青い宝〜やなわらばー


石垣島は、忘れがたい余韻を残す。同じ八重山諸島でも、西表島の濃い生態系に取り囲まれた隔絶感(それが味わいたくて)はないし、竹富島の濃密な地域社会の雰囲気とも違う。

都市と田園、山々と珊瑚礁の境目がない。石垣をめざして集まり、そこから旅立つ人々の行き来を見守るのは、大きな牛が横たわるような島の姿。


「やなわらばー」は、石垣島で生まれ育ったふたりの女性、ボーカルと三線(さんしん)担当の石垣優、ボーカルとギター担当の東里梨生の二人組みのユニット。初めての全国発売のアルバム「青い宝」を聴いてみた。

「青い宝」――冒頭の三線が鳴り出すと、島のたたずまいが目に浮かぶ。ぼくが島を訪れたのは四月下旬であったが、海を見下ろす田園地帯のなかにあるホテルのテラスから、雨上がりの夕刻の湿った熱気に身を置いたけだるさ。石垣島の無言の抱擁だった。

 

「島での誓い思い出す♪」「離れてわかる親ぬありがたみ どんな時でもわしんなよー♪」。一つひとつの言葉を噛みしめて歌う。十代の若者がこんなに従順であっていいのか、聴いていて照れくさくなってしまう。

でも、ぼくが十代の頃はそうだった。まだ見ぬ世界に憧れ、生まれた海を離れて旅立つ若鮎のように伸びやかに舞い上がる。それでいいんだ。人が生きているのなら、感じたことを表現し行動すればいい。

何度か聴くうちに、耳に残って離れなくなった。切なくもひたむきで、それでいて初々しい。こんな感じで八重山民謡の「月ぬ美しゃ」を歌ったら、まったく新しい曲に聞こえるのではないだろうか(聴きたいな)。

遠くへ歩みを進めたから見えてきた故郷。そんな想いを三線と生ギター、それに化粧を施さない録音で生のまま閉じこめた。



「カーチバイ〜夏の風」を聴くとき、石垣島の北部の風景が似合う。島がくびれて細くなった伊原間から明石、久宇良、平久保にかけての急峻な山々とその裾野に広がる牧草地、海に向かうなだらかなきび畑とそれらを遠く広く囲む珊瑚礁。



同じ石垣島でも白保になると歌者(代々練習を積み重ねた歌の達人)という雰囲気があるけれど、やなわらばーの歌は、素顔の石垣島が立ち上がる(やはり八重山はウタの島だ)。――癒される、という人もいるだろう。癒しとは、ひたむきさ、なにかを確信したとき、自分を発見できたときの強さにうち震える心の動きだと思うから。
(2004年7月5日)

→ やなわらばー「青い宝」

→ やなわらばーを知りたい人は、公式Webサイトへ(視聴もできる)



七月七日の朝、きょうも暑い一日を予感させる。やなわらばーの音楽を今朝初めてスピーカーを鳴らして聴く(いままではパソコンのスピーカー;だった)。マホガニー無垢の木にマウントされた針葉樹コーンとシルクソフトドームのビクターのスピーカー。東向きの窓を開ければ心地よい夏の風。今宵の七夕はきっと川を渡れる。外はすでにせみしぐれ。

三線とギターが主力というシンプルな音づくり。三線を使っていても沖縄の異国情緒という感じがしない。ぼくのなかに沖縄が自然体となっているからなのかな。それもあるけれど、やなわらばーが、三線とともに普段の呼吸をしているからだろう。八重山の音楽の香りをたたえながら、八重山をことさらに意識させることなく、ひとの心にすぅっと入ってくる。

ナチュラル、包み込む、さりげなさ。そんな低音の持ち主と、高音の艶、小節、突き抜ける存在感。そんな高音の持ち主が、ときにソロで、ときに二人のユニゾンで、そしてときに高低でうたう。

   七月の青空にすくっと伸びたひまわりのつぼみの初々しさ
   これから大輪の花を咲かせる その直前のような

ゆったりとした夏の風、石垣島への思いがひたひたと打ち寄せる。気が付くと、彼女たちの郷愁のなかにぼくはいる。この心地よさはなんだろう?
(7月7日)

→ やなわらばー「青い宝」

→ やなわらばーを知りたい人は、公式Webサイトへ(視聴もできる)


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