「冬の一日の幸福感」


 築30年を越える鉄筋のこの家は冬の冷えが直接的に伝わる。構造体の芯が冷えている感じだ。特に朝は冷え冷えとした宇宙空間に浮かぶ家といった感じ。一日の仕事が終わる時間は遅いが、仕事は翌日に引きずりたくない。眠る時間は愛おしいが、眠らない時間も使いたい。とにかく一日は限られている。
 そうだ、疲れを取ろう。疲れは疲労物質が貯まるからとすれば、血流をよくして疲労物質を排出すると疲れが軽減されるだろう。そうであれば風呂にはゆったり浸かりたい。できることなら入浴剤を選びたい。
 ということで四百円程度の入浴剤をいくつか常備している。夜空が凍てつく冬の夜には薬湯と称する生姜入りだ。これにさらに安価なミネラル塩を追加すると、さらに温もる感じがあって湯冷めもしにくいようだ。生姜入りは皮膚の表面が暖かいが、塩を入れると深部まで温まる感じ。二番手は温泉成分を含む濁り湯が持ち味の入浴剤で六百円。こちらはすべすべ感が心の贅沢に感じられる。三番手は二番手よりも温泉成分がさらに豊富に含まれるもの。価格は七百円近いが入浴剤で疲れが取れれば安いもの。翌日の仕事がハードなときのとっておきの菖蒲湯ならぬ「勝負湯」だ。四番手は、春の気配が感じられるようになってから使おうと考えているもので、商品名「バスクリン 淹れたて玉露の香り」というもの。この製品は一昨年使って良かったもので、その後しばらく店頭から消えていたが、ひょっこり愛媛県西条市内と徳島市内で販売店を見つけた。浅緑色の湯は緑茶を連想させるし、そこから香り立つ湯気も心に元気をくれるようだ。茶を点てるのが好きなので、ついつい茶の香りには引き込まれてしまう。まあこんな具合で入浴剤はささやかな幸福を感じさせてくれる。

(写真キャプション 「茶は思考回路をしばし止めてくれる。そのとき、なにかがつなぎ変わるような気がする」)

 ゆったりと浸かる風呂は読書の時間にもなる。読書といっても読む時間が限られているので、経営関連の書籍さえ仕事中は読みたくないし(仕事中でも日経新聞などは読みたくない)。仕事を終えたあとならなおさら読む気がしない。一日の終わりに読みたい本として、非日常の話題がいい。
 例えば、万葉集。歌に添えられた解説文を何度も読んでいて覚えているぐらいなのだけれど、目を閉じて心のなかでつぶやいてみる。湯けむりの向こうに古人の心がときにまっすぐに、ときにたゆたう。
 身近な存在でありながら遠くから俯瞰するような民俗学の本や遺構の発掘を叙述的に述べた考古学の本もいい。国土地理院の二万五千分の一の地形図「畝傍山」(奈良県明日香地域を含む)などは見るだけでもにやにやしてくる(昨年は牽牛子塚古墳の被葬者が斉明天皇とほぼ同定されたニュースがあった。数年おきに明日香へ行きたくなる)。あるいは一度読み終えた推理小説なども再度読み返してトリックだけでなく、心理や情景の描写、伏線づくりを味わってみるなどもおもしろい。

(写真キャプション 「祖谷温泉の露天風呂は掛け流しの天然温泉で渓谷を見下ろす絶景にある」)

 風呂から上がるとストレッチをして身体を伸ばす。この感覚はとても心地よいもので、道具を使わずどこでもできるため出張先でもやる。その日の疲れとその日の思考回路が筋肉の弛緩と緊張を繰り返すうち、ほどけていく。
 枕元にはメモを置く。仕事は引きずらないと書いたが、仕事は楽しいは思うので、頭のなかの一角は休ませずに仕事の素材を漬け込んでおく。こうではないかという仮説やこうすればああなるだろうといった推測、こんな反応がありえるのではないかという洞察などさまざまな調味料を漬け込んだテーマ(素材)を、ひと晩寝かせるとうまい具合にひらめくことが多い。これは脳の回路(ミューロン)のつなぎ替えが寝ている間に行われるからだろう。どんな具合に仕上がるかは前日にわくわくと期待で漬け込んだときだ。ときに夜中に目が冴えて、思考回路が火花を散らしてどんどんつながっていくことがあるが、このときの覚醒度はきわめて高く、翌朝には脳の疲労感さえ感じるほどだ。それは、ちょうど謎解きゲームを解く楽しさにも似ている。

「写真キャプション 「渓流を隔てて岩からしみ出す壁湯天然洞穴温泉(大分県九重町)」)


 布団に入ると、オーディオ装置から音楽が流れ出す。絹を成形したソフトドームツィーターをマホガニー無垢材に収めた小型スピーカーで響きはまろやか。例えていうなら、ピアノの鍵盤を弾いたときに、コツンという打鍵音とコロンという丸みが響き合うが、あれの再生がうまくいく。どんな音楽を聴くかは風呂に入っているときに心で鳴り出す音楽だ。

 音楽にも季節感はある。童謡や唱歌を聴きたくなるのは春か秋、きらめく陽光の五月には天才ドビュッシーの音彩のきらめきがまばゆい。初夏にはジョージ・ウィンストンの牧歌的な叙情がそよ風とともに窓から入ってくる。夏の宵にはピアノトリオやラテン系の音楽で涼やかに。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲はベートーヴェンとの対話のようなものだから秋の夜長にじっくりと対峙したい。雅にはしゃぐ気分のときはモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」とか。ECM系のジャズは天高い晩秋の空気にふさわしい。その合間を縫って民族音楽や環境音楽、自然録音、気分によって七十年代の日本の歌謡曲、八十年代のアイドルやニューミュージックはなつかしい。名曲と呼ばれる洋楽やJPOPなど音楽は種類を問わず好きなもので。
 とはいえ最後まで聞くことはなく、たいていは最初の数分で記憶がなくなっている。とにかくこうして一日が終わる。冬の一日、寒かったけれど、また明日から生きていく。それはみんなも同じこと。


 

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