「多様性のゆりかごから生まれるもの」
地球儀を眺めてみよう。日本と同緯度の北半球のアフリカ、中近東、中央アジアに広がっているのは砂漠。ところが日本は国土の7割が森に覆われた緑の国である。
海水温の分布を見ると珊瑚礁の沖縄から流氷のオホーツク沿岸までが存在する。さらに、暖流と寒流が三陸沖でぶつかる世界三大漁場のひとつである。そこには植物プランクトンが大量発生し、それをねらって南の海と北の海からそれぞれ魚が集まる。確認された海洋生物は三万種を越え、世界の15%に達する世界でもっとも魚種が多い海域なのである。
ガラパゴス諸島のイグアナのように、ある地域や環境に特異的に棲息し他の地域に棲息しない生物種を固有種という。その固有種の数においても、隔絶されたガラパゴス諸島(固有種数110)よりも日本(同131)が多い。ニホンザルも固有種のひとつで、地球上でもっとも北限に棲む猿(snow monkey )として知られ、雪景色の温泉に浸かる風景は外国人観光客にも人気となっている。
このように生物の多様性では日本は世界一といっても過言ではない。その原因を探ってみると幾重にも偶然が重なり合っているようだ。八千メートル級の陸の塊(ヒマラヤ山脈とチベット)が存在することで偏西風が南に蛇行する。このことが日本に湿潤な大気の流れをもたらし梅雨があって森を育むなどのように。
46億年前の原始太陽系に誕生した地球で、生命が人類に至る進化は偶然が重なった奇跡の成果といえる。生命がある程度進化しても地球がマイナス50℃に氷結したり、隕石の衝突で地表が千度近くの高温にさらされ、生命は絶滅と再スタートを繰り返した(地球に危機的な状況をもたらした隕石の衝突は数回はあった)。しかし、過酷な状況でも生き残った生命があり、大異変のあとで爆発的な進化をもたらした。
温帯モンスーンの気候は四季の移り変わりともに湿潤な風土をもたらす。日本人は降る雨にさまざまな名前を付けている。「春雨」「菜種梅雨」「小糠(こぬか)雨」「夕立」「五月雨」「梅雨」「にわか雨」「村雨(むらさめ)」「時雨」。全部で四百ぐらいの雨の呼び方があるという。繊細で移ろう気象と風土に細やかな感性で風土を感じ、くらしを洞察してきた日本人。その細やかな感性が世界でここだけの文化を育んだ。
日本語は難しいといわれるが、優れたところがある。それは可読性である。アルファベットという記号で構成される欧米の言語、漢字、ハングルのみで表現される東アジアの言語はぱっと見てわかりにくい。ところが「漢字」と「かな」が組み合わされた日本語は、「漢字」で意味を伝えながら「かな」で音や読み方を伝える両方の機能を持ち合わせている。だから斜め読みをしても意味がわかる(文字をイメージとして捉えられる)。例えば「トクシマクウコウノチュウシャジョウニトメル」→「徳島空港の駐車場に止める」。そう、日本語がローマ字表記にならなくてよかったのである。
日本語の特性を活かせるキーボード配列が(私も使っている)ニコラ準拠配列である。かつては親指シフトとも呼ばれ、ワープロコンテストの上位入賞者が使っていたもので、ローマ字入力のように母音と子音に分けずに一文字はひとつのキーで打鍵する。ひとつのキーには左右の親指によるシフトキーによって3つの「かな」を割り振れる。ローマ字で「J」の表記のあるキーをそのまま押すと「と」。左の親指シフトと同時に打鍵すると「ど」。右の親指シフトと打鍵すると「お」となる。
どちらの入力方法も日常的に使っている人間としては、日本語を子音と母音に分けて打つのは不自然に感じる。デスクトップはニコラ準拠、ノートはローマ字入力なのだが、ThinkPadの優れたキーボードをもってしても、打つ直前にかすかにためらいを覚える。文章を打とうという気持ちを邪魔しないのはニコラ準拠配列であると改めて気付いた。
親指は5本の指でもっとも力が強い。かつて祖先は木の枝を掴みながら移動していたために、親指を使って握る動作は自然だし、10本の指を使って1キーボード3音だから入力が速いのは当然だ。ローマ字入力で致命的なのは日本語の文字の頻度を無視して配列されているとこ。よく使う5つの母音が左手の小指、そしてホームポジションを外れた上段に位置している。同じローマ字入力でもアルファベットの配列を変えればもう少し打ちやすくなる。考え方としては、母音をホームポジションに固めて配列し、よく使う子音をよく使う指に配列するもの。この方式はソフトウェアを使えばキー配列を変更できるので実際に使っている人も少なくない(ドボラーク配列など)。
キーボードひとつを取っても日本固有の文化や技術から生まれた合理性を活かしたいと考える。しかし慣れれば同じという人や、パソコンはアルファベットに親和性があるので独自性はかえって世界から取り残されると危惧する人がいるかもしれない。それは当たらないだろう。英語の達人が日本語も優れた使い手が多いように、母国の文化や技術を活かす視点がユニバーサル性を犠牲にするとは思えない。
人類が作り得ていないもの。それは生態系である。アメリカでは植物や動物などと人間が住む外界と隔離された1.27ヘクタールの理想のコロニーをつくり、そのなかで8人の科学者が2年間住む計画(バイオスフィア2)を実行したが、人工の生態系はうまく機能しなかった。生態系のあり方はかくも微妙であることを教えてくれるとともに、宇宙に人間が生存できる空間をつくることがどれほど困難かを思い知らせてくれる。
多様な生物を育む生態系はさまざまな恩恵をもたらす。アマゾンの熱帯雨林にはこれまで発見されていない薬効を持つ植物が開発によって宇宙から消えようとしている。それはまるで地球の智慧が詰まった蔵書を中味を確認することなく燃やしているようなものだ。経済の発展が大切というのなら、その経済の発展の土台となる環境(生物多様性とそれを可能にする生態系)を大切にするべきだろう。
中国脅威論が沸き上がっている。確かに人材、各種資源、規模の大きな経済活動から生まれる資金力、外交をはじめとするしたたかな交渉術など日本が及ばないところが多い。それを企業に例えるなら経営資源の「量」かもしれない。ならば日本は経営資源の「質」で勝負する中小企業でありたいと思う。これまでだって、こうした微妙な陰影に彩られた風土が醸成した文化や技術、ものの考え方はさまざまな分野で外国の人たちを魅了している。むしろ日本人以上に日本に魅せられた人たちが少なくない。
日本は希有な条件を備えたすばらしい国である。教育ではもっと日本のすばらしさを子どもに伝え、誇りを持って国を愛する国民を育んで欲しい。偏狭なナショナリズムに誘導するのではなく、すばらしい国の特性を活かせ、世界にその価値観を伝えよというメッセージである。そのことが21世紀の地球が抱える問題点を解決する推進力となり得るのではないか。
金子みすずの有名な言葉「みんな違ってみんないい」を口ずさみながらも、日本の優れた文化や風土をもっと見つめてみたい、もっと見つめて欲しいと考える秋である。
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