誰にも消せない志〜ある大学教員の等身大の生活感
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とある大学で開かれた生物保全の研究会に招かれて参加した。スピーカーのなかで、短時間ながら出色の出来映えの人がいらっしゃって、名刺交換をしたあと、お礼のメールをお送りした。 すると返ってきたメールがまたすばらしいかった。まだ子どもが幼いぐらいの年齢の人だとお見受けするのだけれど、大学の教員という安定した(しかも世にうらやまれる)職を投げ打って(そう遠くない将来)漁師をされるおつもりだという。 今は子供達にお金がかかる時期ですし、今の仕事も楽しくやっていますので、しばらくは今の仕事を続けますが、早めに大学をやめて、故郷に戻り、水産業あるいはその近辺で何かを起こしたいと思って動いています。Y町には町内に色々な人(老人、身障者、寡婦、せこい人、そのむかし犯罪を起こした人なども!)が住んでいて、本来ならもっと、ごちゃごちゃした日常となるはずなのに、質素な生活の中に、物々交換やちょっとした助け合いが日常生活の中に組み込まれて、絶妙なバランスでコミュニティーが成り立っているのが気に入っています。私たちも、今の職で色々な事を経験し見聞して、そのようなコミュニティーに加わることができれば、もっと自分を活かせるのではないかと思っています。そんなわけで、転職のタイミングを見計らいながら、いろいろと新しいことにチャレンジして経験を積んでいるところです。 ぼくは感動した。人の世の本質を感じられたうえで、象牙の塔を出てあえてそのなかに身を置かれるという。研究とはもともと自分が生きるため、そしてそのことで社会が生きるためにあるものだと思うのだけれど、そのことを実感している人だからこそ、教員を辞めないで欲しいと思った。それだけの覚悟がある人には、伝えたいことがたくさんあるはずだもの。 吉野川第十堰をめぐる調査報告などで、真実に目を伏せて保身に走る大学の教授たち(=御用学者)を数えきれず見てきた。もしぼくが同じ立場なら、理不尽なウソを並べる権力とは絶対に闘う。誰の胸にもあるはずの内なる太陽、赤々と照らす神聖な灯は、誰にも消すことはできないし、消してはならないものだ。闘うことの(高い意味での)愉しさ、苦しさの向こうにきっとある胸のすくような快感を思うから、身を削ってでも貫きたい。 ぼくは、久しぶりに等身大の人間として感動した。感動と高い志が明日の生きる力となっいて身体じゅうにみなぎり、人から人へと伝播していく。それこそ人が生きる拠り所ではないだろうか。 そんな人たちが集まって明日の四国を創造していくんだ。 ▲戻る |