「サービスって何?」(2000年4月)

 「いらっしゃいませ!」。一人の店員が来店客に声をかける。すると連鎖反応的に、あちこちから「いらっしゃいませ」の罵声(?)が飛び交う。県外の大手書店での光景。言葉や態度に微笑みは感じられない。むしろ「客が来やがって」といったニュアンスさえ感じてしまう。その証拠に客を無遠慮に押しのけて大きな音を立てて棚出しをする。これでは静かに本を選びたい客は逃げてしまい、いい客筋は決して定着しない。

 最近市内に開店したFCの中華料理店。昼休みには学生であふれかえる。従業員はてきぱきしており、マニュアルとはいえ笑顔がある。手頃な価格の中華料理店にありがちな汚さとは無縁。トイレに入っても手をふれずに手を洗える。過当競争のコンビニの勝敗を分けているのが接客とトイレ清掃である。食べ散らかす幼児を想定して「私たちがきれいにしますので、遠慮なくて食べてください、おかあさん」の貼り紙。この店には強い単品メニューがあるが、繁盛の理由はそれだけではないようだ。

 WEBでパソコン関連商品を買った。見積を電子メールで請求すると、1時間後に届いた。(これでも遅いと思う人はいるだろう)。さらにアフタや決済項目のページを見る。ちょっとした言葉づかいのニュアンスでお客様を大切にする会社がどうかわかる。信頼できると判断したのでさっそく注文。間髪を入れずに確認のお礼メールが届き、さらに数時間後に出荷案内を受信。望めば宅急便での荷物追跡ができる。商品は振込注文の翌日に届き、要求通りにきちんと領収書が添付されていた。

 電話料金の通話料請求で局番違いの請求書が来たことがあった。訂正を求めて問い合わせをすると、数カ所(遠距離ばかり)にたらい回し。別の機会に割引サービスについて問い合わせると、ある人は利用できるといい、ある人は制約があって利用できないと答えるなどスタッフが自社の提供サービスを把握していない。せめて、LANでサービスマニュアルを定型化し、お客様の問い合わせ内容と反応をデータベースに入力し、窓口業務の改善と潜在的なニーズの発掘に活用すればよいのにと思う。値段が高くてサービスが悪い企業が5年後も存在するとは思えない。

 資格商法の勧誘があった。来客中というと電話をカシャンと切られた。その後何度か掛かってきたが、一方的に売り込むだけで相手の立場を気遣うそぶりがない。悪しき数字ノルマの存在も一因だろうが、こんな会社から資格を取っても結果は見えている。

 携帯電話は、製造原価からして不当に安い値段で売られているが、そのツケとして割高な通信料を払わされている。携帯電話で年間10万円使う人は少なくない。でもそのお金は自分の心を豊かにしてくれる生きた使途だっただろうか。600万台を突破したiモードや携帯メールはほんとうに必要な時に必要な用途に使われているのだろうか。

 多くの人は寂しさを癒してほしいと思っており、その心の動きをオンラインコミュニケーションに求めている。でもWEBはコミュニケーションの一手段に過ぎない。店頭(オフライン)に気配りができなくてオンラインで人の心をつかめるはずがない。

 商店街が元気がないのは、高齢化対応や環境保全、鮮度の高い小口の買い物需要に応えていないからだ。高知の日曜市の終点にある
「ひろめ市」のように地元客でにぎわうコミュニティ広場を見ていると、商店街がやり残したことは多い。一人の生活者としてくらしの本質を見つめることがマーケティングの原点。これからもきっと・・・。