「無常感」


 約10年と20万キロを走行したクルマを乗り換えた。これだけ走りながらエンジンは絶好調で足回りやブレーキの劣化はほとんど感じない。前回の車検を受けて1年は経過していないが、エコカー補助金の趣旨に賛同しないので補助金終了を待って購入した。

 そのクルマは1500CCのスバル・インプレッサ(4速AT)であった。無事故無違反を続けているのは安全運転への並々ならぬ思いで運転しているから。地球環境にもできうる範囲で責任を持ちたい。長年乗り慣れたクルマは自分の手足のようで地球の上を逆らわずに滑っていく感覚がした。
 その結果、このクルマの通算燃費はガソリン1リットル当たり15キロメートル近く走った。以前にも書いたが、エコ運転の秘訣はのろのろ走ることではなく予測運転にあると思う。数字をよくすることが目的でなく、人と地球へのわずかな配慮が積み重なって結果としてエコノミーとなるのだろう。道路にはそれぞれ無理のない走行速度があり、その流れに沿って走ればいい。

 数字に表れないこととしてはクルマを使うことの必然性を高めることもある。仕事の予定を早め早めにアポイントを入れて組み立てることで移動距離を最小限とする。人生もクルマも計画的に行うことで合理化は可能である。
 計画とは、精神の自由を手に入れる手段でもあると考える。計画をつくることは、未来の自分にどれだけの時間を使う余地があるかを明らかにするとともに、その時間をどのように使いたいかを問われていることだと思う。ひらたく言えば、人生を遊ぶために意図を持って分岐点を設定するのが計画だともいえる。
 インプレッサを手放す朝は新車の納品日であり、たまたま誕生日でもあった。インプレッサには、祝詞とともに御神酒をふるまい、それまでの安全に運転できたことに感謝した。

 ★  ★  ★  

 合理化は製造業のキーワードである。その結果、リードタイムの短縮や多頻度少量生産への対応、もしくはコストダウンを図ることができる。しかしいまはモノ余りであり、製品のライフサイクルは短くなっている。しかも日本の生産人口は減少に転じており、市場全体が縮小に向かっている。生産設備を考えるとき、需要は右肩下がりを前提に行うことになる。マスコミ等でもてはやされたヒット製品(例えば、桃屋のラー油など)の品切れ状態が解消できないのは「品薄商法」というマーケティングの仕掛けもあるだろうが、企業は増産のための設備投資に慎重にならざるをえないからだ。
 高度経済成長期は使い捨てを助長した側面は否定できないが、ある面では人とモノの幸福な結びつきもあったと思う。経済全体が成長するなかで「合理性」だけでない「夢」「理想」というモノサシも同居しており、それに向かう人々が少なからずいたからだ。そうして生まれたモノには優れた製品が少なくない。いまでもインターネットオークションにこの時代の製品が出品され、競争で入札されるのはそのためだ。
 あえていいたい。モノづくりには合理化を越えた、作り手の魂を込めたいのだと。モノを通した作り手と使い手の心がつながること、それは購入の大義名分を必要としない、もっと感覚的、もっと感性の世界。「匠の技」「こだわりの…」の通販の美辞麗句を必要としないさりげない存在感とでもいおうか。
 いまは消費に大義名分が必要になっている。クルマも家電品も「エコ」を切り口に、非エコ的な使えるモノの買い替えが促進されている。それは一時的に需要を喚起するかもしれないが、潜在的な需要をあぶりだした「先食い」であったり、他に向けるはずの可処分所得を振り替えただけにすぎない。中長期のビジョンがない国の施策のひとつがエコカー補助金だろう。

 さて、いざインプレッサを手放すとなると愛着があるだけに切なさもある。単に移動する手段のクルマであるけれど、一定の時間をともに紡いできた仲間だった。そうしたためらいがあって、買い替えを思いとどまったのかもしれない。インプレッサの次は、夢やわくわくを紡ぐ伴侶となりそうなクルマを選んだ。

 ★  ★  ★

 吉野川第十堰で献身的な活動を続けて来た姫野雅義さんが海部川で行方不明になった10月3日は県外主張中であった(ケータイ電話に連絡があって姫野さんの事故を知った)。台風後の増水をねらってアユ採りに行き行方不明となった叔父を捜索した経験を持つだけに、いてもたってもいられなかった(姫野さんが発見されたすぐ下流には「姫能橋」がある。偶然の一致だろうか。この橋は老朽化によりまもなく撤去される見込みである)。
 姫野さんとはさまざまな場面を共有したが、じっくりと考え抜いて的確な判断を下す人であった。テレビ放映や記者会見で明快な論理を組み立ててインタビューに答える映像をご覧になった方は少なくないと思うが、さまざまな意見や利害がからみあう要素を解きほぐす(世の中はこの逆で単純なことを複雑にする人が多い)。温厚で実直な人柄であるが、自分のことは常に後回しなので、ご家族も誇りに思いながらも大変であったと思う。天から与えられた使命感を自覚して行動している人だった。

 姫野さんは自分のモノサシを持っていた。環境の変化を読み切りながらモノサシに照らして譲るところ、守るところなどを判断していた。けれど自分の価値観を他人に押しつけることはなかった。だからこそ、さまざまな意見がある人を納得させてまとめあげることができた。活動の母体であった「吉野川第十堰の未来をつくるみんなの会」を解散したのも大局観があったからだろう。
 経営においても理念があるからこそ、新たな局面や困難な場面にも柔軟に対応できる。なぜなら、自分(自社)の姿勢がぶれないモノサシがあるから。理念がなければ、世の中に流され「迷走」と「優柔不断」を繰り返すことになる。理念があれば柔軟に対応できるのだ。

 第十堰を離れて川を語るときの姫野さんはうれしそうだ。子どものような無邪気ささえ漂い、人の良さそうな田舎のおじさんが照れ笑いをするような風情であった。ほんとうは川についてのエッセイを思うままに綴ってみたかったのだろうし(姫野さんの散文には郷愁や詩情が漂う)、もっと読みたかった。
 姫野さんが社会に投げかけた問題提起は多くの人の共感を生み、行動を呼び起こした。時間をかけて人間の絆を育んだが、時代の流れで失われていく地域の絆を結わえ直す次の段階をめざしていただけに個人的にも社会的にも喪失感は大きい。

 クルマ乗換の設定変更を待つディーラーで、過日を走馬燈のように振り返りながらThinkPadのキーボードを打鍵している。


DSC_0594.jpg  雪の山道をチェーンで走る

DSC_8789.jpg  朽ちかけた姫能橋から上流をみる

DSC_9339C.jpg この上流の瀬がお気に入りの友釣りの場所


 

Copyright(c) 2008 office soratoumi,All Right Reserved