自分革命、日本革命
1980年代に世界一を誇った日本の経済力が今では30番目ぐらいという。てこ入れのために小渕〜森政権のたった数年間で借金を倍増させたが、皮肉にも国力はどんどん落ちていく。明らかに失政だ。

その一方で川辺川ダムをはじめ、不要不急の大規模工事が続々と着工されている。これらには建設すべき大義は存在しない。

特殊法人改革とて同様。現状の制度よりさらに不透明さが増す。一部のキャリアの天下り先が増えるだけ。

こうした政治に対し、なぜ革命が起きないのだろうか? ぼくは日本の不況は、おかしいことをおかしいと気付かない不感症の国民が招いたと思う。政府や自民党だけが無策なのではない。(ぼくも含めて)国民がだらしないのだ。違いますか?

例えば、もし今の国家財政規模が1/10になるとしたら、という前提で考えてみたい。なぜ1/10なのかは問わない。とにかく1/10にまで予算を削減するとする。そうすると、既得権も何もない真っ白な状態で、ほんとうに今必要なこととそうでないことに分ける作業を進める必要がある。改革とは、桁違いの変化を勇気を持って行うことではないのだろうか。ゆるやかな変化では既得権に飲み込まれるだけ。改革することはできない。それはすべてを破壊して再創造すること。

今は景気や雇用対策への要望が強い。でも…ぼくは思う。ここからはあくまで個人的な意見で気分を害する人がいるかもしれないけれど、生きていくのは政府の支えでなく、あくまで自分の力。だって不況産業、衰退業種のなかで儲かっている事業所、直近の決算が過去最高となっている事業所をこの目でいくつも見てきたんだから。

例えば、工事が減ったと嘆く土木建設業者は、業界の枠に収まって「提案」を行っていない。ぼくは抽象論を言っているのではない。少なくとも毎年2桁ぐらいの土建業の決算書は見ているし、経営者と突っ込んだ面談も行っている。業界の構図も知っている。だけどグチを言う前になぜ新しい提案を行わないのか。入札に参加することだけが営業なのか。仕事はないと嘆く前にすることはないのか。

伝統工法や近自然工法、ビオトープなど標準工法には染まらない考え方がある。それらの企画、設計、施工について勉強して提案してみる。従来の枠組みから抜け出さなければ、絶対に未来はないことが見えている。自分の土俵をつくること、それ以外に経営を存続させる道はある?

就職活動も同じ。もし、他人が雇ってくれないのなら、自分で自分を雇えばいいじゃないか。そこに至る苦しくも楽しい道がある。自分で「できない」という壁をつくればある意味では楽。しかしそれだけの人生。仕事がないのは政府の責任ではなく、自分に魅力(ウリ)がないと見限ったところから出発してみたい。

反感を買うのは承知だけれど、これはぼくからのエール。ぼく自身自分で自分の道を切り開いてきた実践のなかからさまざまな手応えを掴んだんだから。

人生の成功は、お金や地位、名誉ではない。それらは結果であってあとから付いてくるもの。ほんとうに大切なのは、自分自身が自分の生き方に納得しているかどうか。

それ以外に基準はある?


▲戻る