給しており、産業の要の水,生活の要の水を供給する極めて重要な施設です。いったん破壊されると、人口、資産が集中する吉野川の下流域に大変な被害が及びます。4千300 ヘクタールの農地と、約26万人の上水を供給し、工業地帯への用水を供給しているからです。
江戸時代から、第十堰の問題は議論をされてきました。明治になって吉野川が近代的改修をされるようになりましたが、徳島にとっては、極めて重要でかけがえのない施設となっており、議論が盛り上がるのは当然ではないかと思っています。(第十堰の黄色い説明付きの写真掲載)
第十堰が抱える問題点は、たびたび徳島工事事務所の方から説明をしています。第十堰は、河床( 川底) から4m程度突出した構造物です。そのため上流部では、洪水時にせき上げが起こるということで,一帯の堤防は大きくなっています。堤防に与える外力というのは水深、水圧です。堤防は脆弱な施設です。土で作った施設は万能ではないということで、第十堰が人為的にせき上げて危険な状況にしています。これは問題があるなと分かっていただけると思います。ただ,その問題はどの程度なのかということで、住民団体から疑問があるのだと思います。
堰本体の老朽化については、科学的な説明がむずかしいのですが、第十堰は、川の砂を盛り上げてその上にコンクリートや石で覆ったもので、そういう構造の施設は全国でもあまり例がありません。筑後川等でも類型の堰がありますが、すべて中身がコンクリートです。土砂を積み上げてコンクリートで巻いた大規模な堰の構造は,記憶にありません。それほど特別な存在です。費用の面も含めて、強固なものに作り変えることがむずかしかったのだろうと思います。
 堰は斜めに設置されています。水は障害物に直角に進むという性質がありますが、それが堤防の基礎を洗掘させるので問題です。そのために、ブロック,土砂を蓄積して,堤防の補強のために備えています。
 洪水の時には,堤防が揺れるという人がいます。私はそういう状況を実際に体験したことはありませんが、(他の川で)堤防が一瞬にして破壊する様子をビデオで見ると、こういったことがあるんだなと再認識をしました。洗掘については、私どもは危惧をしています。
 高水敷の洗掘について、河川管理者は十分な認識が抜けていた点がありました。固定堰がもたらす被害と影響では、昭和49年に東京の多摩川の宿河原堰で、迂回流が生じて堤防が切れたことがありました。そこは、たまたま河岸段丘で、東京の方には出水が行かなくて19戸程度の被害で済みましたが、ここは下流全体が氾濫水に覆われるところです。平成4年の12月に最高裁から多摩川の裁判は差戻しを受けます。国が敗訴したわけです。それは、災害の予見ができたのに対策をしなかったということで、国の責任を問われたものです。第十堰も、類似の災害が生じているわけで、私どもはそういう災害の恐れがあると言っています。昔は青石を張ったすばらしい堰であったとしても、強大な洪水のもとではどうしようもないということで,度々損壊を生じているわけです。近くは昭和49年に本体の損壊がありました。
 吉野川を含め全国の川では、昭和30年代、40年代、50年代の初期に大規模の砂利採取が行われました。その結果、河床が下がっていますので、今,昭和36年規模で壊れたら、旧吉野川に水がいかないということになります。下流域一帯の農業用水,上水道,堰湛水池からの徳島市の上水道取水も含めて問題になります。
洪水時の水位を説明します。第十堰で1万2千t規模の洪水で、射流(下流の波が上流に伝播しない速い流れ)というものが発生しています。極端な例では滝を想像すると分かると思います。そこでは水面計が切れます。いわゆる不連続になります。この第十堰でもその現象が生じています。水位の底の条件で、上流の水位が規制をされます。上流と下流の水位が基本的には関係がないわけです。計算する際は、斜め堰は直堰にして計算しています。これが、再現性がないと指摘されます。しかし,直に立てて、ここから上の所をここで代表させても同様な精度は持っていると言っています。これがなかなか分かってもらえないので、専門家の方々に聞いていただきたいと申し上げています。全国の河川計画で、堰上げ計算は、すべて標準的な方法を使っています。計算方法について改善の方法がないのか,分かりやすい方法でお見せできないかと検討しています。専門家の意見等を踏まえていきたいと思っています。
昭和51年に第十堰下流南岸が異常な深掘れをしました。深掘れに対して、川の蛇行、建設省がブロックを置いたこと、砂利採取が原因だなどという指摘があります。私どもは、第十堰は斜めなので水流が曲げられて堤防に当たり、複雑な二次流が発生して洗掘が起こると言っています。これは、自信を持って示すことができると考えています。異常な深掘れは,他の川では余り聞いたことがありません。大変な問題です。
吉野川の洪水ですが、昭和49年に洗掘し、昭和36年には中小洪水でこれよりも大規模な洗掘が起きて、堤防が通行止めになっています。
今,第十堰の審議委員会を開催しております。徳島県を代表する有識者,学識者,行政の方々を含めて審議をしていただいています。なぜ可動堰になったのか、代替案はないかとの指摘を受けています。それについては詳細なデータを出して、議論を深めていきたいと思っています。
 私どもは、いくつか代替案を提出しています。堤防を拡幅する、堤防を新しく作り直す、堤防を強化する、旧吉野川を上流に付け替える、などです。代替案はなかなかむずかしいと見ています。反論に対しては、できるだけデータを出して,説明していきたいと思います。
 基本的には地域の選択,それから財政上の問題になるかと思います。たとえば、堤防の改修において、先祖伝来の土地を手放すということは,住民にとって大変なことです。堤防の改修にあたっては、土地収用という強権的な手続きに頼らざるを得ないことがあります。大規模な土地を提供していただくことは、困難ではないかと考えており、審議委員会等では,その辺を審議していただければと思っています。
 堰の改築位置ですが、現堰の1.2 km下流になります。これについて、貯水池の容量、面積が増えることによって水質が悪くなるのではないか、下流の生態系に影響があるのではないかといった問題が指摘されています。地域の方々からは、現堰と建設予定地の間で平常時の水位が上がるので、地下水が上がって耕作地が湿田化しないかという疑問を提示されていて,それについてさまざまな調査をし、回答をしている最中です。基本的には、1.2 km下流に設置し、水位を変えることは考えていません。現状の水位を保ちながら,新堰を作りたいと思います。
現堰では、漏水があって、これが下流の環境に一定の貢献をしているわけですから,この漏水量を、魚道を通じて流すことを考えています。水の流れは変えません。現在は、渇水時に70〜80日、多い年で90日は魚道に水が流れません。第十堰は、吉野川の最下流に設置された、流れを横断する人造の工作物です。魚道が機能しないということは,吉野川全体の水棲動物等に大変な影響を与えていると考えています。
現堰はすべてがいいというわけではありません。水が漏水て魚道に水が流れないなどのマイナスの面を改善し,容量が増えることにより、汽水から淡水になると、環境悪化の懸念が当然ながらあると思っております。それをできるだけ少なくして,プラスの面を付け加え,治水と旧吉野川への安定した利水等を判断することになるのではないかと思っております。(粗石付斜曲面式魚道のイメージパース。「第十堰の魚道」のパンフより掲載)
粗石付斜曲面式魚道を実験しています。これは底生魚のために作っていますが、アユカケ等が遡上することを確認しています。水質についても,水位モデル,それから珪藻を含めてさまざまな観測をやっています。そういったものから将来の予測をやるということです。環境の調査は,底生動物から魚,それから鳥,昆虫とさまざまな形でやっています。調査を続けながら、より影響の少ないものを作っていきたいと考えています。
データがまとまりしだい,地域の方々に積極的に説明をし,公開をするということを信条にしています。まだ十分ではないというお叱りの言葉も理解しています。こういった席で皆さんの意見を聞いたり,さまざまな形で地域の方々と接触を持っております。この事業をよりよいものに変えて,進めていきたいと思っています。ご理解,ご協力のほど、お願い申し上げます。

林/ 第十堰は、吉野川と旧吉野川が分かれているところの少し下流にあります。農業用水確保のために吉野川に堰を作って、水をせき止めて水位を上げて旧吉野川に分流するために作られた堰です。特徴として、川の流れに対して直角ではなくて、斜めに設置されています。斜め堰の堰上げに関する正確な計算式はまだないということでしたが、洪水時には第十堰が抵抗になり、問題があるので改築の話が出てきました。
 建設省の治水計画の一貫として考えると、吉野川を150 年に1度の洪水に耐える川にするという目的があり、そのために、上流にダムをあと四つ作る必要があります。早明浦ダム二つ分に匹敵するぐらいの量です。そして下流では、治水上障害になっている第十堰を取り払って,新たな可動式の堰にする。この二つが揃って、目標とする150 分の1の治水安全度の川になるということです。ダムはまだ計画は進んでいませんが、そういう遠大な計画の一つとして可動堰の構想があるわけです。ちなみにこの計画が作成されたのは昭和57年でした。その時点で「市民・県民に対して広報はしましたか」と聞くと、官報には載せたという返事でした。マスコミで取り上げられるようになったのが,4,5年前からです。

「第十堰改築事業の問題点」/姫野雅義(吉野川シンポジウム実行委員会)

姫野/ 3年前に私達のグループができてから,第十堰の改築問題について勉強をしてきました。その結果言えることは、この改築計画の必要性がないのではないかということが一つ。可動堰に改築されれば、吉野川の環境に大きな影響が出る恐れがあることが二つ。多目的ダムということで、利水はもとより、治水安全性を高めるとされていますが、逆に治水上、問題が出てくるのではないかということが三つです。
 第十堰は、江戸時代中頃に農民の手によって作られて以来240 年間、基本的にはそのままの位置、形で守られてきました。これは、全国に珍しいもので、流域の人々が吉野川とどうかかわってきたかを象徴している歴史的な構造物です。
一昨年,NHK による21世紀に残したい文化遺産アンケートのなかで、徳島県では第十堰が上位にランクされ、この堰が愛着をもって地域住民に迎えられていることを示しています。
改築計画については,治水,利水上の必要性について県民全体で十分な議論がされることなく現在に至っています。そして、去年あたりから徳島工事事務所と、市民、住民との間で、具体的な話し合いが始まりました。
この問題の解決は、具体的なデータを建設省と住民が共有し、住民参加によってもっともいい方法を見出していくことにあると思います。その前提となるのが、情報公開を徹底して行うことです。そこに、解決の道筋が出てくると思います。
この問題を考える基本的な観点として,昨年の3月に河川審議会の答申が出ました。大事なことは、河川の改修,川とのかかわりに対する基本的な見方が大きく変わったということです。理想的な河川像を問いかける時、河川の自然環境と、河川がもたらす危険に対する安全度、つまり、治水と環境を両立させるという考え方を打ち出したところが大きな転換であったと思います。
今年の6月になって新たに、近代治水の思想を見直し、流域を総合的に見ようとする答申がされています。このように今,川に対する見方というものが,根本的な転換をしているということを前提に、この改築問題を考えるべきです。
従来の治水は人命優先で、環境の悪化は人の命に替えられないと言っていればよかったのです。ところが今「安全」の意味が問われています。たとえば阪神大震災は、近代科学技術の粋を集め「安全」なはずの大都市を、一瞬のうちに瓦礫の山に変えてしまいました。想定した以上の自然現象に対してどうすれば被害を少なくできるかを考えなければなりません。そのためには、どんな環境を保ち、どんな川とのかかわり方をすべきかに立ち返る、これが河川審議会答申の重要な問題提起ではないかと思うのです。
建設省は「藍より青き吉野川」という洪水の恐怖を強調したパンフレットを発行していますが、むしろ今言うべきは、人の命か環境かという二者択一の考え方で、安全性を高めることはもはやできないということではないでしょうか。
さて、この計画が出発したのは昭和57年に吉野川の治水安全度を高めるために、従来は、80年に1度の洪水に対して堤防等の備えをしようとしたものを,150 年に1度の規模に高めたときからです。では、150 年に1度の洪水を安全に流すために第十堰が障害になっているのでしょうか。
建設省は、現在の第十堰に対する問題点(改築理由)を三つあげています。
一つは、第十堰が固定堰であり、川底から4m盛り上がって設置されています。そのため、大きな洪水の時に上流の堤防に負担がかかるという「せき上げ」の問題です。この堰は旧吉野川に水を分流するために作られた堰ですから,当然,一定のせき上げはあります。問題はそれが治水上,許されない程度のものなのかということです。
どの程度せき上げがあるのか,どの程度治水上の障害になっているかのデータが昨年建設省から出されました。それによると、第十堰があることによって,150 年に1度の洪水が流れた時に、「安全ライン(計画高水位)を42cm上回る」ため、第十堰を残すことはできないというものでした。
第十堰付近の堤防上には、150 年に1回規模の洪水が来た時の想定水位をしめす看板が掲げられています。この水位を最大で42cm越える、というシミュレーションの結果が出たわけですが、そのシミュレーションの精度が問題です。
シミュレーションが正しいかどうかを、過去のいくつかの洪水の水位に照らし合わせてみました。建設省が使用した計算方法によって,昭和49年の洪水の水位を再現してみると水位は約12m。ところが,現実の昭和49年の洪水の痕跡が約11m。つまり,計算で再現した水位と、実際の水位との間には、1mもの違いがあるということです。過去4度の洪水について照らし合せてみたところ,同様なズレがすべてに見られました。そのことから考えれば,150 年に1回の19,000トンの洪水時に、第十堰の存在によって安全ラインを42cm越えるという水位の予測値については,おそらく大きく間違っていると言わざるをえません。昭和49年、50年,平成2年の洪水は、150 年に1回レベルの洪水よりもはるかに小さいものなのに、1mもの誤差が出ているのですから、150 年に1回の大きな洪水が起こった時の水位については,安全ライン以下に納まることは間違いないだろうと思われます。
 第十堰が作られて240 年経ちましたが、連続堤防ができて以降、一度も堤防決壊はありません。さらに吉野川でもっとも高い水位を記録した昭和29年の洪水の時は、新聞報道によれば,第十堰の上流よりも下流側で堤防があわや決壊という事態だったと伝えています。第十堰のせき上げによって上流側の堤防が危ないというのは、過去の出水の模様や,計算値とのズレといった点から大きな疑問があると思います。
次ぎに、堰が老朽化しているということですが、第十堰に老朽化の兆候が表れてきたのは昭和30年,あるいは40年代以降のことです。それまでは,洪水によって破損し補修するということを繰り返してきました。
 第十堰に建設省が「老朽化」と呼ぶ兆候が現れてきたのは、大々的な砂利採取が行われた昭和30〜40年代以降のことです。河床低下により堰に亀裂が入ったりしましたが、災害復旧工事によって補修がなされ、その後河床が安定しているのが現状です。つまり、適切な管理をすれば流出の恐れは少ないといえます。
老朽化が即、可動堰ということには結びつきません。むしろ,240 年経た第十堰の長所,短所をきちんと分析していくなかで,老朽化に対してはどのような補修,もしくは改修をするかの議論をするべきです。先人たちが補修を続けてきて,現在も機能している第十堰を近代技術でもってさらによいものにしていくことは決してむずかしいことではなく、その点についてきちんとした検討をするべきです。
三つめの論点ですが、第十堰は川に対して斜めに設置されています。そのことによって、洪水が右岸にあたって深掘れが起こるということですが,過去の事実から斜め堰が深掘れの直接の原因ではないと指摘しておきたいと思います。
 第十堰は240 年存続してきましたが、深掘れが起こったのは昭和40年代以降のことです。考えられる原因としては、昭和30〜40年代に大規模な砂利採取がなされ、その結果、河床が下がり、堰下流右岸の深掘れが進行していったということです。そこは川の蛇行により水が当たるところ(水衝部)なので、深掘れを起こす場所に当たると考えられます。発表されたデータでは、第十堰下流の深掘れよりもさらに大きな深掘れが、名田橋(第十堰の約4km下流)付近の水衝部で起こっています。つまり、第十堰を撤去したとしても,この深掘れはなくならないと思われます。従って、第十堰改築の根拠となる三つの理由は、いずれも疑問があるということです。
建設省による、可動堰による改築案に対し、今の第十堰をベースにした改修案を出してみました。(代替案の表を掲載)
可動堰の他の問題点についても、十分に議論されていません。まず、経済的妥当性ですが、可動堰に改築する費用として当初約1千億円と言われていました。現在ではよく分からないということですが、少なくとも1千億円以上の費用がかかると予想されています。それだけ投資して、どの程度の効果が得られるのかが問題です。可動堰への改築によって得られる効果は、第十堰から上流4〜5kmの区間で、水位が数10cm下がる程度です。その点にほぼ集約されます。
これに対して、現在よりもさらに安全度を高めるために、堤防の強度をその5km区間で行ったとしても、50億円ぐらいということですから、可動堰建設は大きな経費がかかるということです。
今後、財政事情が悪化すると予想されるなかで、可動堰計画は、建設費用はもとより、稼動後に多額の維持費がかかる点が問題です。可動堰は、複雑な電子機器,メカニズムを精密かつ適切に制御していくことが前提となります。長良川河口堰の維持費が年間15億円と聞いていますが、吉野川でも年間10数億円の維持管理費がかかると予想され、これらはすべて次の世代の負担になっていくわけです。これに対して、現堰の維持費は過去の実績からとして、年間数千万円程度で可能だろうと思われ、比較にならないほど少ないので、現在の堰を残すことは経済的に妥当性があります。
そして、可動堰計画の前提となったシミュレーションによる水位、あるいは問題点がクリアーされれば、改築は根拠を失うことになります。
可動堰は、人為的な操作、つまりゲートを開けることによって洪水が流れるので、機械の故障,とりわけ精密機械が老朽化していった場合に,どれだけ危険をはらむのかが問題です。ソ連の原発事故などにみられる巨大技術に潜む落とし穴が問題視されていますが、同様な問題を抱えることになりかねません。そうした潜在的な危険を次の世代に引継ぐような技術システムが、今問い直されているのではないでしょうか。
 第十堰は問題があると建設省は言っていますが,なぜ、他の川のように可動堰に作り替えられずに存続してきたのでしょうか。明治末期から大正にかけて吉野川の大改修計画のもとに連続堤防ができました。その時に第十堰の撤去が検討されました。その当時の計画責任者は,第十堰を残すべきであると判断しました。
その理由として、第十堰が存在することによって、上流側と下流側に河床の差が生じています。もし、第十堰を撤去すれば,上流側の川底が低下したり崩れる可能性があります。それによって、上流側の堤防、橋などの施設に対する影響が出てくるのは避けられません。河床の低下を防ぐためには、堰が必要になるという判断で第十堰を存続することになったわけです。このように今回の可動堰計画は、上流側に対する治水上の問題点についても検討されていません。
計画を考えるに当たって、これまでは第十堰の長所について余り考えられてきませんでした。たとえば第十堰の機能として、治水、利水ばかりではなく、生態系に果たしてきた役割は無視できません。建設省は「漏水」と言っていますが、第十堰は固定堰ですから、水が多い時は堰の上を越えて流れ、水が少ない時は堰のなかを透過して下流側に湧き出しています。こうして、上流側と下流側がつながっています。生物にとってもっとも大切な、塩水と真水の混じり合う絶妙の汽水域が存在していることは、大いに注目する必要があります。
河川審議会答申で出されたような新しい河川に対するかかわり方というものが,実は先人が守ってきた第十堰のなかにあったと思います。それを将来の河川工事,河川整備に生かしていくことが必要です。
吉野川は日本でもっとも魚種が多いという学者の報告があります。昆虫においても日本で二番めだそうです。最近では、イセウキヤガラ(カヤツリ草科)という珍しい植物の日本一と思われる大群落が第十堰下流で発見されています。堰が240 年間存続してきたなかで、吉野川には全国的にみて、豊かな生態系が保たれています。
可動堰に改築されれば、上流側と下流側の水位の差が約3mから4m,川幅800 mにわたって滝のようになり、川が分断されてしまいます。そうなれば、汽水域が消滅する可能性が高いと思われます。
これからの河川計画は生態系を守っていく、あるいはもっと良くしていく視点が不可欠ですし、その前提として現在の堰が果たしている機能について,一つ一つ検証していく作業を、今後行っていく必要があると思います。
いずれにしても、この問題は、新しい河川管理の理念のもとで出発点に帰って議論を始めるべきです。


林/ 以上が第十堰の現状だと思われます。川底に障害物があれば,洪水の流下を妨げるのは当然ですが、市民団体からの疑問は,目標とする流下能力はあるのではないか。深掘れ等については、別の原因が考えられるのではないか。可動堰を採用することによって莫大な費用、負担を強いるし、治水上、潜在的な危険が出てくるのではないかということです。問題を踏まえて,今後どのように市民と行政のパートナーシップを作っていくかが課題になると思われます。
 会場から質問が来ています。「可動堰を作り、現堰を撤去した跡をどう処理するのか」ということです。河川工学上の問題として、大熊先生にお伺いします。

大熊/ 明治35年に、当時の治水事業の最高責任者であった沖野忠雄(1854 〜1921年) が、「吉野川高水防御工事計画意見書」で、河床安定のために第十堰を存置するという決定をしています。取り払うと上流の河床が低下し、さまざまな問題が出てくると判断したからです。沖野氏は当時,利根川、淀川、信濃川等で次々と近代的な可動堰等を作ってきた指導者であって、堰の技術については十分な認識のあった人です。そんな沖野氏の判断により、第十堰は現在に至ったわけですが、可動堰を作って第十堰を取り払えば、やはり同じような問題が出てくると考えます。100 年、150 年の長い時間で考えると、かなり河床低下が進んでいくだろうと予想されます。
現在では上流に大きなダムがいくつも作られており、土砂の流下が非常に少なくなっています。河床低下を防ぐとしたら,第十堰を取り払った後も,何らかの床固めみたいなものを作らざるを得ない。取り払って、また作るということが起こるのではないかと想像します。床固めを作るのにどれぐらいの費用がかかるのか、建設省にお答えいただければと思います。

山口/ 第4回の第十堰審議委員会で,その問題についてはデータを出して答えています。
 第十堰の支障は、ひとつは、堰本体が川底から突出していることです。ふたつは、そのために土砂が堆積をしています。吉野川に構造物がない状況での安定河床( 平衡河床) では、上流からの土砂の供給と川の水による曳力で川の勾配が決まりますが、昭和30年代ぐらいの砂利採取が行われる以前の河床勾配に戻ると考えています。堰を取り払うと、上流部分,河口から16〜17km,18kmにも少しかかりますが、その辺りで堰によって盛り上がっている河床が14kmから下流の付近で底が動き、昭和30年代以前の川の勾配に戻ると推測しています。深い所で1mぐらいの低下だったと思います。たとえば、橋は橋脚が平均的な河床より21mも入っていて、橋脚の安定計算をしても何ら問題はありません。護岸についても、第十堰より少し上流の河岸は昔の護岸でありますが、そこは十分護岸で通用します。ここから上流は少ししか低下しないので河岸への影響はないと判断しています。

司会/ すでにシミュレーション済で影響はないということですね。どの程度撤去するのかを聞きたいのですが、河床の面一とはどういう形でしょうか。

山口/ 基本的には河床面一ですから、4mぐらい突出してますから,そこの所を少し掘り、撤去をします。

司会/ 堰の上流側と下流側で河床の高さが違いますが、それを斜に切るのですか。

山口/ 堰を撤去する時に詳細に検討しますが,上流は河床が上がっているので、なるべく吉野川の平行的な河床に沿って治水上の支障がないように切り方をしていきたい。ただ,余り急激に人為的に切ると,植生なり,そういった物もあるわけですから,影響を考えながら切っていきたい。後は自然の営みに任せるということを考えています。

大熊/ シミュレーションの結果、大丈夫とのお答えですが、審議会に提出された資料は1〜2枚の簡単なものだったと聞いています。ぜひ、シミュレーションした報告書を提示いただいて検討できればと思っています。現在,土砂計算の精度は良くなってきたので、かなりの程度が分かるのではないかと期待しています。平衡勾配については、上流にたくさんのダムができて土砂供給が非常に少なくなっている状況なので、それをどの程度折り込んでいるのか、報告書を見せていただきたい。

山口/ 昭和30年当時の平均河床から平行の線を引いて、それが吉野川の堰撤去後の平行河床になると推定しています。厳密な土砂の変動計算を実施しているわけではありません。必要があれば、実施すればいいと思っていますが、基本的には吉野川の河床の形成の歴史から容易に推測ができると考えています。ダムの影響については、吉野川の土砂は、多くは北岸側(左岸)のシルトの原因でもある真土(花崗岩の風化した土)が主な供給源です。池田から下流の北岸の支流は天井川になっていて、左岸側の川は土砂が堆積しています。上流にダムを何個か作る計画については、未確定ですが、土砂の供給に与える影響はそれほど大きくはないと考えています。

司会/ 会場では情報公開を求める声が多くきているようですが、相楽さん、どうですか。

相楽/ 「情報を公開して,その上で議論を進めてほしい」との要望が多数あります。「審議会がどういう経緯で選ばれて,意見が反映されるのかわからない」「住民参加の手法や手続き」「治水を考えるときの時間軸の取り方」「第十堰だけでなく吉野川の総合的な治水計画で対応すべき」との指摘。「代替案をもっと議論してほしい」「せき上げについては可動堰もあるのではないか」「コストと効果、経済性の問題」について。「第十堰の歴史と文化的な価値を考えてほしい」「改築の根拠を明確に」「全国的に固定堰が少なからずあるということについて、固定堰をどう評価しているのか」「河川をめぐる行政の法体系のあり方」などについての意見が寄せられています。

林/ 吉野川の治水全体で見た場合のコストパフォーマンスについてと、改築案のデメリットについて,山口さんにお伺いします。

山口/ 治水事業は,国民、住民の生命と財産を守るためにやるべきだと考えています。その際に、管理費、工事費ができるだけ安くなる方法を考えていくのが、私どもの基本的な施策です。

司会/ 可動堰については、吉野川の上流から下流までを総合的に考えた上で決定しましたか。

山口/ 吉野川の徳島県域を管理しておりますが、全体として治水安全度を上げるための工事を全面的に展開しています。下流域においては連続堤防がほぼできましたのでその質的な強化や、内水の排水等を行っています。そうしたなかで、流下能力を阻害する最たる構造物が第十堰であると認識しています。第十堰によって阻害しないようにすることが、下流域の水防で極めて重要と考えています。

司会/ 改築案では、建設費、維持管理費はどれぐらいでしょうか。

山口/ 何度も聞かれて返答に窮していますが、基本計画を作って細かい金額の積み上げをする段階には至っていないので、金額を言うと、それが一人歩きして無用の混乱を招きますので、細かい仕様が決まれば提示します。

姫野/ 詳細が決定しないと費用が確定しないというのは分かりますが、現堰と比較して、可動堰の可否を経済的に判断する際の基準が必要です。その材料をぜひとも出していただきたいと思います。

山口/ 代替案を考える場合には、堤防を新しく作り直す、補強する、住民の方々が生活をしている土地が必要になる、浄水場を作り直す、橋を作り直す、などの経済的、社会的な問題があります。単に経済だけではなく、トータルで代替案の評価できるように提示する努力をしていきたいと思っております。

姫野/ 私が聞きたいのは、たとえば堤防を100 m引くなど、ケースを想定しての比較ではなくて、可動堰計画に対して堤防を部分的に補強すれば十分ではないか、治水安全性は十分に保たれるのではないかという比較をしてほしいということです。

山口/ そういう意味で言っています。代替案を経済効率性だけで判断ができるのか,住民に大きな負担をかけて事業として進捗するものかどうか,そんな点も含めて,代替案を評価しています。審議委員会での大きな審議項目の一つと認識しておりますので,データを出して,知識人の方々に判断願いたいと考えています。

林/ 治水思想のあり方が問われていると思います。河川審議会の答申を見ると、新たな展開が求められていると思いますが、会場から、改築の必要性に優先順位をつければ、どういう割合で考えているのか、質問がありました。

山口/ 第十堰は旧吉野川に分水するのが目的です。しかし、川を横断する障害物となっている。これが第十堰問題の発端だと思いますが。

会場/ 改築をしなければならないのは治水上支障があるからでしょうか。

山口/ 壊れやすいし、壊れると分水機能も失われます。

会場/ 老朽化していると聞いていますが、治水上、危なくなったわけですか。

山口/ 治水安全度の向上と構造の脆弱性と老朽化です。壊れると本来の機能に支障をきたすので、万一を防止するということです。

林/ 目標とする洪水の量(計画高水量)を150 年に1回に対応するよう引き上げました。

会場/ 基準が上がったので,危なくなったのですか。

山口/ 誤解を受けていますが、堰があるので上流がせき上がって問題になっています。計画の安全度を得ることをトータルして考えると、せき上げは問題があります。

林/ 吉野川の治水で、80年に一度の基本計画のままなら、今の形のままで作りなおす計画はありましたか。

山口/ 昭和40年代から建設省が吉野川を管理するようになりましたが、徳島県議会の方からは、再三、堰を改築してほしいという要望がありました。それは、可動堰であったと聞いています。徳島県の河川課長に、その辺の議論を紹介していただければと思います。

綿澤/ 徳島県としては、昭和41年に、早明浦ダムの基本計画に対する徳島県の回答として、第十堰の改築をお願いしています。県議会では可動堰という意見が出ており、昭和58年の富郷ダムの意見照会に対しては,両方含めた意見をを出しております。

林/ 代替案の話を技術論的な視点から見直すことが必要です。大熊先生に,技術論的な視点からお伺いします。

大熊/ 明治以降,日本の治水を進めていくなかで,戦前は内務省,土木省、戦後は建設省に技術が独占されてきました。住民は、河川にかかわる技術を吸い上げられた感じですね。江戸時代は、農民が河川にかかわる技術を持っていて,農民同志で調整、設計して水利権を定めたりしていました。明治時代には、利根川において、住民参加の大きな問題が発生しました。鉱毒事件に絡んで,谷中村が買収されて遊水地にされましたが、その時に田中正造が利根川治水はどうあるべきかで国と徹底的な議論をやりました。この時、明治政府は田中正造の徹底した治水論に驚愕したと思います。
 その当時,利根川の計画高水流量は低すぎると「平民新聞」からも指摘がありました。あの頃は、一般市民と明治政府の技術者が互角に渡り合えていたようです。堰を作る技術などは、土木技術者に独占されてきて、それがずっと続いてきました。
 しかし、ここ数年を見ると、それが大きく変わってきました。市民が、治水に対する思想、生態系、川の自然現象などについてよく研究していて、ある意味では建設省よりも、新しい思想を提起してきたわけです。たとえば、「近自然河川工法」を市民団体から問題提起し、建設省は「多自然型川づくり」ということで追認せざるを得なかった。建設省は反論されるかもしれませんが、私が歴史的に見る限り,そう言わざるを得ない。思想的なところ、科学的なものの見方というところでは,市民のレベルも非常に上がってきています。
吉野川の治水論について、山口さんと姫野さんが四つに組んで相撲を取っているという感じを受けましたが、田中正造が昔やっていたことが再現しているのかなと思いました。もちろん,当時と今では時代背景が違いますから,自由に議論できるということで世の中は変わってきたなと感じました。
 姫野さんが作成した第十堰改築についての第一案(建設省案)と第二案(住民団体案)の比較表(  頁参照)を見ると,第一案は、明治以降やってきた近代河川改修の方向論に則って進められている方法ですね。姫野さんの指摘のように、河川審議会で出された新しい思想は反映されていないと感じます。特に、堰ができた後の維持管理,それから耐久年数が問題ではないでしょうか。近代的な構造物は耐久年度が来ればどうするのかが、あまり考えられていない。寿命が来れば作り替えればいいと消耗品的に捉えられてきましたが、果してそれでいいのかと思います。
 それに対して第二案の方では、時間の経過を考慮しています。「近自然工法」による改修案というよりも,「持続的工法」による改修案という感じです。特に堤防に関する評価のところで,山口さんと姫野さんで違いがあります。多分山口さんはお分かりだと思いますが、山口さんは「堤防というのは土でできていて脆弱である」ということを強調されていたようです。私は、堤防は土でできているからこそいいのだと思います。千年経っても腐らないからです。空海が作った満濃池の堤防はいまだに生きているわけですね。それは大事なことだと思います。
 一方,鉄でできたものは必ず腐ってしまう。堤防を改築しようと思えば簡単に移設できるし、拡幅もできます。河川改修で堤防を土で作ってきた理由というのは、そんなところにあると思います。今後、吉野川が安全であるためには,一番いい方法は堤防をきちんと強化することです。第一案では、可動堰を作って安全度が増す区間は、せいぜい堰上流の5km区間ですね。私は、ダムは好きではないけれど、上流でダムを作れば数10kmにも渡って下流の水位が下がるわけですよ。ということで、可動堰と他の治水方法との費用対効果を比べた時に,可動堰はコスト的に疑問があります。だから,吉野川治水計画の中で何を第一優先順位に上げていくかといった時に,せいぜい5kmぐらい区間の水位低下であれば、可動堰以外の方法があるなと思うのが率直なところです。
 堤防をどう評価するかで、確かにある面では脆弱だけれども,ある面では何年経っても腐らない丈夫なものである、そういう二面性があるので、単に脆弱だと否定しないでいただきたいと思いました。

林/ データをめぐる解釈の違いを見ると、技術論というより治水観の違いがあるみたいですね。中央集権的に行政側が独占してきた技術(思想)を、今は住民の側も拮抗しうるにまでなっていると。だから,両者が協力し合う新しい治水観,治水のあり方が出てくると思います。現在の第十堰を、建設省はどのように評価されていますか。

山口/ 第十堰は、利水の施設として大変重要で,それによって下流の人々の生活が成り立っています。その施設が老朽化,壊れやすくなっていて、しかも治水上問題があります。可動堰を作っても、恩恵を受けるのが4〜5kmだと言われましたが、それをなくすためにやっているわけです。堤防強化も代替案の一つとして提案しています。これから細かいデータを提案して,付近に住む住民の生活、社会的な条件,治水上の安全性などをトータルで考えることになると思います。
 堤防を強化すると,これまで経験したことのない水位を地域の人々を実験台にして試すということになります。そんなことは本当にできるのか、危惧をしています。
 堰によって上昇したところへ計画高水量の規模がくれば、これまで経験したことがない水位になります。
 堤防は、河川工学上の経験的な積み重ねに立って作られてきました。シュミレーションを基本的には考えていないわけでないが、流域の住民の方々の生命と財産を実験台にして,洪水時に十分な機能を果たせるようなものを作らなかった場合に誰が責任を取るのか,こういった問題にまで波及をしていくわけです。
 堤防は、古い時代から営々として機能拡張主義で作られていました。江戸時代から現代に至るまで逐次作られてきていますので、工学上の計算等ですべてが推測できない。そこを考えながら代替案を評価し,考えていきたいと思います。

司会/ 意見の食い違いについて、姫野さん、どうでしょうか。

姫野/ この1年間、建設省と話をする機会が随分ありました。それは評価しています。ただ,最近になってズレが大きくなっている気がします。私たちは代替案を出していますが、第十堰を置いたままで、十分に安全性を確保できるのではとないかと思います。可動堰を作ることによって、たかだか4〜5kmの区間で水位が下がる、その費用と効果を比較すれば、堤防を強化して安全面を高める方が良いのではないかと提案しています。これに対して具体的な回答をなかなかしてもらえない。その一方で、過去に吉野川がどれだけ洪水被害にさらされてきたかを、県民にどんどんキャンペーンをしている。
 住民と行政が計画について、同じテーブルでディスカッションする「徳島方式」は、新しい川とのかかわり方の実践だと思いますが、その芽が徳島で出ようとしている時に、もっと深めるために、まともに議論を噛み合わせてほしいと思います。

司会/ 西口さんは、全国の河川を見てこられて,川に対する住民の意識の変化、行政との関係について感じられたことは。

西口/ 住民の意識の変化については、各地によってさまざまで、一般的な傾向はないですが、河川に関しては、環境面、親水空間に対する要求は強くなってきています。全国11か所で審議委員会が設置されていますが、日弁連が調べる限りでは,住民と意見を噛み合わせてやっている所は少ないようです。ここ吉野川ではかなりそれが行われていると思います。ただ,議論を聞いていると、審議会で住民の意見をどのように取り上げるのか,何を判断するのかが一切分からない。現実問題として、住民の意見を審議会でどのように反映させるのか、建設省の意見と対比させるような形でやるのかが問題です。
 審議内容では、一つは必要性、二つは安全性、三つは環境に与える影響だと思います。改築計画の必然性が問題になっていますが、これについてはこれまで審議されることがありませんでした。150 年に一度の治水安全度というのは、河川工事実施基本計画で決まりますが、実施計画に関して住民が意見を述べる機会は一切ありません。知事が意見を述べるぐらいでしょうか。住民の知らないところで「150 年に一度」が決まる。それが、いいのか悪いのかについて議論されたことがない。150 年に一度の場合には、どのような被害が起こるのか,その被害を回避する方法を河川だけに閉じ込めていいのか。最近建設省では、総合治水の考え方が出てきていますが、徳島の吉野川では、行政と住民の間で話し合いがされてきていますので、その議論を含めてやっていただければすばらしいです。

林/ 河道だけではなくて、山に雨が降って海へ流れ、また空へ上っていくという、大きな水循環全体を考えた治水ということですね。

大熊/ 河川工事実施基本計画で150 年に一度というのは、建設省で一方的に決めて「これで守って上げますよ」と言っているわけで、今まで住民は「ああそうですか」と受け入れるしかなかったのです。それに対して、「私の地域はこういうふうに守ってほしい」という提案が住民からあってもいいはずですね。1/150 の画一的な方法ではなくて,場所ごとに異なる治水のやり方があってもいいわけです。
 吉野川の中下流には、世界遺産にしてもいいくらいのすばらしい水害防備林がありますが、地域の人が保存してほしいとの要望を出していないですね。だから,1/150 で計算した堤防を作って,あの水害防備林を取り払ってしまう方法が進められていますが、それぞれの地域で水害防備林を利用して守ってほしいといった提案をやっていくべきではないかと思います。そこが、次代の治水として必要ではないかと感じます。

林/ 第十堰は、特徴のある治水施設ですが、坂本先生は第十堰をどうご覧になりますか。

坂本/ 徳島市、鳴門市、周辺の町などの、吉野川デルタ地帯に水を行き渡らせる重要な堰だと思います。暴れ川である吉野川の流れを受けて、240 年余りにわたってそこにあって、これまで何度が部分的に壊れたり流されたりしたけれど、その度に改修を重ねてきた、そんなプロセスを経てできあがった形です。
 結果としてそうなったのですが、生態系から見ると、第十堰は優れた環境を作り出しています。もちろん、人工構造物ではあるし,改修という人の手が入っていることも事実です。当初は、青石が並んだ堰だったのかもしれませんが、その時々の状態に応じて、テトラポット、コンクリートで補修したりして、長い時間をかけて形成されてきました。そんなふうに人と川が応答しあって作り上げてきた歴史が全部込められています。もう一度作ろうとしてもできるものではないですね。
 徳島デルタ地帯の人々、恩恵を被る人たちが、第十堰にどういう意味を見出すのか,その辺が重要ですね。ポジティブに第十堰を見ていきたい。
河川審議会の答申では新たな方向性が出ましたが、第十堰が形成されていったプロセスのなかに、さまざまなヒントがあるはずです。それはとても大切なことです。堰の特質を重視しながら、かつ安全性を高めていくことがポイントだと思います。矛盾しているようにも見えますが、建設省には第十堰を生かしながら、安全性を高める技術が求められています。
ぼくたちが「あの堰はもう役に立たないんだ、あれはもう時代遅れなんだ」と言い切れるのか。また、どういう意味で時代遅れなのか。自然に馴染むものを新しい技術思想で作ることを明確にして、きちんと住民と対話をしてほしいと思います。第十堰を簡単に壊してはならないだろうと思います。それは、ぼくの思い入れですね。(会場拍手)

林/ 第十堰を肯定的に評価する技術もあっていいのではないか、治水に対する考え方が多様化しているなかで、それぞれの地域ごとに多様な取り組みがあってもいいのではないかという話が出ました。審議会との河川審議会の答申とのかかわりで、市民がどう取り組んでいったらいいか。そこで、各地の取り組みの例をお伺いしますが、まず、地元の姫野さん。

姫野/ 第十堰は、私たちが子どもの頃から、単なる利水の施設ではなくて、在所の人々にとっては、四季折々の暮らしのなかに本当に溶け込んでいました。たとえば,昔の堰は石畳のようになっていて、水が通過する時に音がするものですから、その水の音を聞いて増水の程度を判断していたのです。どれくらい水が増えたのかな、避難を考えなければならないかな、などといろいろなことを感じ取ってきたのです。春になれば堰の上で行事があったし、人と川とのかかわりを体験しながら現在に至ってきたものだと思いますね。ところがややもすれば、川に対する施設を、これは利水、これは治水というように機能的に分断してしまって、その結果、人が川から排除されていったのではないかと思います。ですから今度の河川審議会答申では、今までは川とのかかわり方が、洪水、渇水などの非常時への対応に終始してきたことを反省して、365 日,川に対してかかわっていこうと呼びかけてるんですね。全くその通りだと思います。第十堰を見つめ直すとき、しなければならないのは洪水キャンペーンではなくて、吉野川に対して365 日,人々がどうかかわっていくかを、住民と川の管理者である建設省が一緒になって考えていく。そんな視点でぼくたちはやってきましたし、少しは進んできたかなという気はします。

坂本/ 質問してよろしいですか。姫野さんたちの第十堰に対する思いを聞いて、建設省の人は、第十堰に対してどういう個人的な評価をされるのでしょうか。

大西/ 自分たちの小さい時から馴れ親しんで吉野川の風景に溶け込んだ,すばらしい堰なんだとのお話ですが、その通りだと思いますし,可動堰に改築する際に、そういった考え方をどのように取り込んでいくのかが重要な課題だと考えています。

相楽/ 横浜の鶴見川の大沢さんに伺います。

大澤/ 私たちの鶴見川は、水質が汚くてワースト3になってしまいました。そこでは、流域の44団体が集まって活動をしており、鶴見川流域ネットワーキングと呼んでいます。市民だけで川をきれいにできるわけはないので、流域の自治体、あるいは河川管理者の人たちと一緒になって考えています。川に関しては私たちも加害者であるということが、川を知れば知るほどわかってきました。だから、いろいろな意見を持っている人たちと手をつないで考えていく必要があります。時間とエネルギーがかかりますが、継続することの大切さを、ここ数年のネットワーキングで感じています。河川管理者に対して、市民団体だけではなく、農業、漁業に従事されている人、上流に住んでいる人、外から来る人,さまざまな立場の人の意見をぶつけて時間をかけて考えたらいいと思います。河川管理者の方にお願いしたいのは、期限を決めてしまわずに議論の成熟を待って計画に反映させてほしいと思います。

林/ 川と市民のパートナーシップ、市民と行政のパートナーシップなど、パートナーシップに関して、全国の実例を紹介していただけますか。

相楽/ 新潟の例ですが、行政と、地元の住民の方と、私たち「新潟の水辺を考える会」で話し合っています。住民行政をやっているネットワークでスタートした事例ですが、私たち「水辺を考える会」のなかから市会議員が生まれまして,会場に来ていますので話を聞いてください。

会場/ 川の問題は、誰かが責任を持って何かをするということではなくて、それをテーマにして、住民、行政、専門家が集まって作っていく、その過程で住民の行政参加、政治への参加までを考えながらやっています。ここはこういうふうにした方がこの地域にとっては一番いいのではないかと、天の声が聞こえて,それがその地域で展開されて環境整備が行われるのですが、実はその成果を住民、あるいはその地域が使いこなしていない。これは住民と行政をつなぐものがないからだと思うのです。行政はしてやった、住民は迷惑だった、思ったことをしてくれなかった、ということになるでしょう。そこを乗り越える手法を、問題意識を持って取り組んでいきたいと思います。

相楽/ 東京の多摩川では、住民と行政と企業がすでにNPO を発足させて行動している例があります。

会場/ 多摩川センターは、ボランティアではなく専従を置いて、交流を図るために拠点を作ろうして始めたNPO です。多摩川には、昭和49年の水害をはじめ、いろいろな問題がありまして,河川行政のモデルとして位置づけられてきた川です。住民の意識は高いのですが、具体的に河川環境を維持するためには力が足りない。河川管理者対住民の関係で、押し切られてきたような歴史があるので、20〜30年と時間をかけて多摩川に関する情報の拠点にするとともに、そこで専従で働く人たち、いわゆる多摩川のプロとしての人材養成をしていきます。住民の視点に立った川づくり、長期計画に立った川作りをする拠点です。
第十堰の問題が治水問題というマニュアルで語られているような気がします。市民の意識,吉野川らしさを、行政とともに川づくりの中に生かしていけるような仕組み,仕掛けを作っていく必要があります。問題が起きてから対応するのではなくて、継続的に吉野川を考える住民レベルの拠点を作り、長期的視点で考えていく。多摩川ではそれを実験的に実施している段階です。

林/ いくつか重要なアドバイスがあったようですが。

相楽/ 多摩川では具体的に提案できる仲介役がいる、あるいは川守りがいるということを評価したいと思います。

林/ 成功のポイントとしては・・・。

相楽/ 物事には作り方と使い方があると言われています。物を作る際、作り方を議論して,作り方に対してどんな使い方があるのかという議論は大切です。計画に先立って、吉野川とは何かを話しあううちに、第十堰、新しい可動堰の評価が考えられるのではないでしょうか。

林/ 河川審議会の答申をどういうふうに受け止めているかについて,建設省の大西さんにお聞きしたいんですが。

大西/ 河川審議会の答申に対する受け止め方を一言で言うと、やはり建設省も今までのやり方からは変わらざるを得ない。社会のニーズに応じて考え方を変えていく必要があると思います。
 河川事業では、合意形成をしていくむずかしさがあります。現場に出て肌で感じることは、一層住民の意見を広く取り入れて、事業に生かしていこうという方向については議論の余地がありません。その方向は全く正しいところです。ただ,河川事業、特に治水についてはめったに来ないような非常時に備えて,経験工学の積み重ねで過去の経験から危険だと思えば潰していかなければならないところがあります。危機感をあおって過大なことをやっているのではないかと言われます。それは間違いだとは言い切れませんが、私たちも少しでも危険性の目を潰しながら,より安全にしていく気持ちを持っていることを理解していただきたいと思います。
 河川の事業の場合,地域の点でなくて,流域全体のことを考えるべき事業です。なかでも、上下流の問題。たとえば,上流ではダムで水没し、その受益は下流にいきます。それから左右岸のバランスの問題。たとえば,左岸側に堤防を高く作って,左岸側をより安全にすればその分右岸側の安全度は低くなります。左右岸、上下流のバランスの問題,既得権利、自然環境を構成する複雑な要因など、一筋縄でいかない合意形成のむずかしさがあります。

林/ 河川審議会の答申で、民意を事業にどう反映させるかについてはどうでしょうか。大西/ いろいろと議論していますが、今のところ具体化されていません。住民と言っても、いろいろな意見、それぞれの利害、考え方、哲学があります。しかし、行政と住民の対立の図式として住民参加を考えるのではなくて、パートナーシップを持って合意形成をすることが求められていると考えています。

林/ 徳島県の立場で、河川審議会の答申をどのように受け止めていますか。

綿澤/ 県が行おうとしているダムが2〜3あるわけですが、事業がまだ具体化していませんので、審議会に民意をどのような形で生かせるかを答えられる時期ではありません。河川の断面図等の話については、今までにやっている事業ですので、私どもの解釈としては今までの延長線上で進めたいという意見です。建設省と住民団体の意見が四つに組んだような形ですので,審議会の意見が通っているかと言えば,通っていないという皆さんの感想かもしれません。それ以外についてはできるだけそういうような形に添うように進めたいと思っておりますし,現に進められるものについては進めております。審議会の答申は、生かせるものについては今も生かしておりますので,その点はご理解いただきたいと思います。

林/ 第十堰の問題が一種の試金石として、県の手腕が試されていると思います。何か具体的なことをお考えですか。

綿澤/ 現在,4回めの審議会まで進んでいます。公聴会を10月頃に開くという形になっており、河川審議会の意見,答申に添ったような形になってくると感じています。

林/ 行政側の河川審議会答申に対する認識について,大熊先生、坂本先生はいかがですか。

大熊/ 上流・下流の対立,左右岸の対立については、江戸時代から明治の初めごろは住民同志が対立をしていました。そこへ近代的な技術を持った行政が間に入って仲介し、堤防を大きくしたり堰を作るといった技術力で矛盾点を吸収していきました。それが、明治以降の百数十年の治水の歴史だと思います。
 それがいつのまにか、行政対住民という対立に変化したわけですね。河川審議会の答申は、それぞれの地域ごとの文化や自然を大切に考えていこうと言っています。そうすると、地域間で対立が起こってきます。それをどうするかとなると、民主的に議論するしかありません。明治や戦前は無理でしたが、戦後50年、民主主義を受けて今は議論ができる段階になってきています。行政にいる技術者が仲介者として,技術的な代案をいくつか提示して,それを住民が話し合って選ぶというのが本当のスタイルではないかと考えています。
 平等かどうかを考える時に、地形条件によって基本的に不平等が生じているわけです。吉野川の場合は,岩津という狭窄部があります。前後が1km近い川幅があるのに、その地点の川幅は約150 mと狭くなっており、地形的に不平等が強いられているわけです。だからといって、それを平等にすることは問題がある。今の技術力なら、たとえば狭窄部を広げることもできるでしょうが、それぞれの地形条件,歴史,文化を,大切にしながら地域住民同志で議論するということが大切です。
 今回の河川審議会の答申の前半はいいですが、後半に、ダムを作らなければならないよという部分で、画一的に上から降ろそうとしている。点数を付ければ70点ぐらいだと思います。次回にはもっといい答申が出てくることを期待しています。

坂本/ 筑後川の下流域では、干満の差が大きい有明海のために満潮時に排水がしにくいという厳しい条件があって、堀、クリークを掘ってきました。その際に、右岸と左岸、上流側,下流側,あるいは集落ごとに治水をめぐって対立があるのですが、全体としてはバランスが取れています。地元の人に聞くと,自分で律するというか自己コントロールして、対立のなかにも相互に調整ができています。そうして、だんだんと土地に合ったような形ができていく。そんな、技術と知恵から学ぶところは多いだろうと思います。
 もう一つは、住民参加という言葉ではなくて、行政参加ではないかと思います。まず、住民が主体的に判断し、それを行政が判断し、協力、参加する、あるいは調整するという関係ができれば、地域の状況、風土に応じて技術と自然がうまくつながる可能性があります。第十堰でも、川との付き合い方をどう生活の中に持ち込むかという発想が求められています。事業者側もその方向性ですすめるべきです。

林/ 会場の意見はどうでしょうか。

相楽/ 「安全に対する住民の選択があっていいのではないか」という意見。「危険な地域に住む住民が選択すべきとの意見」「長期的に川づくりは川を共有財産の視点で考えるべき」との意見。「住民が協力していくための情報、交流の拠点が必要」との意見。「審議会がどのような人が選ばれて,どう公開されているのか」「住民が参加できる審議会が待たれているのではないか」との指摘がありました。

林/ 第十堰の改築に関して審議会が設けられていますが、住民参加についてはどんな状況でしょうか。

姫野/ 第十堰の審議委員会が発足して,4回の審議がありました。審議委員会の趣旨については、計画の是非を地域住民の意見を反映させて決定しようとするもので賛成です。しかし、そのためのプロセスが確保されているかどうかが問題です。
 第一の問題は委員の人選の問題です。人選については,枠組みが決められていて、行政の委員が過半数,残りが学識経験者で発足しました。これについて、公正とはいえないのではないかと批判が続出しました。
第二に、住民の意見を反映させる審議委員会なのに,住民に非公開で始まりました。この点についても、市民から非難が高まりました。それを受けて、途中から公開に変わりました。ただし、10人しか認めないという限定つきでした。希望者全員が聴取できるように変えてほしいと思います。
 肝心の審議については、是非を審議するというところまでは行っていないようです。これは住民の意見を反映するための見直しのシステムですから,審議委員だけが審議するのではなく、住民が実態、情報を知るためのプロセスを入れてもらいたい。それを集約して、審議委員会が機能する形にしなければいけない。公聴会は、そのような趣旨に沿うものでなければならないと思います。

林/ 審議委員会の委員の人選、あるいは情報公開について,建設省の人に。

大西/ 審議委員会の人選について、行政側の枠を作って行政側からしか出ていない、あるいは、事業を推進する立場の知事が人選をするのはおかしいという意見があります。自分たちが委員を推薦して委員会を設置すると、事業推進のための審議会になってしまうので、建設省自らは人選はできません。
 それでは、誰に委ねるのかということですが、立候補してもらって投票で選ぶなど、さまざまな議論がありました。しかし、間接民主主義の思想からすると、自治体の長が地元の意見を代表する、地域の総合行政を担う代表者となっているので、審議委員会の人選は知事にお願いするのが一番よいと考えました。
 情報公開についてですが,これにつきましては、皆さんに分かっていただくための情報公開の努力を怠ってきたところは、正直言ってあると思います。皆さんに分かってもらうために技術的な情報をどんどん出していくことを始めています。まだ出ていない情報があるという指摘があるかもしれませんが、出せるよう、今後も努力していきたいと思っています。


活動報告「ダム・堰にみんなの意見を反映させる県民の会」/武田真一郎

武田/ 徳島大学で行政法を担当しています。「ダム・堰にみんなの意見を反映させる県民の会」が設立されたのは,95年の7月です。きっかけは、建設省が全国のダム・堰等の事業の見直しを図るために審議委員会の設置を決定し、徳島県では、吉野川第十堰改築事業と、那賀川細川内ダム建設事業が対象になったからです。
審議委員会設置の趣旨は、事業評価の透明性,客観性を高めるシステムと掲げられています。これは結構なことだ、建設省もいいことを言うようになったなと思いました。そんな前向きの目的であるならば、われわれも協力しようとこの会を作りました。事業に反対している会、国の事業に逆らう不埒な団体と思っている人が多いようですが,そうではなく、建設省の趣旨に賛同した建設省の私設応援団、審議委員会の私設応援団です。(会場笑い)
 活動方針ですが、公共事業の決定の過程に民意を反映させる,公正なものにする,そのための手段を考えるということに尽きます。賛成、反対の結論が先にある住民運動が多いですが、私たちは、賛否は問題にせずにどうすれば民意が反映されるかを考えようという趣旨です。だから,第十堰は可動堰にすべきだ、細川内ダムは必要だと住民が納得すれば、やはり作るべきだと考えています。逆に、理解が得られない、やめた方がいいというのがみんなの意見なら、それはやめるべきです。住民に情報を公開し議論して,住民が正しい判断ができるようにしてほしいというのが私たちの目的です。
 適正な結果は適正な過程から生まれます。結果だけを注目しがちですが、物事は過程が重要です。男女の仲なら、最初から過激なことをしたら失敗しますね。もっとも、恋愛は途中で飛躍が必要ですけれども,法的な手続きの方は飛躍があったら困ります。
 我々の会では、これまでに14回懇談会を開いて、技術的な問題、制度的な問題を勉強してきました。そして、審議委員会にいろいろな提言をしてきました。具体的には、委員の構成、審議の公開、議論してほしいポイント、公聴会は民意を反映させるために配慮してほしいなどといった要望を出しています。今のところ、結構聞いてもらっているという印象を受けています。大きな成果として、審議の公開,傍聴が認められたことです。審議委員会設立の趣旨が事業評価の透明性を高めるということですから、黙っていても公開してくれると思い、第1回の審議委員会に先立って、審議委員に手紙を出しました。「入れるよう手続きしてください。決議された段階で審議している部屋へ入れてください」と。そして、当日会場へ行きました。招かれざる客ではないかと思いながら行くと、建設省が我々の部屋を取ってくれていました。お茶が出てサービスがいいなと感動しましたが、その部屋が会場からかなり遠いところにあって、疑り深いメンバーは「我々は隔離されたのか」と言う人もいましたが、私は善意に考えますので,これは建設省のご好意であったと理解しています。
 第1回めの審議委員会が終わった際に,住民が入っては駄目だということで愕然としました。その理由は、「住民を入れると審議が混乱する」「住民が見ていると本音の議論ができない」ということでした。私たちは暴れるつもりはないし,公的な問題ですから、住民に聞かれたら困るような議論では困ると盛んに言いました。その結果、世論が高まって、第2回の審議委員会から10名に限り公開と改められました。
 今年の1月には、「県民の集い」を開催しまして,建設省の山口さんにも出席して事業説明をしていただき、それに対して住民側が疑問点を出して討論しました。これまでは、行政と住民がともに議論することがほとんどなかったので,画期的な試みでした。交通の便が悪い会場で、人の集まりが悪いのでないかと憂慮していましたが、定員200 人の席が足りなくなりました。かなり県民の関心が高いと思われます。
 今年の7月には、会の設立1周年記念として、「吉野川BOOK1」という本を出版しました。1冊700 円で、プロの写真家が撮った吉野川の写真も載っています。ぜひ、お買い求めください。売れ残りますと、これを背負って吉野川流域の町々に行商に行かなければいけませんので。(会場笑い)
 第十堰をめぐる徳島県の民意の動向を報告します。徳島県の県議会は、以前に第十堰の改築を議決しています。最近、吉野川流域の町議会で改築の促進を議決するという動きが盛んになっています。平成8年の3月に石井町(堰の右岸の町)で議決されています。6月には吉野川北岸の板野郡の板野町,松茂町,土成町,吉野町の各町で議会が改築促進の議決をしています。第十堰の改築は住民の代表が決めたこと、住民が選んだ知事も支持しているから正当性があると言われます。
 しかし厳密に考えると、議決が住民の民意を反映しているか、疑問が残ります。去年の6月に徳島新聞が堰改築の世論調査をした結果は、第十堰改築計画に賛成する人は27%,これに対して反対は42%で、反対が賛成をかなり上回っています。
 県議会の議決を経たといっても、実は議論されたのは昭和40年代と50年代で、10数年前です。それ以後、環境、公共事業,税金の使い方に対する住民の意識は大きく変わってきていますので、果たしてこの県議会の決議は現在の民意を反映しているかどうか疑問です。
 平成8年6月の各町の議決について、どういう過程で議決されたのか興味があり、議事録をみようとしましたが、6月分はまだ調製されていませんでした。最近の新聞報道によりますと、板野郡の各町の議決というのは郡の議長会で提案されたらしいですが、この決議文の素案も議長会の事務局が作成してそのまま各町が議決しています。これで本当に民意が反映されたのかどうか、疑問に思わざるを得ないですね。
 石井町は3月の議事録ができていたので見ましたが、3月議会の最終日に議員提案されています。その提案は説明なしに決議文を朗読しているだけです。その後「現時点で促進を決議するのは問題があるから保留した方がいい」という議論が1件だけあって、「他に討論はありませんか」と議長が言うと、「討論省略」という声が上がっています。それ以上一切の議論はなされないで,他の議案と一緒に一括して決議されていました。第十堰にはさまざまな議論があるわけですが,それにはほとんど触れないで形式的に議決していると言わざるを得ない。
 以上の例を見ると,選挙で選ばれた議員が決めている,選挙で選ばれた知事が推進したといっても疑問です。議会が、住民の争点について、正しく民意を反映するとは限らないことを認めざるを得ないのです。議員は選挙で選ばれますが、選挙の時に争点になった問題については民意が反映される可能性が高いが、争点にならなかった問題については必ずしもそうとはいえない。ある意味では、間接民主制の宿命かと思います。議員は住民の信託に答えて民意を反映させるのが当然なのですが。
 新潟県の巻町で、原発の是非をめぐる住民投票が実施されますが、議会がきちっと民意を反映して意思決定をしていれば,住民投票の議論は起こらないですね。
 議会と、住民の意思が離れてしまった場合に、その間隙を埋める制度、運動が必要です。住民参加、審議会方式、住民投票というのは、間接民主制の限界を補って,民主主義を健全にしていく意義を有している。審議会制度は、そういう流れに位置づけられるので、私たちは、民主主義をより成熟したものにしていくための活動をしていきたいと思います。

特別報告「アメリカの水管理と住民参加」/ニコラスG・オーメン
                    吉屋 顕一(通訳と解説)

吉屋/ 日本生態系協会のアメリカ事務所長の吉屋です。一市民として参加したいとニューヨークからかけつけました。通訳のお手伝いをさせていただきます。
 アメリカでは、ミシシッピー川の大氾濫があり、行政が省庁の枠を越えて市民とともに1年かけて21世紀の水管理についての報告書を作り、政府に提出しました。日本生態系協会では、これを翻訳して政府関係者、一般市民にお配りしました。この報告は、21世紀に向けてアメリカが取り組もうとする大きな目標ですが、単なるビジョン(理念)ではなくて,アメリカですでに行われている実例として、失敗談も含めて皆さんの参考にしていただけるのではないかと思います。
 ニコラス・オーメンさんは、フロリダ州政府の機関である「南フロリダ水管理公社」の職員です。南フロリダの水管理に関して、全責任を負う行政機関です。
 南フロリダ水管理公社は、それまでの治水・利水だけではなくて、3本目の柱として「環境」に力を入れるために組織改革をし、法律を整備して,生物学者,水利学者,植物学者など大勢の専門家を70数名雇って調査をしてきました。オーメン博士は、以前は大学で生物学を教えていましたが、その部門の責任者として博士が招かれました。今までは象牙の塔のなかで教えていたわけですが、実際にフロリダを改革する行政の一翼として参加していただきたいということで,5年ほど前に参加されました。

オーメン/ 行政のなかで働いている職員の立場でお話をさせていただきます。
 フロリダ州政府を始め、行政機関が大きく変わってきましたが、これは一夜にして起こったことではなく、過去20年ほどにわたります。私たちの公社は1948年に設立されましたが、現在は1,600 名の職員を擁し、来年度の予算は500 億円という,大きな組織です。当初の目的は洪水のコントロール、農業、経済活動、市民の飲み水を提供する利水でした。近年、一般市民の要望、圧力が激しくなって、治水・利水の管理のみではなくて、環境の保全,特にエコシステム(生態系)の復元を目標に加えました。
 大きな変革の中で,自然の生態系を復元する際に一般市民が果たした役割,システムについてお話しますと、1972年にアメリカで環境基本法が制定され、連邦政府の省庁が、ダムや道路などの施策を行う際に環境に与える影響を考慮しなければならなくなりました。EIS(environment impact statement) と呼ばれていますが、日本のアセスメントより強い意味があり、事業を計画する際に市民の意見を聞きながら,どんな悪影響があるかを科学的に調査をして報告書を公開しなければなりません。そして一般市民のあらゆる意見を取り入れて公表し、合意を元に進めていきます。これはすでに1972年のアメリカの環境基本法に要求されています。
アメリカは50の州の共和国ですから、それぞれの州政府が環境法を持っています。重要な決定においては,必ず住民が計画から実行までのすべての段階に参加することが義務づけられています。
なかでもフロリダは、州議会が「サンシャン・ロー」(Sunshine Law)という法律を制定しました。ガラス張り行政というべき、白日の元にさらけ出して一切隠しごとをせず、すべてを公開していくという法律です。この法律が要求していることは、行政の持つ情報は、すべて市民が知るべきものとして、会議のメモ、議事録,電話での録音会話,E-MAIL( パソコン通信) 等、要求されればすべて提出しなければ法律違反になるというものです。
重要な決定事項を行うような会議があれば、必ず3週間以上前に、いつ,どこで、どんな議題で行うのかを公表し、住民の参加を求める法律があります。フロリダの場合は9人の Governing Board( 統治委員会) があり,住民が参加できるようになっています。この9人のメンバーが公開討議をしますが、それだけでは公正さが保証できないとして、2人以上のメンバーが打合せをする際に、誰と誰が何日の何時から電話で,あるいは会議をするから興味のある人は参加して下さいと,こんなことまで公開しなければなりません。陰で談合が起きないよう法律で厳しく監視しています。
 フロリダ州の環境保全に関する法律は、行政が市民の利益に反することを一方的に決めて事業を進める場合は、裁判所に訴えて,判決が出るまで事業を止めさせる権利を保証しています。
 単に法律を守ればいいというものではなく、私たちの公社では、法の精神に則って、書いてある以上のことを実施しています。最初から市民を招き、決定段階までを含めて住民参加を促進することに努めています。
 市民の意見を提供するパネルを別に設けており、市民団体、議会関係者が参加し、事業計画のアイディアの段階から見せてもらって検討し、意見や要望を求める制度があります。
 予算については、全部公開して、来年度の予算を編成する際に意見を言ってもらいます。手続きとしては、9人の統治委員会が、月に1回,2日間,公開で決定します。1日目に情報を提供して検討してもらい、2日目に投票で決めます。
そのためには、科学的な情報が必要です。私たちのリサーチ部門では,調べたデータをすべて公開し、専門家に依頼します。これによって客観的な判断,正しい判断ができるようにしています。それをさらに保証するために、結論を出す前の生データを国際的にも知られた専門のジャーナル,論文を出す雑誌に提出します。そして,データから結論に至る過程を専門家に追証、再検してもらいます。データの判断が、科学性、客観性を持っていることを確認してもらうわけです。
 このような過程を通らなければならないわけですが、これには時間がかかるし、なかなか決まらないこともあります。しかし,あらゆる人の合意を経て事業を進める手続きを踏むことによって、長期的、全体的な観点でみると、いい結果になるのです。
 市民に参加してもらうために学んだ点を三つ挙げておきます。
 ひとつに、法律の整備が基礎として必要です。そして、行政は字面に従うだけではなく、法の精神をより深く汲み取ってすすめていくことが極めて重要です。
 ふたつに、対立する利害関係者を含めて,みんなが集まって議論することです。それには、合意の指針となる共通の目標が必要です。フロリダでは自然の保護,これ以上環境を壊さない,必要ならば元に復元するというビジョンを持って,利害が対立しながらも譲りあっています。生態系の保全という目標を行政が設定しても、計画を行政が一方的に決めるのではなくて、再度ボールを市民に投げ返して、市民の責任に帰していく。自分たちの地域や国をどうしていくかについて、究極的には住民の責任の所在を指摘しています。
 三つに、計画の策定段階からパネルを設置して、すべての段階で住民参加が確実に保証されていることです。専門家が決定することが最善だと思っていましたが、実際に市民参加の形でやってみると、大勢の意見を集約することにより、はるかにいい案ができあがりました。こうしたことは何度もありました。
 日本に来た時に東京入りして、明治神宮を訪問する機会がありました。そこに英語の説明が掲げてありました。五箇条御誓文ですが、その第一条に、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」,重要な問題はみんなで討論してみんなで決めなさいと,明治天皇が宣言されていたことが印象的でした。
 最後に、お招きいただいたことにお礼を申し上げるとともに,お互いの過去の失敗、良かった点を学びあうことは,極めては重要だと思います。今後とも交流を続けられればと願っています。ありがとうございました。

注)Dr.Aumenの表記は、実際の発音に近い「オーメン博士」とさせていただきました。

林/ 第十堰の問題を通して、その背後にある住民参加と情報公開について話し合ってきました。「地域ごとにさまざまな治水のあり方があってもいいのではないか」「第十堰を再評価する思想もあるのではないか」「河川審議会の答申を受けて,建設省も変わらざるを得ない」という発言があり、今後の合意形成の重要な点ではないかと思いました。みなさんの感想を。

西口/ 第十堰の審議会で、住民意見がどのように集約されているかを知りたかったのですが、審議会はそれをしていないようです。住民が意見を言う、その意見に対して事業者である建設省は回答する義務がある。回答する上では、必ず理由と資料が必要です。それに対して住民が新たな意見を述べることによって、初めて意見が噛み合う。それが合意形成であると思います。ところが,その手続きがされていないことが問題です。
 環境庁が環境アセスメント法を作る際に、ファックス、郵便、インターネット等、さまざまな方法で住民から意見を求めましたが、住民の意見を集約する方法は、審議会以外にもいくらでもあります。議論を噛み合わせて、建設的な意見を出しあってほしいと思います。

坂本/ 以前に「長良川河口堰は問題だ」と発言すると、建設省の人が訪ねてきて「なぜ反対なのか」と、議論したことがあります。「アメリカでは環境アセスメントをやっていますよ」と言うと、「膨大な資料が必要で本当に大変なことを知っているか」と言うのです。代替案を示して評価をして公開するという手続きを踏むと作業が膨大になり、行政も市民も大変だということです。アメリカでは、公開しながらアセスメントを行う過程を経て事業が進行していきますが、日本の場合は、アセスメントを怠ってきたツケが回ってきていますね。審議委員会を作ったり,公聴会を開いたりしていますが、もっと思い切ったことをやっていくことが,長い目で見ていい結果になるはずです。
 第十堰改築の代替案を明確に議論することが、100 年先,200 年先を考えた時に,道を間違えないだろうと思います。私自身は第十堰の良さを残した形で決定が下されることを望んでいます。

大熊/ オーメンさんの報告を聞くと、アメリカは成熟した社会だなと感じました。日本は、地域の水利紛争等を解決する上で、江戸時代は一定の成熟した段階に達しましたが、明治以降近代化のなかでその手法を失ってきました。住民参加によって、対立する問題を調整する方法を確立する時代に来ていると感じました。アメリカでは20年前からやり始めたので、日本は20年遅れています。私は、河川法を改正して、「環境」という思想が必ずそこに入ることと、市民参加の手法を法的に整備しないかぎり、審議会を建設省のお恵みでやってもらっている感じがしますね。法律で国民の権利というものをきちんと押さえてほしいと思います。
今入った連絡では、河川法改正の審議に入り、河川制度小委員会が河川法を改正する検討を始めたということですが、大西さんからコメントをいただきたいと思います。

姫野/ 今まで建設省と話をして、第十堰が悪いとは言われても、第十堰を評価する話は一度もありませんでした。第十堰について今まででなかった見方が皆さんから出てきました。川に関心があるいろいろな立場の人が,それぞれの意見を出し合うことで、新しい時代に一歩踏み出したのではないかと思います。240 年の歴史を持つ第十堰に対して、流域の人々が非常に愛着を感じていて、さらにもっといいものにしようと知恵を出し合っていく。その共通認識を大切にして、議論を積み上げていきたいと思います。

綿澤/ アメリカでは、市民が議論をして、譲り合うところは譲り合うということが印象に残りました。最終的に市民の責任に帰していくということで、議論と責任を分けて考えている日本とは違うなと思いました。

山口/ 市民参加,情報公開がこれまでのシンポジウムでの重要な課題でした。住民の方々と会して、一定の合意を得るということについては、確かに十分な状況に達していないと感じています。私どもも大きく反省をするところがありますし,住民も一定の公共性に向けての努力をすべきだと考えています。アメリカの方法がいいということではなくて、地域の人々が一定の制約のもとで合意をすることですから、徳島には徳島の方法があっていいはずだと思います。ぜひ、地域の方々と科学的な議論を積み重ねて,一定の合意をもたらすように努力していきたいと考えています。

大西/ 吉野川というのは、みんなに心配をしてもらったり、思いを込めてもらって、本当に幸せな川だなと感じました。
 私は、住民参加のシステムという観点から招かれたわけですが、住民が参加して意見を述べることについては誰も文句はないでしょう。住民参加が第一歩とすれば、私たちは二歩めを目指していかなければならないと思います。
 二歩めに当たって,クリアーしなければならない問題があります。それは、計画に対する最終的な判断を誰がするのか。その判断の責任は誰が持つのか、ということです。
 三つめは、100 %の合意を目指しても合意にいたらない場合、つまり平行線になった場合に、意見のすり合わせをどうするか。そこまで議論していかないと,住民参加が掛け声だけで終わってしまう可能性があります。
 河川法改正の話がありましたが、河川審議会等で検討することになっていて、検討が始まったところです。ダム事業審議会は法律上の位置づけがありませんが,河川審議会は、建設大臣の諮問機関として河川法で位置づけられています。ですから河川審議会に諮って方向づけをしていきます。その方向として、「良好な河川環境の整備、保全や地域の住民の意向を反映するための制度づくり」です。まさに、法改正をしてやっていく姿勢を打ち出したところです。個人的には、審議会の議論については非常に興味を持っています。
 先程、「建設省も変わらざるを得ない」ということを口が滑って言ってしまいましたが、ここで訂正させていただきます。河川審議会の答申を受けて「建設省も喜んで変わっていきます」。(会場拍手)

林/ 住民参加の場合に、誰が判断するのか、責任は誰が取るのか、合意形成を図る場をどう設定するのかですね。こうしたシンポジウムも市民団体の熱意で開催していますが、行政側から住民の意見を集約するシステム、議論する場を徳島流ということで、山口さんは何かお考えですか。

山口/ 徳島でどのぐらいのものができるのか,今後の展開しだいだと思っております。審議委員会、公聴会は、もっと開かれた形で運用されると考えておりますし,他の地域のことはわかりませんが、徳島は(住民参加、情報公開を)させていただいている方だと考えておりますので,ぜひそういう方向で今後もがんばっていきたいと思います。

林/ 姫野さんから、可動堰案と代替案の比較表がありましたが、近自然工法による代替案についてどう評価していますか。

山口/ 代替案を含めてトータルで意見を提出させていただきたいと思っています。姫野さんの案も、どういう形かわかりませんが、(検討の対象に)入ってくると思います。私どもも、いろいろな形で情報を提供していて、事務所の中に閲覧室を設けておりますが,見学者が少ないと考えています。積極的に情報の公開をやっていますので、ぜひ徳島工事事務所へも来ていただきたいと思います。

林/ 姫野さんの代替案について、個人的な評価は。

山口/ どの案がいいとか悪いとかを申し上げに来たのではありません。なぜ、可動堰になったのか,代替案はないのかと聞かれているわけですから、その一環として私どもの考え方を提示し,ご批判を受けて前へすすめていきたいと考えています。

相楽/ 大西さんが情報公開について、「分かってもらうために」と言われましたが、「分かってもらえない部分の批判を受けるため」に公開する部分がありますので、そこが気になりました。山口さんが、河川審議会の答申を前向きに捉えてがんばるということを言われましたが、ぜひ、やっていただきたいと思います。
 住民の意見の反映については、綿澤さんが言ったように、誰が責任をとるのかという場合に、市民側が責任を取れるような主体がまだできていない現実からして、先程の多摩川センターのような拠点をたくさん作っていくといいのではないかと思います。第十堰をめぐる議論が住民と建設省で食い違っているのは、吉野川をどうしたいかという共通目標がないからではないでしょうか。
 近自然工法のゲルディーさんなども市民参加について、相当言っています。外国の例ですが、行政がワークショップなどをやっていて、健康問題、老人問題などいろいろな問題を扱っています。ぜひ、お願いしたいのは,川づくりの問題も全員参加型でやっていく,そのためには「共働」という考え方ですね。住民投票というのは,ある意味では極言の選択で、できれば、その前の段階で理解しあうための土俵づくりをすすめていただきたい。吉野川は自然が残されている川なので、その評価を含めて全国に模範となるような川づくりと,住民参加のシステムを作っていただければ勇気づけられますね。

吉村/ 私は、市役所の職員で河川の仕事を17年ほどやりながら、市民運動をするという二足のわらじを履いてきました。第十堰の改築計画は昔から進められているということですから,当時の決定者ではない山口さん、大西さんは、個人的には住民の価値観と近いものがあって、内心忸怩(じくじ)たるものがあるのではないかと想像します。私も河川工学をかじっていますので、第十堰を撤去しなければならない理由は、率直に言って苦しいかなという気がします。固定堰であるから危険だと言われますが、建設省は、日本の川で固定堰をたくさん作ってきていますね。たとえば,多摩川の宿河原堰による堤防の決壊のことを持ち出して,第十堰も危ないと言っていますが、責任の負い方からすれば、建設省は、あの固定堰を撤去して可動堰を作ってなければならないですが、おそらくそうではないだろうと思います。
 人間が川にかかわっていく,人間が暮らしていくことが、川や生き物に大なり小なり影響を与えているわけです。人間が作る物がすべてを解決する物ではなくて,固定堰は固定堰としての長所、短所があり、可動堰にも長所、短所があるわけです。オーメン博士の指摘のように、また、河川審議会の答申にもあるように、今の時代の合意形成のひとつの基準が、生物の多様性の保全に関する条約に日本が加盟した点に表れています。人間と生物を含めて,持続的な開発が可能な社会をめざす視点が求められていると思います。第十堰の改築計画がなされた昭和50年代には、そんな視点はまったくなかったと思います。治水が大前提で、生態系は考慮されていなかったのではないでしょうか。「持続的な発展」を、私たち一人ひとりが目標にすべきです。それを前提にして、白紙に戻して考えてもいいと思います。
 西口さんは「行政は答える責任がある」と言われましたが、行政は答えなくてもいいという前提で始まった方がいいのではないかと思います。つまり、住民同志が話し合い、それを行政が学ぶということですね。行政が答えなければならないとすると、過去の決定の経緯から、今の立場で答えるのはむずかしいのではないかと感じました。(会場拍手)

林/ 治水が必要だというのは、誰も異論はありませんが、ある時代に適正な技術だったものが,適正な技術であり続けるのかどうか。町づくり、川づくりを考えるにあたって、本来は市民が主人公ですが、行政に委ねて勉強してこなかった市民の責任もあると思います。参加する権利を獲得するからには,責任を取るだけの勉強をしなければならないし,責任も市民が負うべきでしょうが、第十堰では先に改築計画があり、問題点が浮上してきて川と人のかかわりを考えようという、順番が逆になってしまった経緯があります。
 行政がこうした会に同席したり、審議委員会が公開になるなど、パートナーシップが進んでいるように見える一方で,市民団体の意見と建設省の改築の主張が噛み合わないまま時間が経っています。どのように住民意見を集約するシステムを作るか、吉野川の堰をめぐる問題ではありますが、徳島を舞台にした民主主義の実践でもあるのではないかと思います。どうもありがとうございました。


「モタセと中技術」

 干満の差が激しい有明海に面した筑後川下流域は、内水排除が困難で、渇水時には干害にもあう厳しい水条件である。そのため、網の目のようにクリーク(水路)を堀り割り、長い年月をかけて、さまざまな水制御の仕組みをあみ出した。それらは、水門、樋門、天びん(微妙な石の配置による分水調節)、アオ取水(満潮時に塩水が川を逆流する際に比重の違いで押し上げる上層の淡水を灌漑用水として取水する方法)、回水路(左右岸の利水のために互いに堰を設置し、取水した水をさらに下流の堰に戻す仕組み。「自領の水は一滴も漏らさず、対岸には譲らず」の思想でつくられている)などさまざまである。そのなかで重要な技術思想のひとつが「モタセ」である。
モタセとは、堰堤や橋の下をセメントや石で覆い、少ししか水が流れないように水量を絞りこむ構造である。水路は、流下方向(用水系統)は絞り込み、横方向(排水系統)は広く分散貯留している。しかも、越流堤などの水流制御装置(点)、クリーク水路(線)、水囲い(面)により、空間的にも分散させているため、貯留して利水に役立てられるのはもちろん、下流へたどりつくまでの時間をかせいで、満潮時の排水が容易でない下流部を洪水から守る働きをもしている。モタセは「時間的に変化する水量を空間的な広がりの中に貯え、時間をかけながら対処することで、自然の変動のリズムに対応しようとして生み出された」と下関大学の坂本絋二教授は言う。棚田(水田)、合併浄化槽、森林なども水をモタセている。モタセは、日本の伝統的な水技術ともいえる。
 新潟大学の大熊孝教授は、水害対策を三段階に分類して、小技術(個人的段階「自らをどう守るか」)、中技術(半私・半公共的段階「自分たちの地域をどう守るか」)、大技術(公共的段階「為政者として河川をどう扱うか」)があるとし、人々と川との関わりが希薄になっている現代に、河川の環境、親水機能を重視して対応するためには「治水機能と生態的機能を両立しうる技術の開発が必要であり、それは自然の変化と地域性に柔軟に対応できる中技術を無視しては成立しない」と言う。
 大熊教授は洪水とのかかわり方を提唱されている。どれだけ洪水対策(ダム、河川改修等のハード面)を行っても、水害に対する絶対的安全はなく、むしろあふれた場合の対策(地域毎の危機管理)を考えるべきとの意見である。際限のない工事によって自然環境は極限まで破壊され、巨額の費用が必要となる。それが許される時代なのか、逆に人間の生活がそれによって脅かされているのではないかと問いかけているもので、決して水害を容認する趣旨ではない。例えば、1993年にミシシッピ川で起こった氾濫は500 年に一度ともいわれ、川を人為的に制御することの限界と、それがかえって危険にしていることを示した。計画高水位以下でも堤防は壊れることがあり、越流しても破堤しないこともある。堤防の強化こそ治水の王道であり、そのためには水害防備林が有効であるとしている。その根底には、真の安全とは何か、持続可能な社会へ向けて治水思想の転換が必要との思想が流れている。
有明海に注ぐ矢部川は、河口に水が来ないぐらい使い尽くされる川である。その例として、水源争奪の歴史と密度の濃い水利用を映し出す回水路の仕組みがある。矢部川には昭和38年にダムができた。このような大規模な水利事業の推進は、小規模の堰や揚水機を用いて領域ごとに運用する中技術から、取水源が統廃合されて広域的な調整を受ける大技術への転換を意味する。ダムでは地域の微妙な水調節はできない。しかも渇水時には役に立たない。それは、大自然のリズムには対応しにくい大技術の限界でもある。石の微妙な置き加減で分水を調節していたような仕組みは、厳しい自然条件に地域の人々がかかわるなかで、自律的にバランスを取りあってきた。こうした歴史の過程や経験知は、数字で説明し尽くされるものではなく、すべてを数字で割り切る思想が、例えばコンクリート三面張りや可動堰につながると坂本教授は指摘する。
 人間が堰を作り、川は堰に対して抵抗する。その応答の結果として現在の第十堰が存在している。それを「成っていく構造」と坂本教授は呼ぶ。そして「人工物でありながら、自然に同化しているのが最高の技術である」として第十堰を評価している。
 97年3月、坂本教授と第十の堰を訪ねてみた。ここ数日の春の雨で水かさは増し、川は音を立てて力強く越流していた。堰の上では子どもや家族連れが水遊びをしている。教授は土手に腰を降ろしてニコニコしながら堰を眺めていた。 (平井 吉信)

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