小松島、勝浦、上勝…勝浦川流域の結び直し
小松島市、勝浦町、上勝町。

歴史を繙いてみれば、これらの自治体はもともとつながりが深い。市内を流れる神田瀬川、芝生川は、かつて勝浦川が流れた跡(旧河跡)であるし、小松島の市街地そのものが勝浦川の氾濫によってできた沖積平野である。勝浦川の洪水がつくった土地であり、土砂が運んで浅くなった海を開墾した歴史でもある。

行政区の呼び名の勝浦郡小松島町に、那賀郡立江町が合併して昭和26年に小松島市となり、まもなく那賀郡坂野町が加わった。勝浦川の流域に那賀川の流域が加わったことになる。

流域---降った雨を集める地域は、川がつくったつながりの深い地勢であり、それが人々の暮らしや経済と密接に結びついている。いまでも自治体の境界は分水嶺を通る場合が多いのはそのためである。けれどそうは言っても、道路ができ、ダムができ、川を介して水と物質の循環が断ち切られると、川でつながっていた暮らしが分断され、流域を意識することが少なくなった。

当初、小松島地区に置かれた合併協議会は、上勝町、勝浦町の勝浦川流域2町と、羽ノ浦町、那賀川町の那賀川流域の2町が候補に上がったものも頷ける。しかしこの合併協議会は、那賀川町の脱退等によって解散した。

かつて人々の暮らしは自然、とりわけ川に依存するとともに影響を受けていた。日本の平野はことごとく川の氾濫源であり、洪水がつくりだした土地である。川がもたらす恵みと災いとうまく付き合いながら、暮らしてきた人々の営みが刻まれている。そこから学べる未来がきっとあるはず。

上勝町、勝浦町、小松島市の合併は、総務省主導の「強制」的合併ではなく、流域「共生」圏。国の失政(といってもよいと思う)による財政事情の逼迫で合併を余儀なくされるというよりも、豊かな未来を求めて流域で生きることを再定義するきっかけとなるのではないか。

小松島市内のショッピングセンターには、勝浦町、上勝町からの入り込み客が相当多く経済的には不可分の関係にある。しかし下流から見た上流の意義を自覚する機会は少ない。1998年に創設された勝浦川流域ネットワークは、流域の交流を通じて環境保全を行うというものだが、百年をかけて取り組んでいくことの深い意味が見えてきた。

流域がひとつの生活圏として、相互依存の関係になること。自立的かつ自律的な関係を認め合いながら、ほつれた糸をつなぎ直すように結わえていく作業。それは合併というよりも、勝浦川流域共生圏の結び直し。
(2003年5月31日)

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