「メモを取る」
 メモは要点だけをまとめるもの、と思われがちですが、ぼくの経験からはそうではないと思います。メモを取ることは、相手の発言の趣旨を理解しながらそれを正確に迅速に言葉に変換して記録するということです。ところが、要点だけを咀嚼しようとしても次々と発言が進行していき、人によってはあちこちに飛びながら当初の趣旨が埋没してしまう人もいます。要点だけを記す方法では、いったん記憶装置に発言を貯えてから咀嚼して記すという三段構えになり、作業が複雑になって正確に内容を把握することは難しいと気付くのです。

 それではどうすればよいか? 内容をある程度簡略化しますが、話の内容をそのまま記せばよいのです。素人の仮説ですが、メモ取りという作業そのものを単純化することで、理解する作業に脳がシフトしやすくなるのではないでしょうか?

 このところ、行政の会議などへの委員としての出席やフォーラムでのコーディネータ、パネリストの依頼が多くなっていますが、こうしたメモ術が役に立っています。1時間に便せん10〜20枚程度のメモが残ることもあるわけですが、その利点として、誰かの発言を引用しやすいこと、細部に集中できること。また要点をまとめないということは、そのときは重要でないと思えたことでも、会議の流れによっては重要になってくることがあり、ただちにそこへ会議全体を差し戻すことができます。
 メモを取る実践を繰り返すうちに身体が自然に覚えてしまったことを、「なぜそうなのか?」と論理立てて理解することが大切です。

 すばやく書くことに特化するのなら(実際に行っていますが)、筆記具は筆圧が軽くて滑りのよい、中字程度の万年筆(1万円前後にいい製品があります)を使い、ノートではなく罫線の入った便せんをあらかじめたくさん用意しておくこと、講演ならなるべく前の席に陣取ること、日本語入力がしやすく疲れないキーボード(REUDO社から発売されているキーボードなら、ほとんど話す速さで打てます)を使用するなどが要領と言えるでしょう。この方法でテープ起こしの原稿作成を行えば、その日のうちにテープ起こしが完了します。

 正確にメモを取るのなら、単純にメモ量を増やせばよいことに気付きました。またそのことに気付くためには、テープレコーダが使えない、迅速に講演録を作成する必要がある、などの制約条件が与えられてはじめて理想的な手法が開発されたのです。

 そうです。問題の本質を別の確度から突き詰めていけば、「制約が自由な発想を生み出す」ことに気付いたかどうかです。俳句の世界然り、スポーツのルール然り、経営然り、実は人生もそうではないのでしょうか?

 歴史的な発明は、苦難を乗り越えてはじめて生み出されました。まさに創造は、苦難と共生していると言えるでしょう。何かのできごとが起こったとき、いつも「なぜ?」を自問し、物事の本質を多面的に観ること---コンサルティングの現場では、いつもそれが求められています。そしてその後ろには、「生きる」ことの本質が見え隠れしています。


Copyright(c) 2001 office soratoumi,All Right Reserved