ピュアモルトS-A4SPT-PM(サントリーオーク樽材)で聴く音楽 サントリーでは、ウィスキー醸造に使われた樽を再利用して商品化している。http://www.suntory.co.jp/taru/index.html そのなかで、2005年夏に小型スピーカーが発売された。さっそく買おうとしたもののすぐ完売。そこで予約を入れておいたところ、三ヶ月経ってようやく手に入れることができた。 ウィスキーに使われる樽は、高密度であって内部損失が大きいという特徴を持つ。硬いことと内部損失は相反するように思えるが、樽に使われるのは樹齢百年近い良質のオーク材であり、無垢材が年月を経て熟成してそうなったのかもしれない。 このスピーカーにつなぐアンプとCDプレーヤーは、かつてビクターからHMVブランドで販売された小型プリメインアンプAX-V1とペアのXL-V1。分厚いアルミ削りだしの筐体は小さくてもずっしりと重く、光を受けて輝く銀の質感が聴く気にさせる。 HMVの音質は、音楽のもっとも大切な領域をしっかりと受け止め、心地よくうたうことに徹している。ホールの持つ間接音の響き、ひとの声の温もりと湿り気を等身大で伝える。構えの立派さよりも、音楽の楽しさ、濃密な香りに重点を置いた設計である。 このプリメインとCDプレーヤーは、長らく中心的に使っていたが、昨年にオンキョーのデジタルプリメインA-1VL、C-1VLを抜擢してからは、しばらく棚で眠っていた。さて、オンキョーアンプと無垢マホガニー材でつくられたビクターのスピーカーでは、スピーカーの木質の響きの良さに、アンプの彫りの深い透明度が加わり、複雑に積み重なり合った音が見通せる。ついつい時の経つのを忘れてしまう。無垢材の響きの良さと、「情報量を整理して強調する」ようなデジタルアンプの音調がうまく適合している。 前置きが長くなったが、さっそくHMVビクターのプリメインでピュアモルトを鳴らしてみた。あっと驚くような音は出ないが、長い時間音楽に浸っていられるというのが第一感。音楽にもっとも重要な中域が点音源で違和感がない。フルレンジスピーカーの良さがわかる人なら「ああ、あんな感覚か」とわかってもらえると思うが、それに加えて高域の上品なきらめきが花を添えている。 ハイビジョン鑑賞に使う外国製の縦長スピーカーがもてはやされているが、販売店の店頭で聴いた限りでは、音楽の構えが大きく、映像を迫力ある音声で補う用途には我慢できても、音楽に浸りたい人には向かないと思っている。その点、このピュアモルトは、音楽と向かい合って何時間でも聴いていたいと思わせる。 80年代の渡辺真知子、チャゲ&飛鳥のCDをかけてみると、ついつい踊り出してしまいそうになる。古いソースが気持ちよく鳴るのでどんどんかけたくなる。これは、ビクターの持ち味も影響しているだろう。 ツィマーマンと小澤のラフマニノフのピアノ協奏曲をかけてみると、立体感はオンキョーアンプとHMVマホガニー無垢スピーカーに叶わない。一定の音量がいつも鳴っているようなバロックならいけるのかもしれないが…。 音楽ジャンルによって向く向かないという言い方は好きではない。むしろ、その音楽に描くイメージを体感させてくれるかどうかである。大島保克の島唄をきいているとどんどき気持ちがほぐれる。夏川りみの「涙そうそう」は、ピュアモルトよりも密度感の高い再生音のマホガニー無垢で聴きたい。その日の気分によっても変わるのだろうが、酒を飲みながら聴くのなら、ピュアモルトがいい。 というわけで、ピュアモルトは仕事場に置いた。パソコンを打つ手をときどき休めて、挽きたてのコーヒーを飲みながらRikkiでも聴こう。木目を見ていると布で磨きたくなる。 数日が経過した。声の良さは相変わらずだが、音の輪郭が甘く音像の密度感が散漫なように感じる。付属の並行スピーカーケーブルを同軸の短めにしてみる、そしてスピーカー設置を低域がこもらないよう、ある程度周囲の空間を確保して、しっかりした鉄製のスタンドに置いてみるなどの対策が効果的ではないだろうか。 その後、スピーカーケーブルをアクロテックに変えてみた。中高域はさらになめらかに歪み感が減少し、甘かった中低域の楽器の動きが見えるようになり、オーケストラやピアノコンチェルトで彫りの深さが感じられるようになった。付属ケーブルの親しみやすさを好む人もいるかもしれないが、飽きてしまうだろう。ピュアモルトに合わせてアンプを買うのなら、音像が明確でエネルギー感のあるデノンPMA-SA11、弾む低域と硬質の中高域を持つオンキョーA-1VLを使うのも案。組み合わせとしてはアンプが高すぎると思う人もいるかもしれないが、音楽の質を決めるのはスピーカーではなくアンプである。特にこのスピーカーは敏感である。心地よいBGMを脱却して音楽のうねりが体感できるようになるだろう。 ピュアモルトキャビネットの響きをHMVのマホガニー無垢と比べてみる。マホガニーは箱を叩くだけで硬質のエコーが打楽器のように響くのだが、それがシルクのソフトドームやクルトミュラー紙コーンの伝統的な素材をうたわせて陶酔の極みとなる。ピュアモルトはキャビネットが小さいこと、床材にも使われるオーク材であることなど相対的に堅固になっている。そのせいか楽器のようにうたわせるHMVマホガニーとは異なり、ユニットの素性を律する音調である。オーク材の共振が中高域にあるのか、硬質な心地よさを響かせる。それがこのスピーカーの魅力となっている。 10日が経過した。ピュアモルトで鳴らすラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の第二楽章の木管が印象的だ。かすれるような空気の通り道が楽器そのものに聞こえる。ただしピアノは物足りない。カツンという打鍵音の密度が散漫になる。しかしそのあとのコロンという丸みはうまく再現している。 ギターは絶品だ。クラシックギターに凝っていた親父は、中出阪蔵、河野賢という日本を代表する名工の手工ギターを3本持っていた。残念ながらいまは人手に渡ってしまったが、ぼくも時折つまびいていたので身体が生ギターの音色を覚えている。村治佳織の弾くロドリーゴ「ある貴紳のための幻想曲」は冒頭の管弦楽の響きから馥郁とした別世界に誘われる。数千円の世界旅行、気分転換が音楽を聴くことの醍醐味だ。ポップス系のゴンチチのギターもデュオのギターが積み重なる音が見える。 ボロディン四重奏団のアンダンテ・カンタービレも良かった。余分な響きを付けることなく楽器の直接音を中心に小さな編成の弦楽器の等身大に結像する。ミニコンやAV用とは次元の違う再生音だ。しかしやはり日本製である。きめが細かい。もう少し艶やかさ、ゆるめて聴きたい人は外国製のスピーカーの選択もありうると思う。 半月が経過した。このスピーカーがもっとも活きるのは声ではないかと思う。HMVマホガニー無垢の再生する人の声は喉の湿り気まで伝わってくるような瞬間があるが、ピュアモルトは素っ気ない。巷でいわれるような中高域の媚薬のような艶はほとんど感じないが、その素っ気なさが実在感を感じさせる。付属のケーブルでは、美しい中高音を強調したシャリっとした美音になるが、それはぼくの好みではない。 そこでケーブルを変えてみたわけだが、モニタースピーカーのようにスピーカーから音像が飛び出してくる。スピーカーが鳴っているのではなく、現物が前にある感じ。これはおそらく良質のSPを再生したときに感じるような実在感ではないかと思われる。とにかく録音のわずかな差異が聞き分けられるし、目を閉じて聞けば、大型スピーカーのように鳴る。これは、HMVマホガニーではなかったことだし、例えばBOSEの101イタリアーノでは絶対に出ない音だ。声の自然さ、力強さ、素朴さ。大浜みねのうたう「月ぬ美しゃ」、スーザン・オズボーンの「ダニー・ボーイ」、綺羅の「夏恋花」では、コーラスの人たちが眼前に見えるようで。 このスピーカー以上に弾むように音楽を楽しく聴かせるスピーカーなら数多い。しかし人の声を余分な響きを排して正確に再生するスピーカーはまだ出会えていない。価格に比べていい音ではなく、絶対的に声の再生はすばらしいと言いたい。しかしこのスピーカーが最高かと問われればそれは違う。現にHMVマホガニー無垢の響きは官能的に陶酔させてくれる。 ようやくこのスピーカーの本質がわかってきた。彫りの深い辛口の吟醸酒である。うまみ成分をたっぷり持っていても表面はあくまでさらりと素っ気ない。音楽の見通しの良さは、百万円のスピーカーだって叶わないかもしれない。それにしても聴き手を跳ね返すようである。それでいて不思議なのは、古いソースが心地よく鳴ること。推察すると、ウィスキーの樽に使う良質のオーク材で小さなキャビネットをつくったので剛性が極めて高い。ユニットがじゃじゃ馬キャビネットにむち打たれてうたっているようだ。伸びやか、艶やかというよりも、絞り出しているという感じが強い。 接続する機器やケーブルの差を拡大レンズのごとく反映する。なので、買ってからの楽しみが増えることになる。付属ケーブルでは音像の実在感、立体感に乏しいが、美音が好きな人はそのままでいい。 このスピーカーは材料確保の問題があるため、一定の数量が生産された段階で近い将来に製造打ち切りとなるだろう。樽材に刻まれたキズさえ眺めて楽しめる。納品を待つまでの時間、わくわくさせてくれるスピーカーである。 (参考〜パイオニア S-A4SPT-PM) (2005年12月11日) |
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