「サムライの魂の後ろに見えたこと」
2009年WBCで
日本が優勝してイチロー選手が語った言葉が
印象に残っている。
近年の日本シリーズ等で
「プレッシャーを感じなかった」
と感想を述べる若手選手の言葉を聞いて
「悲観すべきこと。乗り越えていかねばならないことを、乗り越えていないように聞こえる」と話した。
いくつもの壁を乗り越えてきたイチローの言葉だけに、
その後ろにどんな意味が込められているのかを考えてみた。
プレッシャーを感じない、とはどんな状態なのか?
プレッシャーとは、
期待されたこと(=役割)を果たすことを求められている状況において、
それを自覚するとき起こってくるものだと思う。
それを感じないという言葉からは、
責任を全うできなくても気にしないという考え方が
根底にあるように思える。
イチローは早くからこの大会に寄せて意欲的に関わり、
そのことで自らを追い込んでいるようにも見えた。
その彼がWBCの中盤まで極度に打てずに、
一人蚊帳の外にいる状態が続いた。
当然、重圧につぶされそうになったに違いない。
人間の身体は、数百本の主要な骨とそれを動かす筋肉、
それらを制御する神経系統から成り立つ高度な作用である。そのすべてが意図と違う動きをしないと思い通りに動かないことになる。
バッティングは、
細い木の棒で時速150kmで変化するボールを
芯に捉える動作である。
とりわけイチローにおいては、
卓越した身体能力を高度にバランスさせて
成果に結びつけているように見える。
重圧を感じることによって、
人体の部品を制御する高度なしくみが
わずかな狂いを生じ、
どう修正すればよいかわかっていても
身体が動いてくれなかったのではないか。
重圧といっても、
ことが始まる前の漠然とした不安と、
いざ始まってうまく行かなかったときの
焦りが加わった不安は同じではない。
前者は気分転換をうまくやって
良いイメージを描くことで脱却することはできるけれど、
後者は、現実の体験に基づく動かしがたい事実が
体内記憶として残る。
前回のWBCで多くの若手選手が活躍したが、
その年のペナントレース、
あるいは翌年にも実績を残した選手はどれぐらいいただろうか?
短期決戦なら勢いや気分でプレーすることもできるだろう。
しかし長い期間を継続して結果を出し続けることはむずかしい。
イチローはそうではない。
日本とアメリカのどちらでも結果を出し続けている。
イチローのような超一流の選手と
一般の選手とでは身体能力以外に何が違うのだろうか?
それは、ひとことでいって、
体内にPDCAサイクルを持っているか否かの違いではないだろうか。
PDCAサイクル(計画→実行→チェック→修正の循環)は、
過去の体験を反省することから始まる。
うまくいった(orいかなかった)のはなぜ?
原因は何か?を考える。
そしてめざす方向を確認し、
現状をどう変えていくかを考えるのだが、
成功する選手(人、企業)と
そうでない選手(人、企業)とでは、
この循環があるかないかの差だと思う。
成功とは決して一過性ではなく、
継続性、普遍性、再現性があることだと思うが、
イチローについては天性の身体能力に加えて、
PDCAサイクルを無意識で回しているからだと思う。
そして今回のWBCの数試合の不振は、
PDCからAにつながらなかったからではないのだろうか。
では、どうすればつながるか。
それは結果を出すということ、
その結果に納得することである。
つまりヒットを打ち、
ヒットを打った自分を評価することで、
肉体と精神が連動し、
原因と結果がつながるということ。
自分が納得いかずにヒットが出てもPDCAはつながらない。今回のイチローはそういう状態だったのではないか。
イチローには定型化された動作がある。
バッティングの前に右手で持ったバットを立てるなど
一連の動作がある。
このルーティンをやることで心身の雑音を除いていく。
余分なものがなくなれば集中できる。
それだけ行動がシンプルになる。
シンプルな行動に気を込めて行う。
その決まり切った行動が
「できる・やれる」モードのスイッチを入れる。
シンプルだから集中できる、
ということは企業経営も同じだ。
例えば、会社の経営理念(社是社訓)を書いてください、
と従業員に言って
同じ日本語が書けなければどうなるか。
書けないもの、イメージできないことは記憶に残らない。
記憶に残らないものは存在しないのと同じ。
理念が共有されていない状態で行動しても、
戦略、戦術に魂が入らない。
現在の経営は、
一人ひとりが現場で判断して
自主性を持って仕事をしなければ利益は生まれない。
なぜなら、競争は激しくモノは余っており、
将来の生活への不安を抱えながら人口は減りつつある。
しかし現場の判断が機能するためには
個々の勝手な判断ではなく、
組織の理念に沿うものでなければならない。
理念がシンプルに確立されれば、
やってはいけないことがはっきりするので、
自由にやれることが見えて動きやすくなる。
やはり行動理念はシンプルであるべきだ。
人生は意思決定という分岐点の連続だが、
過去の体験や信頼する人の知識を頼れないときに
「よりどころ」とするものが理念だろう。
シンプルな理念でなければ、シンプルな行動につながらない。
逆にいうと、
行動につながらなものは理念ではないということになる。
まして組織ともなれば、
頭のいい人だけがわかる理念など理念ではない。
10代の若者に
高尚な四文字熟語の社是社訓を説いたところで
社長の自己満足に過ぎない。
経済の成長期なら、
戦略が正しければ利益は生まれたかもしれない。
ところがいまの時代は、
戦略は正しくても結果は出ないことが多い。
原因は2つある。
ひとつは戦略の実行段階で徹底できなかったこと
(会社の方針が途中で変わるなども含めて中小企業に多い)。
もうひとつは、戦略に魂が入っていないこと。
例えば、
環境重視の戦略を実行して高付加価値化をねらったとして、単なるマーケティングのイメージ戦略であることが
見透かされてしまえば逆効果。
「思い」がない行動はどこかでボロが出る。
環境重視といいながら、地下水を汚染させていた、
などが判明すれば経営危機だ。
成功する人、成功する企業はPDCAサイクルを持っている、と言い切ってしまおう。
それは、過去の行動から未来の夢へとつなげる回路(行動特性)が習慣(無意識)としてあるということ。
そしてPDCAの循環を回すためには、シンプルな理念が前提。
シンプルな理念、シンプルな行動だから
ひとの気持ち(=感性)がはばたく。
だから、理念はシンプルであるとともに、
誰からみても納得できる正しいこと、
社会の役に立つこと、
共感できるものでなければならない。
PDCAサイクルは、
理念を浸透させて行動に魂を込めるプロセスと捉えたい。
構図は決して複雑ではない。
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