イラヨイ2003年
エビスビールの黄金色を喉に流し込みながら、りみの「イラヨイ月夜浜」を聴いている。

本土の盾となった沖縄では多くの民間の人たちが犠牲になった。そして21世紀。ヤマト(本土)もウチナー(沖縄)も「イラヨイマーヌ花が咲く」と歌は綴る。静かにほほえみを讃えて。

ぼくは沖縄の言葉はわからない。でも目を閉じれば浮かぶ。

若い男女が時の経つのも忘れて歌と踊りで遊ぶ夜明けの砂浜。「イラヨイマーヌ舞い遊しば」。ユリのように青白く光っている。

燃えているのは、月の光のせい。膏肓と照らす月に錯乱する大海原。静かだけれど動きだしそうな気配を宿す。そこに居合わせた人にはわかっている。平安に暮らしていきたい。それ以上何も望まない。沖縄も本土もない。宮古も八重山もない。みんなそれでいいんだ。

そして咲かせよう。実のある人生。死の直前に振り返ったとき「ああいい人生だった」と満足できる時間を過ごしたい。そんな人たちの存在が誰かを照らし照らされ、世の中はきっと変わっていく。

そこに住む人々が長い年月を経て熟成させた言葉。たくさんの人の心を「重ね」た重み。そこにいる人にとっての小宇宙。

もうあと数分で新しい年。「ぼくのいのちは誰かに預けた。好きなように使ってください」。そう言える人生に花が咲く。

たった今、新しい年になったよ。


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