「棚田と木の葉が教えてくれるもの〜その2」

 最初にお断りしておきますが、ぼくは支持政党を持たない無党派層です。けれど、政治(自分の住んでいる地域と住民のかかわり)への関心が極めて高い人間です。以前にも書きましたが、どうして選挙は有権者の懐に土足で入っていくのだろう、そしてそのことが選挙離れを加速していることにどうして気付かないのだろうと不思議に思っています。
 選挙の締め付けに対しては、勇気を持ってその事実を明らかにし、グループをつくって対抗すればよいはずです。それぞれ家庭に戻れば地域の生活者でしょう。そこには経営者も労働者も農家も子どもも老人もない、ただあるのは幸せに暮らしたい思いだけ。

 最近の小泉内閣を見ていて、これだけ多くの人が支持するのはどうしたことだろうと驚いてしまいます(確かにそれまでがひどかったが…)。一つひとつの解決の方向性は間違ってなかったとしても、全体の整合性と戦略、つまり個々の要素に期限と優先順位の設定がありません。国を変える改革を行うには精緻な分析と有機的な戦略立案がどうしても必要です。しかしこれだけ多くの人の関心を政治に向けたことは偉大な功績です。このことは政界をひいては地域を確実に変えていくでしょう。

 小泉内閣の政策が地方切り捨てと主張する意見があります。しかしメスを入れるべきは地域対都市部の分配ではなく、アメとムチによる中央統制のシステムそのものです。地域が主権を持ち、自立(自律)したコミュニティが幾重にも重なりながらつくる多様性のあるシンプルなしくみの国家が将来の日本像ではないでしょうか? 都市と山村の関係を見つめることは、経営コンサルタントなら当然の視点だといわれるでしょうが、まだまだ勉強と実践が足りないと反省しています。余談が長くなりましたが、前回の続きです。

 重要性は高いが滅多にない事務(仕事)があるとします。その場合、広域とか県などの少し大きな単位で管理すれば、専門の職員が一定量の仕事を処理するので効率的となります。合併推進の一つの根拠です。

 けれどここに落とし穴があります。例えばゴミ焼却炉からダイオキシンを出さないためには、一定規模の焼却炉の稼働を上げるために広域で処理すべきという考えです。
 山村の都市化に伴い世帯当たりのゴミは増えることはあっても減ることはありません。「出たゴミはお上が処理する」というだけで、住民一人ひとりに考えることを求めないこの方法では、ゴミを減らすことに対するインセンティブがありません。

 これと逆を行って成功しているのが上勝町です。ここではゴミ収集は行っていません。そのため住民が収集センターに持参したうえで30数種類に分別しています。ゴミが増えれば自分たちの作業が増えるため、ゴミ問題に対する意識が高まって各世帯が出すゴミの量は激減し、町民は買い物を考えて行うようになりました。ここまで来るには一人の女性職員の献身的な熱意と実践がありました。彼女は毎晩のように各地区で話し合いを持ちながら啓発を続けました。
 その結果、上勝町では焼却炉の火が消えました。分別した資源やどうしても町内で処理できない物質は町外の業者に委託していますが、それとて同規模の町村の数分の一です。

 この方法は人口2千3百人の小さなコミュニティだからできたことかもしれません。ならば従業員数十人の企業で新しい実践ができないはずがありません。不況のさなかに衰退産業でありながら利益を上げている事業所が県内には少なからずあります。本質的な解決に向けて地道な努力と熱意が道を切り拓くのです

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