選挙に対する問題提起〜理念、戦略、コミュニケーション
県議選、市議選、知事選と選挙が続く2003年の春である。いまは市議選の真っ最中であるが、選挙カーの連呼は聞いても政策の訴えは聞いたことがない。当事務所は市役所のすぐそばにあるため、選挙カーは業務に差し障るぐらい廻ってくる。

「地元候補の○○です」といっても、ぼくの住んでいる4万人都市では隅から隅まで1時間もかからない。血縁、地縁頼みで地元候補を選ぶ意識の裏には、道路の補修や陳情、就職の世話等に使い使われるドブ板選挙の関係がある。

有権者も選挙にすべてを期待するのではなく、普段から議会や行政の動きを知っておきたい。自ら知る努力をしないと、何も見えてこない。

市町村議会議員選挙といっても、すでに交通網の発達で人々の移動(交流圏)は広域化している。また自治体合併が間近に迫り、近隣市町村の強み、弱み、特色、キーパースンの試みなどを知らなければ、議員として活躍できる場面は少なくなるだろう。つまり全県に視野を広げなければ活路は見出せない。最近では、「流域」という自然条件的にも人的条件でもつながりの深い地域単位での人々の交流のなかから試行錯誤しながら活性化を模索する動きもある。

地域の活性化の核心に触れられる選挙は少ない。ぼくが考える活性化とは、
(1)「○○といえば、▲▲(地名)」とすぐに思い浮かぶような地域イメージ戦略の実施
(2)個々の事業体の経営の健全化自立化を促す施策
(3)農林水産業等の素材提供型産業が流通や販売部門への進出を支援したり(地産地消のマーケティング)、産業や集積のブランドづくりを支援する施策
(4)地域の人たちによる自主的な地域づくりや生き甲斐づくりの支援

以上を通じた地域のありかた(地域理念)とそのための道筋(地域戦略)を示すことだと思う。その理念のなかに「持続的」「自立的」「参画」「ユニバーサルデザイン」「安心、安全」「NPO、NGO」「ITとコミュニケーション」「コミュニティ」「試行錯誤(テストマーケティング)」などのキーワードが入ってくるはずである。

一方で活性化の時間軸が明確にされていない。「経済界の期待を担う」とされる人たちは、実は数十年後の利益を前倒しするだけの場合が多い。これでは、カードローンに溺れて自己破産する人たちと何ら変わらない。ぼくは真の意味での地域の活性化を求めたい。

そこで、活性化の時間軸を浮き彫りにする視点として
(1)その財源はいつ、どこから来るか
(2)もし未来から調達するとしたら、子孫の利益を食い潰すことによるデメリットはどんなものか
(2)現実に投下される真水(実質的に有効な資源)はどのくらいか
(3)過去に投下してきた資源とそれに対応する効果(費用対効果)はどうであったか

ひとつだけマクロの数字を挙げると、全消費の6割弱を占めるのが実は個人消費である。ところが、全消費の9%に過ぎない政府支出を増やして景気回復を図ろうとしているのがいまのやりかた。もちろん国の支出を少々増やしたところで有効な景気対策につながるはずがない。「景気対策として国や県がもっと金を出せ」という議論が的はずれだとわかる。

真実を伝えながら、地域理念と地域戦略を明らかにすることが市町村議員として、知事としての公約ではないか。パンフレットに並ぶ「福祉と環境の充実」「雇用の促進と経済の活性化」などはお題目であって戦略ではない。

理念とは、高い理想をどれだけ遠くまで飛ばせるか、どれだけ共感してもらえるか。戦略とは、限られた地域資源(ヒト、モノ、カネ、ノウハウ、情報)をどこに、いつ、どれだけ投下するかを示し、そのことで得られる目標(効果)を明らかにすること。そしてそこに「生活者の幸福」と「選択と集中」というキーワードが入ってくる。

戦略なくして、選挙カーの連呼、(受けると迷惑な)電話がけ、(無意味な)名簿づくりにどれだけの意味があるのだろうか。

候補者としては、何をするヒトなのか、なにがウリなのかの揺るぎないイメージづくり。理念や戦略はなにか。何を約束するのかを、限られた選挙資源(ヒト、カネ、時間、ネットワーク)のなかで徹底的に伝えきるにはどうすればよいかというコミュニケーション戦略。それが選挙であると思う。

コミュニケーションとは、相手に自分を知ってもらうことではなく、相手に行動を起こしてもらうこと。もしそうだとしたら、いままでの選挙のやりかたとはまったく違う方法が浮かび上がるのではないだろうか。

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