ちあきなおみ  彼女の歌は音程を取り去っても歌

 
若い頃、ハワイアンバンドを組み、さらにクラシックギターを弾いていた父と意見が合ったのは、天才歌手は美空ひばりと、ちあきなおみの二人だということ。
 芸を極限まで磨き上げる真摯なひばりに対し、ちあきはツボにはまると狂気のような昂ぶりを見せる。さらっとしているようで濃厚、濃厚なようで醒めている。ビブラートをかけない素のままの暗い低音が無防備にさらされるからたまらない。

 「矢切の渡し」のシングル盤が手元にある。細川たかしはそれを気持ちよく歌い上げたが、ちあきなおみは「つれて逃げてよ ついておいでよ」の冒頭の男女の掛け合いにいのちを吹き込んだ。歌の世界といえども駆け落ちする二人の不安と喜び、戸惑いと決意が交錯する一瞬に身体を預けた。

 「喝采」。さらっと流したかと思えば、あえて濃厚な息継ぎで切なく、そしてうつろに突き放す。過去と現在の切り替えスイッチを仕掛けられ、ぽっかりと深淵が口を空けている。

 ちあきなおみは、ポップス、シャンソン、ワルツ、いにしえの歌謡曲、どれをとってもちあきなおみである。本人はあまり歌いたくなかったといわれる演歌もすばらしい(ちあきなおみが演歌路線を続けていれば廃業する演歌専門歌手も出たに違いない)。それが極まったのが「さだめ川」。男と女の尽きることのない情感がひたひたとあふれんばかり。そしてはらはらとこぼれ落ちる女のためいき。こんな歌をうたっていては(聴いていては)生きていけない。

 美空ひばりは、例えひとりでうたっていても目の前に客がいる。ちあきなおみは千人の前でうたっていても眼前には客はいない。けれども、魂のレベルで感情移入(感情を自在に抜ける)している点では二人の歌手は同じ。そして、楽曲を一度ばらばらに溶かし、自らの体内から振り絞るように様式化するところも共通点。
 表情を取り去って能面のような無表情もまた表情を持つ。だから、彼女の歌は音程を取り去っても、うたなのだ。

 ちあきのような歌手は時間がどれだけ過ぎ去っても人々の心をかき乱すだろう。活動していないだけに今後手に入る可能性は低くなる。構造不況のいまの音楽流通事情ではひとたび廃盤、生産中止になると入手は困難だ(高値を付けているのは、70年代のアーティストたちのオリジナルアルバムなどが多い)。
 変幻自在のちあきなおみだから、CDを買うなら曲がたくさん収録されているものがいい。
 まずおおすすめは「これくしょん〜ねぇあんた」。これは、ライブの音源や未発売曲が多く含まれ、団塊の世代を中心にちあきを聴かない人の間でも話題になったCDボックスだ。どうしてもそこまで奮発できないというのなら「ちあきなおみ全曲集」はどうだろう。


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