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中小企業診断士の提案
6.中小企業診断士の提案

(1)少ない30代の顧客

  • 30代といえば、仕事では現場の責任者として、また家庭では子育てに追われる時期である。この世代は買い物に対して、時間節約志向、価格帯品質の重視、ライフスタイルごとの思い切った重点投資(節約するものと投資するものが二極分化する傾向)などが挙げられるが、東新町商店街はそのようなニーズに適合していないのではないか。
  • そうした人たちが、郊外型のワンストップ機能を持つ大型店や、休日のレジャーを兼ねて京阪神や高松などへ買い物に行っていると推測できる。
  • 30代顧客を取り戻すには、ぱっと行ってすぐに買えるという即効性や利便性、子どもを連れて長時間遊ばせることのできる滞在型買い物ニーズ
などであるが、東新町商店街はいずれのニーズも充たしていないと考えられる。


(2)商店街のにぎわいの本質を再定義

  • リサイクル市やフリーマーケットへのニーズが多いことの裏を返せば、そこに商店街再生のヒントがあると思われる。
  • 商店街(社会・集団)と個人との関係で、かつての商店街は、集団に帰属する個人との関係で語られてきた。高知市のひろめ市やアジア調のエスニック風がもてはやされる昨今、商店街のにぎわいの要素を再構築して提示する必要性があるのではないか。
  • 高度経済成長期に隆盛を極めた商店街の何が強みであったか、また何がマイナス要因となったかの分析が必要である。

 かつて子どもたちは近所の商店にお使いに行かされ、大人たちと出会った。それは買い物を通じて体験する社会勉強、世代間の交流であり、そこに集う人々の過ぎゆく季節、子どもたちの成長、日々の営みを閉じこめていた。
 このように、商店街は単なる買い物の場でなく、買い物という行為を通じてやりとりされる共同体と個人との濃密なかかわりがあった。

 社会には、伝統を守る保守性がある。しかし長い年月のなかで、なぜそうなのか本質を見失ったまま、カタチだけが取り残される場合が少なくない。お客と商店は互いに気心が知れており、お客様に商品を選ばせたり商品を取らせたりするのは失礼と商店主は考えていた。しかし時代が移り変わった今では、プライベートな買い物という行為を店に干渉されたくないと生活者は考えるようになった。

 それが典型的に現れたのが、今回のアンケートで判明した熟年層への接客である。熟年層は、年下の店員や店主の接客をわずらわしいと感じており、必要な情報のみを必要なときにだけ提供するサービスへと切り替えるべきである。これは商店街を挙げて顧客心理の勉強会をするなど取り組む必要がある。これからの商店街の再生には、心理学(ITも心理学の一種)の研究が最重要課題であることを提言したい。

 商店街は家の近くにあって歩いて(自転車で)行けることが美点だったが、車社会では駐車場がないことが敬遠される。もし経営者にアンケートをすれば、駐車場の整備を最大の課題として挙げる事業所が多いのではないかと予想される。しかしほんとうに行きたい店なら、客はクルマを停めにくくても来店するだろう。経営者はアーケードや駐車場などのハード整備に目が行きがちであるが、お客様は別の視点を持っている。なぜなら生活者にとっては、駐車場がないというのは不満要因であって満足要因ではないのである。駐車場があれば便利だが、確保したからといって客足が戻るとは考えられない。


(3)地域共同体と個人の関係

 高度経済成長期にうまみのある商売を経験した商店主たちは、「あの頃は…」の呪縛から逃れられない。世紀が変わっても過去の手法から脱却できないのはそのためである。
 ところが社会(商店街)と客(個)の関係が変化し、村社会にわずらわしさを感じ始めた世代(とりわけ団塊の世代以降)が多くなった。人は誰でも集団への帰属欲求がある。しかし、集団が個へ干渉するようになると、わずらわしさに変わっていく。
東新町商店街には老舗が多く今回の調査でも個店として調査を申し込んでいる事業所があるが、過去の栄光からなかなか脱却できないでいる姿を感じる。
 生活者にとっては、買い物にわくわくするような楽しさがない、買わずに出にくいのに、来てみると欲しい商品がない。これでは客足が遠のいてしまう。

 電子空間のコミュニティには干渉がない。その自由と引き換えに自律が求められるが、インターネットの匿名性と相まってそれぞれが自己判断して節度のあるコミュニケーションを楽しむことには問題が見受けられる。
 こうしたなかで、高知市のひろめ市は注目される。ひろめ市は、有名な日曜市の終点付近にある平屋の小規模の飲食店を中心とする集積である。その特徴として、
  • 平屋の建物でお金はかかっていない。
  • 店舗5坪程度の客単価手頃な店の大集団。
  • 観光客も地元客に紛れてわからない。1人客も多いが団体客はいない。
  • 適度に薄暗い照明、穴蔵感覚で落ち着く。どこかアジアの雑多なエスニック感覚のようなにぎわい。

 入り口はどちらかというと、野暮ったく安っぽい。しかし中へ入ると老若男女を問わず人の群れに驚かされる。グループもいれば女性が一人で飲食をしている光景も珍しくない。ここでは好きなテナントから欲しい料理を注文して思い思いの場所で食べられる。集団に溶け込むように、女性が一人で食事している光景が目に付く。そこからは空間に身を委ねる安心感さえ感じられるる。といっても、集団は個に対して何の干渉もしない。だから一人で食べてもグループで食べても違和感がない。
ひろめ市は、集団と個の関係を現代的に再定義した例として注目される。商店街の未来のヒントとして挙げておきたい。

 この安心感てなんだろう
 コミュニティとの一体感?
 携帯電話やネットはバーチャル(非現実)。
 でもここは現実
→ みんな心のどこかに寂しさを抱えて生きている。それを無意識に満たそうとしている。でもそれはどこで?


[参考…ひろめ市(高知市)]
入り口はわかりくい。しかも野暮ったい。
中へ入ればこのにぎわい。
食べ物以外のテナントもある。
エスニックで雑多なにぎわい。
不思議な安心感と落ち着き。
どことなく「千と千尋…」感覚。
女性の一人客も違和感なく溶け込んでいる


(4)まとめ〜未来をみつめる
  • 丸新百貨店が全盛期だった頃、ハレの日の買い物客で賑わった東新町商店街のにぎわいは過日のものとなっている。来街者のイメージは(平日のみの調査とはいえ)比較的日常的な品物やサービスを求める商店街である。
  • 換言すれば、現在の東新町商店街は1週間のうち5日は最寄品商店街の実態であり、かつてのように広域から集客する買回品商店街ではない。あくまで近隣の生活者や通勤・通学客に利用される地域密着の日常型商店街として認知されている。
  • 来街者の不満は、品揃えと駐車場に集中しているが、駐車場は「なければ不満」という要素であって、それがあったからといって「満足」することにはならない。欲しい商品があれば、客は駐車してでも来るからである。
  • 30代顧客が離れている。この世代は家庭と仕事の両立のため、日常のなかで買い物に割ける時間は多くない。その反面買い物そのものを楽しむ世代でもある。ところが、東新町は前者のような時間節約的な利便性に乏しく、かといって買い物を楽しむソフトがないため滞在型にもなりえない中途半端な位置付けとなっている。
  • 客とは店にもてなされるものという感覚を持つ熟年者にとって、接客されるとかえって気詰まりである。熟年者は接客によって売るという先入観を払拭するため、商店街を挙げて熟年者を交えて3人1組みのロールプレイを徹底して行いたい。そうして意識が変わったら「私たちはお客様に押しつけません」というキャンペーンを打つ。
  • 接客と連動して店のスタッフに数字のノルマを課さないことが条件となる。その代わりどんなことをするかという「プロセスのノルマ」が必要である。伸びている店に共通するのは「プロセスのノルマ」(すること、しないこと)が明確な店である。
  • 東新町はイベントに定評のある商店街である。イベントに対するニーズでは、リサイクル市やフリーマーケット、コンサート、縁日などが挙げられていた。これらは庶民的であるが、日常とは違うわくわく感のある催事である。
  • 郊外立地の大型店ではカタカナの「イベント」と表記されるような主催者と顧客がはっきりと分かれている感じがある。それに対して「祭り」もしくは「催事」といえば、商店街と来街者がともに創っていく雰囲気が感じられる(参加型コミュニティ)。ソフト面で特色を出すとしたら、祭りや縁日のような感覚ではなかろうか。
  • 東新町商店街は、プライドを捨て一国一城の主のバラバラな集団ではなく、胸襟を開いて構成メンバーのみなさんが話し合い、「祭り」の感覚で地域の生活者に飛び込んでいく必要があるのではないか。

 以上は、今回の調査を実施するなかで感じた雑感です。これらのなかに東新町商店街を活性化させるヒントがあるように思われます。東新町商店街のさらなるご発展を祈念して報告といたします。

中小企業診断士 平井 吉信