「営業を考える〜なつかしさということ」
ふいに田舎道を歩いていて気付きました。小さい頃の行動範囲の境界は、神社と川であったことを。子どもの足といえば、歩くか自転車ですから、どこまで足を伸ばすかが冒険です。見知らぬ道をわくわくしながら進んでいると、見慣れぬ神社があった、水音のする川があって橋がかかっていた---そんなところを冒険の終点として折り返すことが多かったのです。
それからは、川を見に行くのが目的となりました。地図を見てまだ見ぬ川にどきどきしながら「どんな流れなんだろう」「川幅はどれぐらい?」「土手で囲まれているのかな」などと空想を膨らませていました。そうして冒険の度に距離を伸ばしていくことが、実は親からの自立を無意識に果たそうとしていたんだと気付きました。
そういえば、駄菓子屋の全国チェーンが話題になっていますね。以前にもお話しかけたテーマなのですが、「なつかしさ」をマーケティングできないかと思うのです。では、なぜ「なつかしさ」が有利なのか。
子どもの頃のときめきを思い出してみると、日常に彩られたハレの舞台が浮かんできます。例えば、縁日の出店、デパートの食堂で家族揃っての食事、海の家でのあめ湯、アイスキャンデー売りのおじさん、いにしえのテレビドラマや歌謡曲、ロバのパン屋、友だちが捕まえた玉虫…。人によってさまざまな「なつかしきもの」があるでしょう。それらには子どもの頃の幸福感(無条件で抱きしめたくなるようななつかしさ)がひたひたと閉じこめられているはずです。なつかしさは、大人を一瞬のうちに背の高い子どもに戻して猜疑心や警戒心を取り除くばかりか、親近感を感じさせる魔法です。
営業でもっとも苦労するのは、無条件の信頼感をどう勝ち得るかですね。だからといって、同窓生のつてを辿ったり、縁日の屋台を販促として活用するなどレトロ感覚を取り入れるだけでは何か本質を捉え損ねているような気がします。
突き詰めて考えれば、こうしたなつかしさは、居心地のよい空間、居心地のよい場面に居合わせ、そこに帰属していることに満足した、あるいは喜びを感じたからではないでしょうか? つまり究極の営業とは、できるだけ長い期間ひいきにしてくれるような生涯ファンクラブづくりであり、そこでは企業とそのファンという交流のみならず、お客様同士の交流が生まれるような、まさにコミュニティづくりではないかと思います。
せっかく信用を築いて固定客となってもらっても、その固定客がかなりの割合で流出して戻って来なくなるのが2001年の顧客と企業・商店の関係です。一方でまったくのゼロから新規顧客を獲得するまでに要する手間と費用は膨大です。会社と顧客の関係を深めるために、顧客同士のつながりを実感させるマーケティングをすることで、結果として自社の提供するコミュニティにとどまる確率を高めるべきではないでしょうか?
個々の業種、業態でアプローチは違うでしょう。すでにいくつかのプランが浮かんでいます。ただし企業の姿勢、理念が共感を呼ぶかどうかが原点にあることは間違いないようです。ここにきて経営理念やマーケティングを顧客との関係づくりから再定義する必要が出てきました。顧客とのリレーションに情熱を注ぐ徳島の企業をモデルに、オンラインとオフラインを活用しながらコミュニティデザインの実践を試行してみたいと考えています。
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