新春ビオトープ放談会


1年間続けてきたビオトープの学校の最終回は、ビオトープ放談会と銘打って、2004年1月10日、小松島みなと交流センターで行われました。

参加された人は、講師陣とビオトープの学校の参加者で、大学の研究者、行政、設計者や造園や土木の施工者、ビオトープ管理士、棚田の住人、ボランティア活動歴の長い人、川が好きな人、NGOの構成員などさまざまな立場の人が言いたい放題を話すという企画です。

言いたい放題ということで、誰が何を話したかは不問です。発言を多少整理しましたが、放談ということで、発言に多少のフライングや錯誤がある場合があるかもしれませんし、あるいは事務局のメモの齟齬、咀嚼力不足がある点をご了承ください。

しかし、生きた情報の交換の場となリ、有意義な時間でした。実務に携わる人が多いことから事務局の理解を超える専門的な話題も出ました。事務局としては、さらに森林保全の実態と方策について議論する時間が欲しかったところですが、あっという間の3時間でした。今年もよろしくお願いいたします。



田んぼの畦
  • いなかに緑がなくなっている。田んぼに草をはやさないようあぜ道はコンクリートになってい。生物多様性に問題がある。
  • 冬場に水を張る田んぼも出てきた。それに対して環境省から補助金が出ることもある。
  • 農道拡幅などの公共工事で、工事の前に生態系の専門家の助言や審査が入るしくみができないものだろうか。手続きとして条例化できればいいのだが。
  • 条例化はむずかしいかもしれないが、専門家を登録し、どこの誰にどんなテーマで聴けるかのデータベースを整備しようとしている。ただ人材が限られるのが難点。
  • 農道はあぜの取り合いでもめる。少しでも自分の土地を増やしたいから、仕切となっている畦を意図的に変形させている(=領土侵入)場合もある。それを避けるためのコンクリートの畦道という側面もある。
  • 土地争いを解消する以外に、コンクリートの細い畦は、一株でも多くの稲を植えたいという農家の思いの現れだ。
  • 徳島では、コンクリートのあぜ道の割合が多くて驚いている。畦は、手間を軽減すること、領地確保、さらに作業道としての性格があるのではないか。

生物は物質の循環の担い手
  • 林道工事などでは、採取した土を法面に戻す工事も行われている。10年前と比べて工法は変わってきた。
  • クマの研究をしている。クマの害を防ぐために調査する予算はつきやすいが、クマを保護するための調査というと予算がつきにくい。「本州にツキノワグマはいるのに四国のツキノワグマが必要か」などと勘違いする人もいる。感性では固有の生態系の重要性はわかっていても、書類(行政)では通りにくい。
  • 川で生まれたサケが海へ出て海の養分を吸収してまた川へ戻ってくる。そして動物や鳥に食べられ、その糞が森に還元されて栄養となる。生物の行き来を通じて個体の栄養塩が山に戻っていく自然界のしくみがある。最近では調査も進んでその実態がかなりわかってきた。
  • ダムや堰は水と山の養分という循環を断ち切っているが、生物の行き来を通じた物質循環も遮断しているわけだ。
  • どこでも鳥獣害が広がっていると聞くが、人工林化によって食料が減少したのが原因か?

動物の習性を知る
  • それもあるだろうが、人と野生生物の棲み分けという観点からは、かつての里山は緩衝帯であり、クマやイノシシが里に出ることはなかった。里山が放置され、森林地(里山林)になっていくと、森との境界が里に近づく。野生動物にとっては、いきなり人里の境界に出ることになるが、そうするとおいしそうな作物が目の前にあるということで、突然現れるようになった。
  • 聞いた話だが、北海道で妊婦がヒグマに襲われた。子どもの味をしめたそのヒグマは男性には見向きもせず女性をねらうようになったので女性たちを里に返した。するとヒグマは男たちの居場所(緩衝地帯)を乗り越えて里へ向かった。これも似ている。
  • 動物は自分のエサに対する執念がある。エサがなくなったタヌキが、それを奪った人家に毎晩出るようになって、気味悪くなった家人がイヌを飼い始めたという話もある。
  • 北海道のキタキツネは観光客がエサをやるので、そっちに味をしめて狩猟をしなくなったらしい。
  • 新聞で読んだが、どこかのダムに猿用の吊り橋を設置したそうだ。理由は、ダムによってエサ場に行けなくなり、人里に出て悪さをするようになったとか。地元の要望を受けたダム管理者がつくったのだろうが、猿が利用するかどうかが疑問。大型の鳥類が天敵で隠れる場所のない吊り橋を猿が使うのかどうか。
  • 海部川の三日尻の河原で実際に見た。集落の水を対岸の山から管で引いているのだが、その管を伝って川の上を渡っていた。
  • 徳島では猿が電線などをわたる話はよく聞く。
  • 道路で生息地が寸断されると道の下をくぐる動物用のトンネルをつくる事例があるが、実はトンネルを通るのは夜行性の動物だけで昼行性の動物は通らない。生き物の生態への理解が必要だ。
  • 動物の荒らし方もそれぞれだ。猿にやられるとマーキングするので匂いがついて残った作物は食べられない。イノシシは滅茶苦茶にかきまわす。シカは、稲穂の先端七部ぐらいを食べるので、被害はあるが収穫がゼロにはならない。実際にシカをみると、可愛いと思う。こないだ家の上で立派な角を持ったオスジカを見たが、それは怖いぐらいの迫力があった。

あるべき姿、目標がなければ
  • 以前にこの会で、「山でアブやブヨにやられて嫌な思いをしているが、あんな虫も重要なのか」と言った女性の言葉が印象に残っている。
  • その生態系での理想的な状況を提示し、この環境ではシカは何頭、イノシシは何頭などとあるべき個体数を算出しないと、どの生き物が多い少ない、良い悪いの話に矮小化されるのではないか。
  • 個体数の把握はなかなかむずかしい。認可量以上に狩猟される場合が少なくないから。
  • 海部郡ではすべて狩猟数をハンターに出してもらうようにしている。認可された頭数よりは多くなるが、生息数の実態を算出するうえでは正確な数字の把握が不可欠。

環境の予算はどこが?
  • そうした調査を誰がやるかでもめる。環境関連の省庁がやるのか、鳥獣害(農水関連)がやるのか。実際に個体数を把握するのにはお金と手間がかかることは事実だ。
  • 環境問題(生態系保全)ではなく、農業経営(鳥獣害)の問題となるとお金が出る。
  • 高丸山の植林地で動物が入れないように完全に網を張りめぐらしているがやや行きすぎでは? シカもうまいものを食べたいのではないか。

シンボルとしての環境行政
  • シンポリックにやれば、お金になる。観光化、ブランド化だ。世界遺産、コウノトリも然り。一羽のコウノトリを守るのに相当お金をかけている。
  • しかし地域の希少生物の保全には予算は使われにくい。

自然再生には不安定立地(遷移する生態系)が必要
  • かつては雑木を伐採したり、山火事、地滑りなどがあって植生が更新していた。こうしたことで草地が出現するなどの生き物にとっては多様な環境を提供していた。
  • 祖谷の草地を研究しているが、棚田に比べると話は簡単だ。焼き払えば草地は出現する。
  • かつては、山を焼くことは少なくなかったのだろう。
  • 人が里山に住まなくなると、里山も原生的な極相に向かう。
  • 治山治水などで環境を安定化すると、不安定立地が少なくなる。天然の山には、地滑りや山火事が不可欠だが、そうした不安定性を取り戻さない限り、ほんとうの意味での自然再生にはならない。
  • ひとがつくった人工的な部分は手を入れ続けないとならなくなる。
  • 橋やダムなどのコンクリート構造物が半世紀後に更新を迎えるとして、その費用が国にない可能性が高い。どうなるのか?
  • 自然に還っていくことになるだろう。
  • 落ちた橋から雑草が繁るとか。

地域コミュニティの規模と範囲
  • 上勝町が生き延びるためには、お金のかからない暮らしがいいと思うが、かといって自動車がなければ生活していけない。
  • どの単位のコミュニティが成立するかという視点が必要だろう。上勝の集落から徳島市へ出ていかないとならなくなるようだとコミュニティは成り立たない。
  • となれば、貨幣経済だけの価値観ではだめだろう。
  • 地域通貨が必要となってくる。
  • 地域の生態系が持つポテンシャルに依存していくような暮らしだ。

棚田オーナー制度
  • 上勝町の横峰地区は4〜5年前に10数戸が棚田を耕作していたが、いまでは4戸に減った。ぼくは65歳だが、それを若いと思うからやっていける。もう年寄りだと思うとダメ。
  • 横峰の棚田は美しい。曲線が微妙で被写体の画面構成として美しい。しかしそれも耕作されてこそ。生産されていない棚田は見に行く気がしない。
  • 樫原地区では棚田のオーナー制度を始めようとしている。そのしくみは?
  • 6人の農家がおもしろがってできることをやろうとしている。天岩戸の神話でストリップをして神様を穴から出てこさせたようにおもしろいことがいい。しくみとしては、100平方メートルから200平方メートルの面積の棚田のオーナーになっていただく。年間使用料は、100平方メートルで3万円。田植えと稲刈りにはぜひ来てもらい、ほかに必要な作業があるが、その都度連絡をして来られるときに来てもらう。オプションとして収穫祭を10月〜11月に行う。まだ協議中だが、採れた米をいくらかお分けする予定だ。
  • こうしたところに通うオーナーは、時間距離にして2〜3時間の人が多いと聞く。
  • 勝浦川流域ネットワークの棚田の学校では、特に茶摘みのときに、奈良県、滋賀県、大阪、神戸などの遠隔地からインターネットを見て来られる場合も少なくない。田植えや稲刈りの作業のときは、徳島市内からがもっとも多い。
  • 100平方メートルで田んぼ何枚ぐらい?
  • 棚田としては規模がやや大きいので1枚ぐらい。

棚田に何を残すか
  • 棚田の必要性はわかるし、このままではなくなってしまうこともはっきりした。けれど棚田での田作りはもう成り立たないのが現実だ。
  • はっきりいえば、生産の場としての経済的な意味はなくなってしまった。
  • 現に、いろどり用のもみじに植え換えた農家も少なくない。
  • 棚田に何を求めるか、何を残すかの議論が必要だろう。
  • 生態系保全なら水を張っておくだけでいい。手間はかからない。タガメを育てるために水を張ってある事例もある。
  • 棚田は生産の場だが、文化的な価値を見出したい。
  • 棚田のどの機能を残すかの合意が必要だ。生態系保全なら水を張るだけでよいが、それ以外の機能がある。

北斜面に多い棚田
  • 棚田としてではなく、段々畑として残す可能性は? 例えば、蕎麦などは乾燥した条件でも可能だ。
  • 県内の棚田をくまなく歩いた感想だが、棚田は北斜面にあることが多い。北斜面は比較的水が多く地滑り地帯が多い。米だけを育てるのなら、夏の太陽高度が高いときに日が当たればいいから北斜面でも稲は育つ。棚田の標高はせいぜい600〜700メートルが多い。900メートルになると人家は少なく、下の民家から上へ通うということになる。樫原は南斜面なので畑への転用もできる。樫原の標高はどれぐらいか?
  • うち(樫原)で標高550メートルだ。
  • 棚田のある場所は、水は得やすい反面、地滑りもある。畑には転用がむずかしい場所が多い。
  • 森に戻すことも視野に入る。放置された棚田に杉が植えられているが、これもやがてそのまま放置されれば自然に帰るときが来る。

米立ての経済(暮らし)
  • 能登の千枚田が世界文化遺産に指定される。ここも地滑り地帯だ。3〜4株しか稲が植わっていない小さな田んぼもあれば、崖の上の「隠し田」もある。
  • 能登でも子どもが生まれると、棚田を開墾していったという歴史がある。
  • 樫原の棚田の水源は密植した杉の山。杉は水を吸うだけなので水は少なくなる。伐ったすぐの杉は重いが、乾くと軽くなるのはそのためだ。いまの時期、このまま雨が降らないと5月頃には水が出ない怖れもある。
  • 日本人の米に対する執着がある。
  • 祖谷では、病人に米を見せて「米だぞ」とささやいて励ましたという話がある。
  • 屋久島や輪島、白神などはそれぞれ環境のシンボル化された事例。象徴となるテーマパークをつくっているだけの日本の環境行政ではないか。
  • 大切なのは、地域地域の棚田や森がどうあるべきか、どうするかの議論としくみだ。
  • 町史の編纂に携わったとき、町内に江戸末期の古文書があった。新田をつくったら3年間は上納米を免除するなどと書かれている。樫原では、多い人で1年で1セ半から3セ新開田がある。50%が税金でもっていかれて、横瀬からの船賃、保存の蔵代を取られる。さらに山の米は下米だというので部増しがある。ほぼ100%取られていたのではないか。すべての基準は米だったので、大工の支払いは米立てでしていた。

尾根沿いに伝わる文化
  • 樫原集落をはじめ、尾根沿いの道があったと聞く。
  • そうだ。樫原集落の一番上にある家は、昔旅館をしていた。いまの上勝町役場のある辺り(勝浦川沿い)は、タヌキの巣で人家はなかった。
  • 尾根沿いに近い高いところから定住をはじめて、下へ下へと開墾していった。
  • 二点間の最短距離が尾根道だ。

落人伝説、借耕(かりこ)牛と棚田〜なぜそこに住むのかの視点
  • 県内あちこちの棚田を聞き取って回ったが、平家の落人は少なくない。牟岐町の水落の集落もそうだ。あそこは、断崖の上に田んぼがあり、崖を降りて海へ出れば海の幸がたくさんあってひとが生きていける。
  • なぜそこの棚田にひとが住んでいるのかを調べるとおもしろい。
  • かりこ牛が讃岐から樫原へと塩を背負ってやってきた。草を食べて太り、糞をして肥料とし、また讃岐へ帰っていく。明治11年生まれのぼくのじいさんは、15の頃にそうして牛を連れていったという。
  • それは不思議だ。県西部でのかりこ牛は逆に農耕でこき使われて痩せて讃岐へ戻っていった。牛を引き渡すのは峠だった。
  • やはり棚田の価値は文化と切り離して考えられない。
  • 谷崎さんもそうだが、今のうちに話を聞いておかないと…。

教育
  • 徳島大学の大学院生にトンボを描かせたら3割は正しく描けなかった。にわとりの足を4本描いた学生も一人いた。「トンボがいなくなるとどうなる?」と聞いても「別に構わない」という。彼らがエアコンのきいた都市で住んでいくにはそれでいいのだろうが。
  • 小さい頃から環境教育をしていれば、大人になったとき「それはしてはいけないと小学校で習っただろう」。
  • 現実には、他地域の生物を放流したり緑化に使うという誤った環境教育が施されている事例が少なくない。教師も生態系を学ばなければ。

アキアカネの貢献、ツバメの選択
  • ブヨの話がさきほど出たが、勝浦町内では夏の間、アキアカネが山に上がっていく。アキアカネがブヨを食べるとしたら、エサのありかをよく知っていることになる。
  • アキアカネは、銅鐸にも彫られているぐらい古くから知られている。しかも物質の循環を担っている。アキアカネは田んぼや下の川から栄養を取って山へ上がっていく。それが山へ上がって鳥に食べられて糞となって山へ戻る。アキアカネは個体数が大きいので栄養塩の循環になる。
  • 鴨島町の商店街でツバメの巣をたくさん見つけた。商店街がさびれて人が少なくなったからだろう。しかも街路灯には虫が寄ってきてエサに困らない。ツバメの生活も変わってきた。
  • ツバメの天敵はカラスだが、人が少なくなるとカラスのエサが少なくなる。それで増えたのかもしれない。
  • ほんものそっくりのイヌの彫刻を置いてある家ではツバメがよく巣をつくる。カラスがイヌを嫌って来ないのを知っているのではないか。

昔と比べて

  • 昔と比べれば、環境はよくなったという一面は否定できない。
  • 勝浦川で小さい頃から遊んでいるが、20年ほど前に野鳥の会に入った。最初は勝浦川にいなかったアオサギが増え、次にカモが来た。カモは、アオサなどの食べるので水質が富栄養化して悪くなっているのがわかる。河原も減って草が生い茂っている。
  • 小さい頃、下流で目を開けて泳いでいた。BODは当時も畜産の負荷もあってそれほどいまと変わらないと思うのだが、からだで感じる水質は着実に悪くなっている。特に川底がひどい。
  • うちの子どもたちも、勝浦町内では泳ぐ気がしないといって上勝まで行っている。ダムができてから悪くなった。

川の改修工事を変更した事例
  • 公共事業で小さな川の工事をしたことがある。近所の人がやってきて、「この川で魚を見るのか楽しみ。魚の棲める川にして」という声を聞いて、県と協議して設計を一部変更し、砂が川底に溜るようなところをつくり、そこに草が生えることができるようにした。来年も現場へ見に行ってみようと思う。
  • 県が設計変更に応じたのは画期的だし、その交渉をやろうとしたのもいい。
  • できることから変えていくという実践がきっかけとなっていくかもしれない。
  • 小さな変更だったからできた。下請にとって図面の通りに工事するのが原則。それ以上を求めることは困難なのが実情。
  • 県内では大手の土木建設業二社が経営破たんしたが、これらの企業にビオトープ管理士はいなかった。環境と土木は対立する要素ではないはず。むしろ環境に配慮する土木業は伸びる。またそうならなくては。

自然再生法とモニタリング

  • 自然再生法ができてモニタリングが義務づけられる。
  • 田園マスタープラン(農村環境計画)で国費が出る分はアセスメントの対象となる。
  • モニタリングは画期的だが、それぞれに専門家が必要となるのでは?
  • 事業計画の段階で将来の目標を明確にし、指標を決めれば、すべての専門家は要らないし、モニタリングにそこまで費用をかけられない。
  • ただ調査の専門家は絶対数が不足している。
  • NPOがやるのがいい。そうしてNPOにノウハウを蓄積し資金力をつける。ただしどこの行政でもNPOに丸投げする傾向があるのは問題だが。
  • 事業として成り立つ可能性はある。1件の調査10万円で年間100箇所など。
  • いずれにしても土地利用のグランドデザインが必要だ。


    ▲戻る
Copyright(c) Soratoumi, All rights reserved