非公開だった第十堰水位計算の実験について

 「建設省は多いに反省してもらいたい」。8/21付の新聞には、国土交通省に対する圓藤知事のコメントが掲載された。

 第十堰問題の核心は、可動堰建設の最大の根拠である150年に1度の大洪水が安全ラインとされる計画高水位を越えるかどうかである。建設省の計算方式では、過去の大きな洪水がすべて過大に再現されることが問題であった。

 それは、洪水痕跡よりも計算で求めた水位が約1メートル高くなる前提条件を用いて1/150の洪水水位を算出したところ、最大で安全ラインを42センチ越えたというもの。これが可動堰建設の最大の根拠であり、この結果をもとに「生命財産を守るため」に「可動堰がベスト」と圓藤知事は主張してきた。その是非をめぐって住民投票にまで至ったことは記憶に新しい。

 ところが今回、市民団体の情報公開の請求に基づいて出された資料によると、1994年に非公開で行われていた模型実験では1/150の大洪水が危険水位に達しないというものであった。

 模型実験の内容について

 第十堰周辺の複雑な水理を反映させるには、過去の洪水痕跡(いわば等身大の実験結果)から、洪水水位を予測する方程式を算出するのがもっとも精度が高い、というのが実務を担当する技術者の言葉である。
 もちろん現実の吉野川に150年に1度の大洪水(19,000トン/秒)を流すわけにいかないので、1/80の模型を使って水位を測定してみようというのが模型実験である。

 模型実験には「固定床」と「移動床」の2種類の方法がある。固定床は、モルタルなどで川底を固めた模型を使い、主として水位を測定する場合に使われる。移動床とは、砂によく似た性質の物質を使って洪水によって川底が動く現象を見るために使われる。1994年に非公開で行われた模型実験は固定床であり、水位を見るためのものであったことは間違いない。
 
 1994年の固定床実験の正確さを物語るデータとして、近年に起こった規模の大きな洪水(昭和49年、平成2年、平成5年)の水位を正確に再現している。その前提条件のもとに1/150の大洪水を流したところ、危険な水位には至らなかった。つまり建設する根拠はなかったということになる。

 審議委員会には提出されなかった

 それに対して、建設省から審議委員会等に最終結論として提出されたのは、1996年8月に公開で行われた移動床による模型実験であった(洪水痕跡から約1メートル高く再現されている)。今回明らかにされた報告書にも、移動床での模型実験は精度が低いので水位の算定には適さないという趣旨の記述がある。この結果から、洪水は安全ラインを約40センチ越えることを導き出した。仮に40センチ高くなったとしても可動堰以外に対策はありうるはずであるが…。

 しかも公開実験が行われる1996年8月までに、このような模型実験が前提条件を変えながら数多く行われていたことが今回の情報公開請求で明らかになった。建設省はいったい何をしていたのだろうか?

 1996年7月から1998年8月にかけて開かれた第十堰建設事業審議委員会では、市民団体が水位についての疑問点となる材料を科学的データを添えて提出した。その結果を受けて議論が行われたが、建設省は1994年の模型実験については材料提供せず、実験を行なっていたことさえ明らかにしなかった。

 1994年の固定床での実験結果が審議委員会で吟味されれば、可動堰建設が中止となった可能性もありうる。何より事業主体が国民に重大な結果を知らせなかった(もしくは故意に隠蔽した?)となれば、その責任は重い。国民のために国民の税金を使って行う事業の重大な情報が国民に知らされないとは…。

 徳島県の役割は?

 圓藤知事のコメントは、建設省のこうした姿勢を批判したものである。しかし県の土木部長は建設省出身である。事業主体が国とはいえ、徳島県も県費を拠出する事業である。疑義があるといわれた水位計算については建設省にすべてのデータの公開を要求することはできたはずで、またそうすべき状況にあった。今回も市民が請求しなければ闇に葬られた可能性が高い。それなのに建設省を批判することで県政遂行者としての責任を放棄したような発言は腑に落ちない。

 住民投票〜民主主義の学校が描く未来

 第十堰の住民投票は、可動堰に反対するための運動ではなく、地域の人々が地域のことを真剣に考えてみんなで決めようという趣旨である。
 行政から見た場合は、すべての情報を公開し、計画段階から地域住民の意見を反映させることで、より少ないコスト、より短い期間に地域住民の満足度を高められる
 一方住民からみれば、関心を持って地域づくりに取り組むことが未来をつくっていくことを学んだ民主主義の学校であった。
 こうして行政と住民がスクラムを組んだとき、よりよい地域がつくられることは間違いない。

 そのことによって、その地域に生きるすべての生活者がその恩恵を受けるものである。そしてそれは中央集権から地域主権へ、そして持続可能な発展という21世紀の地域づくりの理念につながっていく。

 第十堰の住民投票は、背景に拡がる豊かな未来を教えてくれている。