「経営者の視点、従業員の視点」
経営者は孤独と言われる。どこの会社でも、従業員同士は社長の悪口を言うのがあいさつ代わりになっている。といっても経営者を恨んでいるわけではないし、代替案があるわけではない。優れた経営者では、その視線の高さが従業員と違う。一階にいる人には2階からの景色は想像でしかない。二階にいる人には三階の風景はわからない。
現場は、経営陣が示した経営方針に納得いかないことがある。社長の言うとおりにすれば、顧客の不満が増える、手間がかかる、コストがかかる、無意味だなどと不満を持つ。なぜなら現場というのは、納期に間に合わない、顧客の苦情を受けるなどのトラブル対応の窓口であり、どうすればそれを避けられるかを本能的に考えるからだ。
ところが、経営者の視点は違う。ある部署、ある製品、ある支店という単位で物事を考えずに、全社的に利益を極大化させること、人を活かすことを考える。そのために、部分の最適化が壊れることがある。
こんな事例もある。あるIT関連の企業で営業として雇用したスタッフが入力業務を行っている。営業が受注を取ってきても開発部がこなせないこと、販売戦略(ツール)や強み(独自の土俵)を持たないままの飛び込み営業はムダとわかったからだという。これは、全体の最適化を果たすという経営者の舵取りを誤った例ではないかと思う。すなわち、あるべき姿に近づけるために経営資源を動かすべきなのに、現実の姿に合わせるために経営資源を動かしてしまった例である。現状の把握が甘かったことも原因ではあるが。
人事においては、すべての部下の能力を引き出すことはできない。だから優れた人を選んで持ち上げることになる。すると誰かの不満を買うことになる。それは組織である以上避けられない。けれどぼくは思う。心ある社員は能力ある人材の抜擢を歓迎するだろう。正しい方向を向いて努力している人を認めることができなくなれば、何をしてもムダという社風が蔓延しモラルは低下する。
「地球大進化」というNHKのドキュメンタリーを見ていてふと気付いた。30万年前から3万年前までに繁栄したネアンデルタール人は、現代人と比べても脳の容積に大差はないばかりか、体格や運動能力はむしろ優っていたとされる。それなのに、片方は60億人まで生存数を広げ、もう片方はこの世にいない。この差を分けたのが、言葉を発声させる能力の差ではないかという説が有力である。氷河期に獲物を獲得するためには、獲物の大移動の習性を熟知し、それを互いに伝えあうことが必要である。すなわち予測に基づく計画、その情報の共有。その際に、のど仏の構造上、複雑な発音を操れるというホモサピエンスのわずかな優位性が運命を分けたというのだ。
社員一人ひとりの知恵と創意工夫を引き出し、それらのノウハウや情報を共有する組織こそが今後の生存と発展を決定づける要素だとぼくは考えている。トップから降ろされた命令を社員がイヤイヤ実行するだけの会社は変化に対応できず衰退する。だから、ボトムアップの流れをつくりだしたい。「うちには人材はいないからできない」などと言い訳をしても始まらない。その働きかけを、熱意を持ってトップダウンで行うべきだと思う。権限委譲とは信頼感であり、信頼感とは認めることであり、認めることはやる気につながり、やる気が権限委譲の原動力となる。この好循環をつくりだすのがトップの重要な役割になるはずである。
2004年の夏頃から、ある町を代表する企業で十数回にわたって社員研修を行ったのは、ぼくのその信念の体現であり、結果はやがて明らかになると思うが、社員一人ひとりの自覚が変わったとまわりの人に変化がわかるほどになっている。楽しみである。
組織の衰退と発展を分けるのは、有形の経営資源(資本金、規模、支店数、従業員数)などではなく、無形の社風、組織の文化である。それをつくりだす経営をできるかどうかが、変化の早い21世紀初頭において十年後の会社の存続を分けることになるだろう。
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