「小惑星探査機「はやぶさ」が教えてくれた」


 西暦2010年6月13日、オーストラリアの砂漠の上空で盛大な流れ星が見られた。小惑星探査機「はやぶさ」がついに戻ってきた。はやぶさは小惑星「イトカワ」のサンプル採取を行い、それを持ち帰ることを目標に開発され、2003年に打ち上げられたもの。このプロジェクトには、イオンエンジンによる惑星間往復航行や地球の引力を利用して加速するというスイングバイ、小惑星への着陸を行って帰還を果たすなど、世界初の試みがいくつもあり、プロジェクトの難易度は極めて高いとされる。
 小惑星イトカワの物質が封入されている可能性が高いカプセルを分離して使命を果たした後、火の玉となって地上に有終の姿を見せたはやぶさに多くの人が思いをはせ、生きる勇気をもらった(当初の計画ではカプセルを放出後、大気圏に突入せず軌道に戻る予定であったが、機体の損傷が大きく推進力が足りないため大気圏突入となった)。

 はやぶさの7年間のミッションは試練続きであった。小惑星イトカワに着陸後、燃料が漏洩し、各種制御が困難となって地球との音信が2か月近く途絶えたことがあった。はやぶさは、地球から指令を送信して動かしているが、イトカワへの着陸においては地上から着陸の指示を出すものの、はやぶさの判断(自立的制御)で実行される。電波が往復するのに半時間程度かかるため状況がわかってから指示を出しても間に合わないからである。地上のインターネットの百万分の一程度の通信速度のなかでプログラムの書き換えを行ったり、搭載カメラが撮影した映像を地球に送信したりしている。

 そんな状況なので、ひとたびトラブルが起これば復旧は容易ではないことが予想される。イトカワへの二度の着陸で機体は制御機構に重大なダメージを抱え、そのうえ燃料漏れを起こし、充電池は放電されてしまう。小惑星のサンプルをカプセルに移すためには電力がどうしても要る(カプセルは耐熱構造となっている)。リチウムイオン電池は電子機器での発火事故が多発するなど取扱が難しい。放電した電池に充電を行えば爆発の怖れがある。 
 しかし技術者たちは検討を重ねて、太陽光パネルからの電力をほんとうに少しずつ慎重に充電を行った。制御を失った機体はイオンエンジンの中和に使うキセノンガスを小刻みに放出して制御することを覚えた。

 推進力の要であるイオンエンジンの連続稼働時間はそれまでの世界記録を塗り替えてはいたが、設計寿命が近づくにつれ調子が悪くなり、だましだまし運用していた。そして地球帰還を目前に控えた2009年11月、ついには四機目のイオンエンジンが故障し、はやぶさの推進力は絶たれてしまう。
 そのとき、四機のエンジンの生きている部分を相互に接続して1機のエンジンとして使うウルトラCが出た。そんなことが可能だったのか。これが地球上であれば、技術者が半田ごてを持ってそれをやればいい。しかし無人の探査機である。 
 実はすでに回路切り替えの機能を設計者がもたせていた。といっても部品組み込みによる重量増は避けなければならない。なんとその機能はたった1個のダイオードで賄ったという。このことはプロジェクトの責任者である川口プロジェクトマネージャーも知らなかったとされる。

 こうした一発勝負の冒険やミッションはひとつの命題がある。それは「絶対に役割を果たす」ということである。そのために、幾重にも安全性を確保する必要性がある(冗長性という)。
 ロケットの打ち上げのみならず、仕事や人生において大きなプロジェクトを行うことになったとき、ひとは一生懸命に考えて実行するだろう。昼や夜も寝ているときでさえ頭から離れたことがない。
 成功するための秘訣はまさにそこにある。極限まで追い込まれた脳は悲鳴を上げる。しかしその状態で脳の神経回路はあるときこれまでと違った「神経細胞のつながり」(シナプス)を形成するようになる。そのとき、ひらめく―。
 まず「理念」がある。使命感や強い志が出発点である。それに則って極限まで思考や行動を高める過程で「感性」がひらめく。その結果、「行動」が効果的に促進される。 

 デフレ経済を受けて国家予算は縮小傾向にあり、宇宙開発などの分野はまっさきに削られる可能性がある。MUSES-C(はやぶさ)の場合、予算を付ける立場からすれば「リスクが多すぎる。成功させるのは困難」と評価されてもおかしくはない。
 けれど、こうも考える。潤沢な予算は設計や人員にゆとりを生み、冗長性の確保の点では有利だろう。しかし、資金のゆとりは外注や委託が増えることを意味する。
 ここで「プロジェクトX」を思い出す。あのシナリオはいつもこうだ。ライバルより圧倒的に劣る経営資源や状況のなかで(むしろそれだから)、これまでとまったく違う革新的な方法を模索し、信念と熱意で実現に向けて取り組んだ。はやぶさを救ったのは「もしも…だったら」という危機を未然に予測した想像力であった。

 はやぶさが潤沢な予算であったとは考えにくい。しかしそれがかえって幸いしたかもしれないとも考える。
 とはいえ、はやぶさの後継プロジェクト「はやぶさ2」は、当初17億円を要求した予算が事業仕訳で3千万円に減額されたことは記憶に新しい。国会議員一人分の報酬程度で技術者の人件費はおろか、材料も買えないだろう。
 はやぶさのプロジェクトは、太陽系の起源を知る有力な手がかりとなる。遠い過去は私たちや地球の成り立ちを教えてくれる。そこから見えてくる未来がきっとあるはずである。

 いまの時代、ほんとうに必要なのは、未来への投資であると考える。みんなが少しずつ出し合って(我慢しあって)未来の夢をつくる事業に配分すべきではないのだろうか。
 もし、このプロジェクトが失敗に終わっていたら次の予算は付けるべきではないのか。それは違うだろう。科学技術の進歩は試行錯誤の繰り返しであり、結果だけで判断できない。はやぶさの成功には、目的を達成することなく火星軌道を彷徨うこととなった火星探査機「のぞみ」の経験が活かされているはずである。
 今回のプロジェクトには日本の若手技術者が多数関わった。「小惑星のサンプルリターン」というミッションを遂行するために惑星探査機を7年間運用できたことは、若手技術者に多くの実践経験を積ませることができた。その意義は計り知れない。

 これまで日本の政治は未来の日本をどうつくるかを真剣に向かいあうことなく、ただ目先の対応や有権者へのニンジンに終始した。政権が変わっても、ばらまきの蛇口が変わっただけで本質的に変わっていない。人気取りのパフォーマンスに眩惑されて政策の本質を見つめようとしない有権者にも責任はあるだろう。
 未来はどうあるべきか、どうしたいのか―。一人ひとりの生活者が真剣に考え、それぞれができることを日々積み重ねていくしかないのではないか。


 

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