夏服の少女〜8月6日を風化させない
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毎年この時期になると、見るビデオがあります。それは、太平洋戦争の記録ドキュメンタリー前編後編。もうひとつは、廣島県立第一高等女学校(現広島皆見高校)1年生の220人の生徒の物語「夏服の少女たち」です。 少女たちは自分たちで夏服をつくっています。夏服には身元票が縫いつけられ、救急袋を携帯します。とうとう夏服ができあがったとき、彼女たちは「夏は来ぬ」を歌わせてください、と先生にお願いします。こんなときにも季節を感じて憧れる少女たちの感性…。 みんなが気持ちをひとつにしてつくった夏服…。しかし間もなく少女たちは、8月6日を迎えるのです。雲一つない夏空にきらきら光る美しい物体に少女たちは見とれていました。少女たちは爆心地からわずか800メートルのところにいたのです。 熱線でゆがんだ弁当箱が遺族に発見されました。朝詰められた卵焼きがそのままの姿で残っていました。弁当の持ち主、森脇瑶子さんは「水をちょうだい」と言い続けながらその数時間後に亡くなりました。日記の最後の日付は8月5日でした(3年前に「森脇瑶子の日記」と題して発刊されたといいます)。彼女の故郷宮島では埋葬は許されなかったので、母と兄の手で浜で焼かれました。大下信子はトマトを握りしめたまま亡くなりました。奥津ひとみは、顔がわからないぐらい焼けただれ、制服に付けられた身元票が唯一の証でした。残された彼女の日記からは、髪を初めて分けた日のことを永遠に忘れないと記してありました。夏に憧れた14歳の少女たちの物語です。 日本の未曾有の繁栄はここから始まりました。しかし死んでいった人を見送って生き残った人の心の傷は半世紀を経て消えることはありません。ただ、その悲劇を復興のバネに変えた人々の勇気と力を思い起こすたびに、次は自分たちがやらなければと思うのです。動いていれば、いいこともつらいこともありますが、感動をくれるものこそ尊いと思います。そこには、政治も経済も芸術もありません。ただ感動をくれるものだけがすばらしいのです。 戦争ですべての社会システムがいったん破壊されたからこそ、新しい時代の萌芽につながったのでしょう。戦争からの奇跡の復興が過去の美談になった今という時代、国が破たんしなければ立ち直れないところに来ているのでしょうか? 物語を風化させてはならない、と思いつつ迎える8月6日です。 ▲戻る |