タヌキ寝入りができなかったタヌキ
こないだの夜、道ばたで寝ているタヌキに出会った。近所で車に轢かれたタヌキを目撃した友人がいる。近所の人が出てきて道ばたに埋めてやろうと近寄ったところ、車に跳ねられぴくりとも動かなかったタヌキは、さっと起き出していそいそと消えていったという。タヌキは窮地に陥るとタヌキ寝入りをするのだろうという話だった。その友人に届け物を持っていく途中だった。

今宵遭遇したタヌキには出血した跡はなく、おだやかな顔つきをしている。これが噂のタヌキ寝入りだと思ってその場を通り過ぎた。やがて1時間後、所用を済ませてタヌキの場を通り抜けると、まだいた。いや、タヌキは生きていなかった。安らかな寝顔だったが、生き物としての反応はもはやなかった。

歩行者として道を歩いていると、途方もない速度で車が走り去ることがある。まきこんだ風に引っ張られて一瞬ドキっとする。あくまで歩行者は現状のままの動きをするという前提で得意気に見切ったのだろう。でも、歩行者だってふいに手をひろげたり、向きを変えることだったありうる。しかもエンジン音の小さな高速一定回転で突然クルマが迫ってくるのだから気が付くともうそこに車体がある。ぼくは歩行者がいれば、どんなに急いでいても速度を緩め、さらに距離を置いて進む。人を驚かせるぐらいなら、自分の車が破損するほうがましだ。例え事故がなくても歩行者に不安を抱かせるだけでも重罪だと思う。

走る車のなかで、タヌキのために般若心経を上げてやった。タヌキといえどもこの世に生まれたいのち。それを同じ人間の無謀な運転の犠牲になってしまった。いつも繰り返される交通事故の悲劇。いつ自分が加害者になるかもしれないと思いつつ、いつも最悪のシナリオを予測しながらハンドルを握っている。
(10月5日)


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