徳島は楽しいコミュニティになる?
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今回は、「徳島に住みたい」と「独学のすすめ」のパート2を一緒にしたような話題。その主人公は神奈川県在住の一人の女性。 まずは、ライターが描いたこの女性像(彼女の人となりが伝わるいい文章)を読んでみてください。 日本を変えたい! 今日も全力疾走 http://www7.plala.or.jp/lives100/masano-1.htm (↑全部で4ページあるけど、一気に読める) 彼女との出会いは、とある村でのできごとがきっかけ。ぼくはひょんなことから、村内の三セクの監査役を仰せつかった。上の文章を読んだ人ならおわかりだが、彼女が1995年にパソコン通信で投げかけた波紋が全国に広がり、やがては村内ダム建設中止のきっかけとなった。 彼女は気取らない、飾らない。でも妥協はしない。20代の頃は南米を放浪したらしいが、物事の根元に迫ろうとする行動力にだれもが舌を巻く。彼女もぼくも高卒ということ、川が好きということで共感する部分は多いのだが、一度彼女の取材(当時はフリーのジャーナリスト)に同行して吉野川の問題で建設省を訪れたことがある。建設省では「おやおや、かわいらしい女性が取材にきたな」とリラックスした雰囲気で迎えたように見えた。 ところがインタビューがはじまると、雰囲気は一変する。彼女は、淡々としかも笑顔を絶やさず質問しているのだが、論理の組み立てが鋭く、一度彼女の質問ループに入ると安易な回答では抜け出せなくなる。やがてというか当然のごとく建設省の職員がしどろもどろとなる。彼女はもう少し聞きたいことがありそうな顔つきだったが、インタビューを受けたほうはもういい加減にしろとでも言いたげでぐったりしていた。 東欧諸国からの環境NGOの面々を吉野川に案内したことがあった。英語は彼女の独壇場。20代の頃「いのちを削って勉強した」とも言っていたが、睡眠時間を惜しんで寝床のなかで英字新聞を読んでいたらしい。やりたいこと(それが日本を良くするとか地球環境を救うという途方もないテーマなのだけれど)のためには、すべてを捨てられる人ってそうざらにいない。 環境季刊誌「地球のーと」の創刊号で、彼女が文章を書き、ぼくが写真を撮るという企画があった。それは吉野川第十堰の紹介文なのだが、そのときの彼女のコピーは「250年の息が聞こえる!」。感性の人だ。 ダム中止を祝う木頭村関係者が集まるパーティーを開催したとき、彼女は3人のゲストの一人として招かれたが、なんで私が…という雰囲気で照れくさそうだった(残りの2人のゲストは全国的な知名度のある人)。そのときぼくは司会をしていたのだが、これも楽しいひとときだった。 つらいことや悔しいことも少なくないはずだが、それを吹き飛ばそうと全身全霊を燃やしているその姿を見ると、守るものが多くなったぼくにはとても真似のできない言葉と実践だなと思いつつも、少しペースダウンして細く長く続ければいいのにと思うこともある。 こんな紹介をすると、強烈な個性の女性と思われるかもしれないが、実物は、のほほんとした(どちらかといえば癒し系の)女性である。現在は国会議員の秘書をしているけれど、彼女の場合は、その動機が国を変えたいというところから出ている。自分一人ならおんぼろ長屋で生活してもおそらく平気な人だから。 今年の秋には、久しぶりに彼女とその友人の女性とで岡山県の旭川をカヌーで下るという話があったのだが、スケジュールが合わず流れてしまった。 彼女は、とあるメーリングリストに「国会脱走の詩」という連載を流している。近い将来、理解のある相棒(彼女は夫をそう呼ぶ)と徳島の山間部で晴耕雨読のような生活をしてみたいという願望があるのかもしれない。徳島にとって、またまたすてきな人のIターンとなりそうである。 全国の友人たちと力を合わせて、自然のなかで真摯に生きる人々が集うコミュニティを徳島に創る。そして、新しい地域づくりの実践を全国に発信していけばいい。これは現実逃避ではなく、現実と理由、きょうと未来を区別しない自由な実践。きっと楽しい。写真を撮りに東京から駆けつけてくる自称フォトエコロジストのM氏は来年カワガキの写真集を出すというが、彼もそのうち移住するかもしれない。みなさんもその輪のなかに加わりませんか? ▲戻る |