まな、安らかに 今朝は体調が悪そうだった。 昨日まで、ドアに飛び上がっていたのに、きょうは、外へ出たきり家へ入ろうとしない。 裏の水道のわずかな場所でひなたぼっこをするように丸くなっていた。 一度母がエサをやりに口元まで持っていったが、そっぽを向いた。 こんなことはなかった。昨日まで水をがぶ飲みしていたが、水を入れてやってもそれもない(糖尿病で喉が無性に渇くようなのだ)。 家に入れてやろうと思ったが、日向でうずくまって寝ているのを起こしてまではできなかった。 夕方16時頃、表玄関に回ってきたのが見えた。迎えてやろうとドアのところへ行こうとしたが、また裏へ回っていった。このときが最後だった。 夕食を家族で食べて、その後、まなを入れてやろうと探しに行った。悪い予感がしていた。見つからない。 まなは、家のなかで育ってきた。家のなかといってもネコにとって退屈しないぐらいの広さがあり、伸び伸びと駆け回っていた。外と内を自由に行きかうのではなく、あくまで家ネコであり、外へ行くときはは、家の周囲十数メートルを這うように警戒して歩いていた。家のなかでは、(プレゼン用の)レーザー光線を追いかけるのが好きで、光の点を追いかけるさまは、ケモノのごとく野生の本能をたぎらせていた。 しかしここ数年、追いかけてもすぐにやめるようになった。人間にしてみれば、もうおばあさん。ここ1年ぐらいは耳も遠くなった。それまでは、名前を呼ばれると、必ず返事をしていた。 チンチラゴールデンの長い毛が絨毯につくと取れなくなる。家では、靴で歩く一階をネコの居住圏として、2階へは上がらせなかった。2階には食卓や寝室がある。人間が不便を忍んでまでネコが同じ場所に住む必要はない。その代わり、トイレの世話、エサの世話は家族が献身的にした。 そしてここひと月ばかり、どこでもおしっこをするようになった。失禁状態である。パソコンの机に二度ばかり放尿したときには叱りつけた。自覚がなかったのだろうと思う。いまにして思えば、自分が迷惑をかけていることを悟っているような顔つきであったかもしれない。 妹がネコを連れてきたのは1991年頃のこと。 どこでもらってきたか、手のひらに乗っかる子猫。生まれて始めて可愛いネコを見たと思った。それまでネコをみても可愛いとは思わなかったが、このネコは確かに気品があった。家へ始めて来たときは、緊張のあまり、ベッドの下へ潜って出てこなかった。ようやく3日目に出てきてからは、家の者にも慣れ、やがて家族の一員となった。
犬猫を飼ったことのある人ならわかるが、人間の感情がわかる。簡単な言葉を理解して反応する。寂しいとき、つらいとき、寄り添うようにやってきては「ニャー」と声をかける。 これは不思議だった。気性はどちらかといえば強いほうで、自分より大きい犬が散歩しているのを見ると、背を低くして飛びかかる姿勢を見せるので、慌てて犬の飼い主が小走りに過ぎることもあった。 人見知りはあまりしなかった。むしろ人を見るとすり寄っていくので営業ネコと呼ばれていた。幼少時に家にやってきて十数年。人に撫でられるときは、されるがままにじっとしていた。 そして2006年5月27日の夕刻、姿を消した。自分の死に場所を探しに旅だったと直感した。 あっちの草むら、こっちの家の庭や物置…。ムダとわかっていて一晩探してみた。最後のあいさつに来たときに、出迎えてやれなかったことが心残り。 次の日、最後にひなたぼっこをしていたところに、ろうそくと線香を立ててやった。 「まなっ」。 名前を呼ぶと、トコトコっと駆け寄ってきそうで。 明け方まで仕事をするときは、事務所の段ボール箱の上で寝息を立てていた。 (○、△、×、…) ネコも寝言を言うのだ。 空虚な感じ。しばらくはこれを繰り返す。そして次第に薄れていくのだろう。 ネコに口があればこう言っているに違いない。 「これまで大切に飼ってくれてありがとう。最後は少し迷惑をかけたけど、楽しかった」。 ともに過ごした人間からは、 「喜怒哀楽をともにしてくれてありがとう。かけがえのない時間だった。どうか安らかに」 2005年2月の父に続いて、また近しいいのちを失った。 父の死に臨んだときのことは、もう少し経ってから書いてみよう。書いておきたいと思うから。人の死は究極の感動なのだと知った。 (5月27日) 失踪からちょうど一週間後の6月3日の昼頃、近所の子どもたちによって、線路脇でひからびた姿で見つかった。特に犬やカラスにつつかれた跡はなかった。自宅から数百メールは離れていて、まなの行動範囲をはるかに越えていた。自分の意思でここまでやってきたのだと思った。やはり死出の旅に出たのだった。 (まなは、その日の夜、もっとも可愛がっていた妹夫婦の手で河原に埋葬された) まな、出てきてくれてありがとう。安らかに眠れ。 (6月3日 追記) ▲戻る |
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