中小企業診断士の提案 | |||||||||
6.中小企業診断士の提案 (1)少ない30代の顧客
(2)商店街のにぎわいの本質を再定義
かつて子どもたちは近所の商店にお使いに行かされ、大人たちと出会った。それは買い物を通じて体験する社会勉強、世代間の交流であり、そこに集う人々の過ぎゆく季節、子どもたちの成長、日々の営みを閉じこめていた。 このように、商店街は単なる買い物の場でなく、買い物という行為を通じてやりとりされる共同体と個人との濃密なかかわりがあった。 社会には、伝統を守る保守性がある。しかし長い年月のなかで、なぜそうなのか本質を見失ったまま、カタチだけが取り残される場合が少なくない。お客と商店は互いに気心が知れており、お客様に商品を選ばせたり商品を取らせたりするのは失礼と商店主は考えていた。しかし時代が移り変わった今では、プライベートな買い物という行為を店に干渉されたくないと生活者は考えるようになった。 それが典型的に現れたのが、今回のアンケートで判明した熟年層への接客である。熟年層は、年下の店員や店主の接客をわずらわしいと感じており、必要な情報のみを必要なときにだけ提供するサービスへと切り替えるべきである。これは商店街を挙げて顧客心理の勉強会をするなど取り組む必要がある。これからの商店街の再生には、心理学(ITも心理学の一種)の研究が最重要課題であることを提言したい。 商店街は家の近くにあって歩いて(自転車で)行けることが美点だったが、車社会では駐車場がないことが敬遠される。もし経営者にアンケートをすれば、駐車場の整備を最大の課題として挙げる事業所が多いのではないかと予想される。しかしほんとうに行きたい店なら、客はクルマを停めにくくても来店するだろう。経営者はアーケードや駐車場などのハード整備に目が行きがちであるが、お客様は別の視点を持っている。なぜなら生活者にとっては、駐車場がないというのは不満要因であって満足要因ではないのである。駐車場があれば便利だが、確保したからといって客足が戻るとは考えられない。 (3)地域共同体と個人の関係 高度経済成長期にうまみのある商売を経験した商店主たちは、「あの頃は…」の呪縛から逃れられない。世紀が変わっても過去の手法から脱却できないのはそのためである。 ところが社会(商店街)と客(個)の関係が変化し、村社会にわずらわしさを感じ始めた世代(とりわけ団塊の世代以降)が多くなった。人は誰でも集団への帰属欲求がある。しかし、集団が個へ干渉するようになると、わずらわしさに変わっていく。 東新町商店街には老舗が多く今回の調査でも個店として調査を申し込んでいる事業所があるが、過去の栄光からなかなか脱却できないでいる姿を感じる。 生活者にとっては、買い物にわくわくするような楽しさがない、買わずに出にくいのに、来てみると欲しい商品がない。これでは客足が遠のいてしまう。 電子空間のコミュニティには干渉がない。その自由と引き換えに自律が求められるが、インターネットの匿名性と相まってそれぞれが自己判断して節度のあるコミュニケーションを楽しむことには問題が見受けられる。 こうしたなかで、高知市のひろめ市は注目される。ひろめ市は、有名な日曜市の終点付近にある平屋の小規模の飲食店を中心とする集積である。その特徴として、
入り口はどちらかというと、野暮ったく安っぽい。しかし中へ入ると老若男女を問わず人の群れに驚かされる。グループもいれば女性が一人で飲食をしている光景も珍しくない。ここでは好きなテナントから欲しい料理を注文して思い思いの場所で食べられる。集団に溶け込むように、女性が一人で食事している光景が目に付く。そこからは空間に身を委ねる安心感さえ感じられるる。といっても、集団は個に対して何の干渉もしない。だから一人で食べてもグループで食べても違和感がない。 ひろめ市は、集団と個の関係を現代的に再定義した例として注目される。商店街の未来のヒントとして挙げておきたい。 この安心感てなんだろう コミュニティとの一体感? 携帯電話やネットはバーチャル(非現実)。 でもここは現実 → みんな心のどこかに寂しさを抱えて生きている。それを無意識に満たそうとしている。でもそれはどこで? [参考…ひろめ市(高知市)]
(4)まとめ〜未来をみつめる
以上は、今回の調査を実施するなかで感じた雑感です。これらのなかに東新町商店街を活性化させるヒントがあるように思われます。東新町商店街のさらなるご発展を祈念して報告といたします。 中小企業診断士 平井 吉信 |