赤松川との出会い
赤松川との出会いはアユ釣りだった。小学生の頃、父に連れられて那賀川を自動車で上っていった。当時は、阿南市から鷲敷町に入る阿瀬比越えの細い坂道にはガードレールがなく怖い思いをした。

赤松川は、那賀川上流域が始まる川口ダムの直下流に合流する支流である。少し雨が降れば川口ダムから放水される本流は濁って黄色くなる。ところが赤松川は涼しい顔をして深緑の水を吐きだしている。きれいな水を好むのは魚も同じ。上ってきたアユは赤松川に導かれるにように遡上していく。もっとも那賀川を天然遡上してくるアユは川口ダムで行き止まりだからそうするより仕方ない。

赤松川の入り口には吊り橋がある。ゆらゆら揺れる足元を覗き込むと、深い渓谷を洗いながら清冽な水が流れている。吊り橋を渡って小径を降りていき、大きな岩場からアユを狙う。漁法は、オモリを下に付け、毛針を数本結わえた仕掛けを上下してアユを誘う。これを徳島ではドブ釣りという。コトンとオモリが底を打つと、今度は上へ上げる。ある程度のところで今度は下げる。これを繰り返す。

アユは石に付いたコケを食べる植物性なのだが、解禁当初は毛針を追いかける(つまり虫を食べる)。勝浦川の丈六時の下の淵と赤松川の入り口の淵は、ぼくのお気に入りのドブ釣りポイントだった。

夏合宿が開かれた

中学の頃、当時通っていた私立中学校(実はぼくは一期生なのだが)の全校合宿が赤松川で開かれたことがある。本流との合流点は険しいが、少し遡れば川がなだらかになり、田んぼと集落が点在するようになる。集落内に円通寺というお寺があり、ここが合宿先となった。蝉時雨を縫うように夏の風が心地よく吹き抜ける。

寺から駆け下りるように田んぼのあぜ道を抜けると赤松川。そこは自然のプールで子どもの水遊びの場。少しずつ思い出しながら川に近づいていくと、犬の世話をするおばあさんが来ていた。涼しい木陰で涼みながら孫の番をしていたのかもしれない。まもなく若い女の先生が見張り役としてやってきた加わった。ぼくと同じ年ぐらいかもしれない。あいさつをしたあと、ぼくは泳いだ。

谷の水は冷たい。10分泳ぐと唇が紫色になる。そうして河原に上がるとガタガタふるえるが、すぐに夏の太陽があたためてくれる。地区の子どもたちはまったく平気なのか、遊んでほてった身体を癒すかのように水しぶきと歓声を上げる。

川で遊ぶ子どもに未来を託したい

もはやこの国は財政破たんの危機に陥っている。開発に明け暮れた高度経済成長のほんの数十年で、何代にもわたって育んできたこの国の自然は無惨に改変されていった。このときに建てられたコンクリート製のダムや道路が十数年〜数十年先には老朽化する。しかしその補修をする余力が国にある保証はない。

だから地域の人たちの手で何世紀を続けられてきた方策に学び、持続可能な国づくりに転換すべきだ。百年〜数百年の期間で費用対効果を判断するシステムに改め、ダムに依存する河川政策は中止する。

こうして水辺に子どもの姿が戻ってくる。もともと子どもは水が好きだ。川は確かに怖いけれども、知ろうとしないでただ怖がっているだけでは友だちになれない。川で遊び子どもたちは、身体を通して自然の摂理を無意識に学んでいる。そしてきっと将来の国土保全の実践者となってくれると信じている。

ぼくはダムのなかった那賀川の清冽さを知らない。しかし赤松川や木頭村の本流を見ていると、あの水がずっと下流まで流れていたことを想像し、胸が熱くなる。少しずつ夏の太陽の光と子どもたちにあたためられながら。

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