吉野川が奏でるジョージ・ウィンストン〜四季四部作のピアノ 吉野川は、日本が誇れる川。それを音楽で表すとしたら? これ以上ないくらいに浮かんでくる旋律がある。 吉野川ってどんな川なんだろう。 源流の想像を絶する美しさ。いくつかの巨大ダムで分断されながらも四国山地の水を集めて甦り、大歩危小歩危という日本一の長大な渓谷。 秘境祖谷を従え、高校野球で有名な池田町からはくるりと向きを変えて東向きに流れる。日本の大河で東西に流れる唯一の川であり、太陽が川から昇って川に沈む。 夕暮れにたたずむ潜水橋、竹林、かんどり船 吉野川流域の肥沃な土は今日でも農作物に恵みを与えている。それは洪水がもたらしたもの。国土交通省をして基本高水(想定される最大洪水量)は日本一の値を取らせている。しかし流域の人々は、洪水がもたらす恵みを受け止め、災いから巧みに逃れた。その絶妙のしくみが吉野川の竹林(水害防備林という)。 中流では長さ約40キロメートル、面積270ヘクタールに及ぶ日本最大規模の竹林が幾重にも川を囲む。竹林に守られた善入寺島は、大正年間まで三千人が住んでいた大きな中州。 河口から14キロにある豊かな生態系を誇る第十堰は、250年間の人と川の関わりの歴史を刻む。海まであとわずかというのに、源流のような湧き水の清冽さ。夕方遅くまで子どもが遊ぶ堰の下流は生態系豊かな場所。この未来に継承する資産を住民の力で守り、日本の民主主義の夜明けを開いたのが、第十堰住民投票とそれを実現した市民の心。 最後はラムサールにも登録された河口干潟。シギ、チドリ、シオマネキなどの宝庫で世界的にも貴重といわれる。こんな場所が市内からわずか10分の場所にある。 人々の心に刻まれた四国の大河を思うとき、いつも聴こえてくる音楽がある。それは、ジョージ・ウィンストン「Summer」。 「The Garden」は、源流の最初の一滴のようにしたたる水と、その行方、人々との出会いに託した空の願いのような音楽が空間にぽつんと落ちていく。ここから海に向けて196キロの水の旅が始まる。 「Living in the Country」は、子どもたちの笑顔を集めて流れる山間の清冽な水が踊るよう。 「Loreal and Desiree's Boouquet-Part1」は、250年にわたって続けられてきた人と川の営みを吉野川が振り返るとき、きっとこんなおだやかで訥々と語ってくれるのではないかと思われるピアノの旋律。 「Loreal and Desiree's Boouquet-Part2」では、巨大なダム計画によって立ちこめる人々の心の暗雲を象徴する。 「Fragrant Field」は、一面の菜の花に香る3月の吉野川の幸福感。 「Spring Creek」「Black Stallion」は、洪水と付き合ってきた人々の暮らしが営々と綴られるようで。 「Humminbird」は、小さな流れ(支流)を彷彿させ、「Early Morning Range」は、かつて吉野川河口にあった巨大な中州「鬼ケ洲」で少年が夢見たボテ釣りを奏でる。 「Living Without You 」。刀鍛冶を夢見た若者が弟子入りした先で見初めた親方の娘。親方に腕を上げたところを見てもらおうと張り切るが、親方はその心の動きが作品づくりに邪魔と見抜いて若者を諫める。そんな若者をなだめる娘の物語を音にしたらこうなるはず。 「 Goodbye Montana」。知らず知らず遠くまではるばる人生の旅をしてきた。振り返るとなつかしい。こみ上げてくる思いで胸がいっぱいになる。記憶の背景にいつもあったのが、ふるさとのあの川。好きだった女の子を思い出す。 「Where Are You Now」。吉野川の水は、196キロメートルの旅を終えてようやくたどりついた。そこは多くの生き物が棲む広大な河口干潟。ダムに分断され、渓谷を走り、剣山からの支流を集め、いくたの堰を乗り越えた水は何を思うのだろうか? ジョージ・ウィンストンは、ショパン以上に詩的なピアノ音楽をもたらしてくれる。なかでもぼくが好きなのはこのアルバム。ぼくにとって吉野川そのものを奏でてくれる音楽。好きな音楽を5つ挙げるとすれば、間違いなく「サマー」は入る。 四国の川とピアノの幸福な出会い。一度聴いてみてはいかがでしょうか? ジョージ・ウィンストン「サマー」 追記 「四国の川と生きる」の吉野川のページをぜひご覧ください。 その他のジョージ・ウィンストンの作品についても書いておこう。 ◆「オータム」 このアルバムが好きという人は多い。有名なLonging/Loveも悪くないが、ぼくが好きなのは、1曲目の「Colors/Dance」。ラフマニノフのピアノ協奏曲と並んで、秋の切なさを感じさせる佳曲。仕事が終わってある女性とこの曲を聴きながらワインを飲んだのも思い出。この上なく豊かな時間が流れる。 分け入るように始まった楽曲が、心の昂ぶりとともに動いていく。4分後ぐらいから現れる短調の旋律。いばらをかき分けて進むかのような静かな激情。6分の後半から少しずつ何かを掴もうとする。しかし冒頭の旋律が見え隠れするが再び翳りに沈む。来るべき冬の予感を秘めながら、冒頭のおだやかな雰囲気に戻ることなく次の曲へと手渡される。詩的な作品ということでは、ジョージ・ウィンストンでも指折りだと思う。このアルバムでは、この曲に2〜3度浸ってみるのが好きだ。 「オータム」では、秋の憂愁が全編に散りばめられている。 ◆「ディセンバー」 アナログレコードが全盛期を迎えた頃、友人宅には、黒塗りのピアノを思わせる精悍な外見をしたスピーカーかあった。北欧の放送局でも使われたヤマハの名機NS-1000M。ベリリウム振動板から紡がれる清澄なピアノや弦の響きの美しさは想像を絶するものだった。 友人は、大切そうに一枚のレコードを取り出した。それは、ていねいな紙のジャケット、手厚く保護されたシートにくるまれているウィンダムヒルのレコード。手に取ると作り手の愛情が確かに感じられる。さらにシンプルに録音されたウィンダムヒルレーベルの録音は楽器と演奏者以外は感じさせない純度の高いものだった。CD時代になって他のレーベルとそれほど違いが感じられなくなった。ウィンダムヒルレーベルのアナログレコードを持っている人は宝物だ。 針を落として流れ出したのは、バッハやパッヘルベルの作品をアレンジしたもの。敬虔なクリスチャンの心の支えになる音楽という位置づけがあるのかもしれないが、純粋に音楽だけ聴いてもクリスタルガラスのような美しさは何物にも代え難い。冬の寒い夜に、酒で少しからだを温めてから灯りを消して眠りに就くときにこれをかける。音楽にこれ以上何が必要かと思わせる。幸福とはこんなものだなと感じるひととき。 「ディセンバー」 ◆「ウィンター イントゥ スプリング」 春を待つ心、それは南国四国に住んでいても変わらない。この音楽はぼくにとって特別だ。事実を元に物語を創作したので紹介しておこう。 仲の良い兄妹(妹と兄は歳が離れている)がまだ水の冷たい春の河原に出て、ツクシ取りなどをしながら遊んでいた。そのうち、手を洗いたくなった妹を水辺に連れていき、手を洗ってやっていた兄。そこへ春風のいたずらで妹の帽子が飛ばされる。それは妹にとって大切なもの。春の大雨のあとで濁っていた川の浅瀬を走って追いかけた兄。しかし…。続きはこちらで。 3曲目の「Ocean Waves」は、幼い兄妹が川で遊んだ時間へ連れ戻される。6曲目の「Blossom/Meadow」の弾むような春の踊り、そして最後の曲でなつかしさがあふれてくる。 冬から春へを待ちわびる心をピアノという楽器でここまで描ききれるのは、ショパンでも不可能だったと思う。 「ウィンター イントゥ スプリング」 ▲戻る |
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