百歳までの長距離走〜スローワイフのすすめ

10代から20代にかけて、夢は?と聞かれると「百歳まで生きること」って答えていた。それは今も変わらない。でも、もしかして明日死のうとも後悔しない。その日にできることを全力を出してやりきろうと生きている。

なぜ、長生きしたいかって? やりたいことがたくさんあって、それぐらいはかかりそうだから、すり切れてしまう短距離型ではなく長距離型で行きたい。いまのぼくは、十年前の種まきがようやく果実となった。このところ一日20時間、1年360日ぐらい仕事(というかやりたいこと)をやっているような気がするけれど、次の十年が楽しみ。

仕事のなかに、営利(コンサルタント)と非営利(NGO、NPOなど)がある。いずれもぼくが生きていくよりどころ。非営利の活動から志の大切さをからだで感じ、伝えること、わかりあおうとする過程を学ぶ(そんな自立的自律的な地域の動きを「プロセスの宝物」と表現したのは、下関大学の坂本教授)。

だから営利活動が楽しくなる。コミュニケーションはいずれも同じ。だけど、高い理想とゆるやかなつながりでヒトが動く非営利の活動プロセスには、営利活動も学ぶところは多いはず。その逆に、(限られたヒト、モノ、カネ、情報の)非営利活動だからこそ、入念なマーケティングや戦略、管理態勢、人材育成ノウハウが欠かせない。

ぼくは、入試を経験していない(中学、高校に受験はあったが、特にそのための勉強をしていない。大学はそもそも受験していない)。だけど勉強は大好き。「辞書を見ながら寝床に入る至福のひととき」なんて書くと、変に思われるだろうな。

ちょっと脱線するけど、ぼくが普段使う辞書は、パソコン内にある大辞林のCD-ROM版と冊子体の明鏡国語辞典。引きやすく見やすく完成度が高いのは三省堂国語辞典で、多くの人におすすめできる。ぼくは持っていないが日本語の語感を鮮明に伝えようと意欲的な新明解国語辞典もいい。ただし広辞苑が日本語の基準とは思わないし思えない。

試験勉強をしていないからか、みんなが読める漢字が読めなかったり熟語の意味を知らないことがときどきある。だから文章を書くことにした。いつのまにか文を書くことが好きになった。中小企業診断士の受験はほとんど記述式だけれど、書くことが好きだったことが幸いして独学であるにもかかわらずストレート合格した。

今度は感性を思い切り羽ばたかせてみようと思ったので小説(「空と海」、「風の回廊」を書いた。仕事を休んで数年かけて書いたもの。こんなにわくわくすることはない。だって夜遅くまで寝たくない、朝早く起きて書きたい。それはそうと自分の書いたものが一番好き。疲れたときに読むと癒される。

仕事で書く報告書やプレゼンテーションでは、わかりやすく説得力ある記述、矛盾のない論理の組み立てがもっとも大切だけど、そこに感性の彩りを加えることを忘れない。わかりやすさが第一義ではあっても、無味乾燥の文字の羅列では人の心は打たない(国会国立図書館や徳島県立図書館に蔵書されている「南阿波の新しい波」を読んでみてください。これが報告書とは思わないでしょう)。

数え切れないぐらいの新聞投稿や記事執筆では、経営やマーケティングのみならず、人と自然の関わりや社会派的な話題を扱うことが多い。特に吉野川第十堰問題では、地元新聞や全国紙でたびたび発言してきた。徳島で生まれようとしている民主主義の芽を大切に育てていきたいから。なにより川が大好きだからね。川とともに生きているような人生もなかなかいいよ。

こうして自分の良心と信念に従って行動しているのだけれど、世の中には真実を語られると具合が悪い人たちがいる。だけど嫌がらせはほとんどなかった。ときどきクルマのタイヤが不自然にパンクしたことがあったぐらい。

百歳までの長距離走だから、パートナー探しもゆっくりでいいと納得している。独身なのは主義ではなく「たまたま」。(そんな人たちが増えていると思うけど)ぼくも含めて「たまどく族」と呼ぶことにしよう。

スローライフ…。最近よく聞かれる言葉。で、ぼくはスローワイフ?

(2003.4.30)

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