市宇ゆめの森(おむすび山)を手入れする 2002年9月8日
[誕生の経緯]

市宇ゆめの森は、1998年4月に地元の人たちと勝浦川流域ネットワークのメンバー、それに一般参加の人たちでつくられた森。もともとは杉の植林跡の裸地でした。

この山林は、上勝町市宇名(いちうみょう)の名有林(集落の共有の森)です。その市宇で製材業を営む下岡紀英さんが地元の森で拾ったケヤキ(地元ではキヤケと呼んでいます)の種子を発芽させ、赤ちゃん苗として自宅近くの棚田で育てていました。それを山に戻してやろう、地区の森なので地元の人はもちろんだけど、下流の人たちとともに作業をしたい。そしてその年の2月に生まれたばかりの流域ネットワークに話が持ちかけられました。

地元の樹木の種子から発芽したものだから生態系(遺伝子資源)から見てもまったく問題はないし、それを地元の人たちと下流の都市の人たちと協働でつくる森。これはすばらしいと思いました。そして植樹されたその森は、「市宇ゆめの森」(愛称おむすび山)と呼ばれるようになりました。

植樹してしばらく放置しておきました。植えたときに、苗木のまわりをぐるぐると補強するかのように板で囲んであったからです。これは、シカの食害から守るため。

かつて広葉樹の森が山全体に広がっていた時代には、シカの被害に遭うことはあまりなかったはず。でもシカたちも杉の植林ばかりになった今、生きる糧を求めての行動。それに同情はしてもやはり木々は守らなければなりません。

カヤやススキとともにくくるのは、樹皮を傷めないようにとの配慮です。至るところ、雑草が生い茂っていますが、これはわざと放置してます。草刈りをすれば、見た目にはすっきりしても、シカに食べてくださいと言っているようなもの、と地元の人は言います。

作業は3時間ほどで終わりました。ここ数年はまたときどき見守りながらも放置します。森の営みに人の手を差し伸べるさじ加減です。

今後は、こうした潜在植生(その土地にもともとあった種類)、とりわけ広葉樹の森を流域全体で少しずつ増やしていきたいと考えています。それが平地なら河畔林やビオトープの場合もあるでしょう。

そうした点をつなげて線とし、やがては流域を面でつないでいく。まさに川を中心にビオトープネットワークと森でつないでいく勝浦川流域ネットワーク百年の大計です。

子孫に伝えていくこんな活動にぜひご参加ください。
まず、板を数本立てて結わえる。 慣れれば一人でもできるが、できれば2人が作業しやすい。
植樹している場所のすぐ脇を流れる沢。休み時間にアメゴの魚影を見かけてヤスで付いているおばさんがいました。 カヤと板で守られたケヤキ。すでに4年間で3メートルに成長した木もあります。森の番人になるのはどの木でしょうか。
地元の人の話によれば、シカにやられて枯れるパターンは、ぐるりと一周の樹皮がめくられたときだそうです。樹皮は血液のように養分を運んでいるので、部分的に剥がれても大丈夫ですが、それが(たとえ幅は狭くても)1周するように剥がれるとだめだそうです。 辺りにご覧のように沢が流れそのすぐ脇の森です。夏でも涼しい沢の風が吹き、沢の木陰で涼むことができます。気配を隠して岩陰からそっと覗くとアメゴが泳ぐ姿が見られます。
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