うたばうたゆん
奄美の島唄を聴いた。朝崎郁恵さんという島の出身者が歌う「うたばうたゆん」というCDだが、禁断症状のようについつい手が伸びる。島唄というと、三線が伴奏の定番のように思われるが、このCDでは三線は一度も登場しない。三線が鳴り出すと、民謡調の伝統的な「島唄」の枠に行儀良く収まってしまう感じがある。と同時に、よほどの島唄好きでなければ、(ぼくもそうだが)単調に流れていくもどかしささえ感じる。もっといえば郷土芸能として地元の教材に矮小化されてしまう。ところが、三線の代わりにピアノが主な伴奏となっているこのアルバムでは、土着の洗練されない土の香りが濃厚なのだ。

人々が決まり事のように決めた伝統芸能は、ある意味レッテル化であり、安全パイであり、こうでなければという既成事実のようである。形式よりもほとばしるような人間の感情にぶつかってみたいと思う人には、型にはまった伝統芸能は権威の象徴のようにしか受け止められない。芸そのものの存在理由を失った家元制度の下で光を失った芸能もあるのではないか。

三線が入っていないからつまらない、という人もいるかもしれないが、新しい試みの前には破ってはならない伝統などない。今の感性で蘇らせる島唄---夏川りみちゃんの2枚目のアルバム「空の風景」のなかに収録されている八重山民謡「月ぬ美しゃ」はシンセサイザーの伴奏だが、それゆえに歌い手の感情が羽ばたき、それを聴いているぼくも悠久の空間に連れ去られる。



朝崎郁恵の「うたばうたゆん」は、陳腐な表現だが癒し系の音楽として多くの人に受け容れられる。しかし表面の心地よさの裏にある、伝統芸能の殻を破って飛翔する魂のほとばしる存在感。ぼくが今年聴いた音楽のなかでも三本の指に入れたい秀作アルバム。
(8月30日)

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