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モタセと中技術
「モタセと中技術」

 干満の差が激しい有明海に面した筑後川下流域は、内水排除が困難で、渇水時には干害にもあう厳しい水条件である。そのため、網の目のようにクリーク(水路)を堀り割り、長い年月をかけて、さまざまな水制御の仕組みをあみ出した。それらは、水門、樋門、天びん(微妙な石の配置による分水調節)、アオ取水(満潮時に塩水が川を逆流する際に比重の違いで押し上げる上層の淡水を灌漑用水として取水する方法)、回水路(左右岸の利水のために互いに堰を設置し、取水した水をさらに下流の堰に戻す仕組み。「自領の水は一滴も漏らさず、対岸には譲らず」の思想でつくられている)などさまざまである。そのなかで重要な技術思想のひとつが「モタセ」である。

 モタセとは、堰堤や橋の下をセメントや石で覆い、少ししか水が流れないように水量を絞りこむ構造である。水路は、流下方向(用水系統)は絞り込み、横方向(排水系統)は広く分散貯留している。しかも、越流堤などの水流制御装置(点)、クリーク水路(線)、水囲い(面)により、空間的にも分散させているため、貯留して利水に役立てられるのはもちろん、下流へたどりつくまでの時間をかせいで、満潮時の排水が容易でない下流部を洪水から守る働きをもしている。モタセは「時間的に変化する水量を空間的な広がりの中に貯え、時間をかけながら対処することで、自然の変動のリズムに対応しようとして生み出された」と下関大学の坂本絋二教授は言う。棚田(水田)、合併浄化槽、森林なども水をモタセている。モタセは、日本の伝統的な水技術ともいえる。

 新潟大学の大熊孝教授は、水害対策を三段階に分類して、小技術(個人的段階「自らをどう守るか」)、中技術(半私・半公共的段階「自分たちの地域をどう守るか」)、大技術(公共的段階「為政者として河川をどう扱うか」)があるとし、人々と川との関わりが希薄になっている現代に、河川の環境、親水機能を重視して対応するためには「治水機能と生態的機能を両立しうる技術の開発が必要であり、それは自然の変化と地域性に柔軟に対応できる中技術を無視しては成立しない」と言う。

 大熊教授は洪水とのかかわり方を提唱されている。どれだけ洪水対策(ダム、河川改修等のハード面)を行っても、水害に対する絶対的安全はなく、むしろあふれた場合の対策(地域毎の危機管理)を考えるべきとの意見である。際限のない工事によって自然環境は極限まで破壊され、巨額の費用が必要となる。それが許される時代なのか、逆に人間の生活がそれによって脅かされているのではないかと問いかけているもので、決して水害を容認する趣旨ではない。

 例えば、1993年にミシシッピ川で起こった氾濫は500 年に一度ともいわれ、川を人為的に制御することの限界と、それがかえって危険にしていることを示した。計画高水位以下でも堤防は壊れることがあり、越流しても破堤しないこともある。堤防の強化こそ治水の王道であり、そのためには水害防備林が有効であるとしている。その根底には、真の安全とは何か、持続可能な社会へ向けて治水思想の転換が必要との思想が流れている。

 有明海に注ぐ矢部川は、河口に水が来ないぐらい使い尽くされる川である。その例として、水源争奪の歴史と密度の濃い水利用を映し出す回水路の仕組みがある。矢部川には昭和38年にダムができた。このような大規模な水利事業の推進は、小規模の堰や揚水機を用いて領域ごとに運用する中技術から、取水源が統廃合されて広域的な調整を受ける大技術への転換を意味する。ダムでは地域の微妙な水調節はできない。しかも渇水時には役に立たない。それは、大自然のリズムには対応しにくい大技術の限界でもある。石の微妙な置き加減で分水を調節していたような仕組みは、厳しい自然条件に地域の人々がかかわるなかで、自律的にバランスを取りあってきた。こうした歴史の過程や経験知は、数字で説明し尽くされるものではなく、すべてを数字で割り切る思想が、例えばコンクリート三面張りや可動堰につながると坂本教授は指摘する。

 人間が堰を作り、川は堰に対して抵抗する。その応答の結果として現在の第十堰が存在している。それを「成っていく構造」と坂本教授は呼ぶ。そして「人工物でありながら、自然に同化しているのが最高の技術である」として第十堰を評価している。
 97年3月、坂本教授と第十の堰を訪ねてみた。ここ数日の春の雨で水かさは増し、川は音を立てて力強く越流していた。堰の上では子どもや家族連れが水遊びをしている。教授は土手に腰を降ろしてニコニコしながら堰を眺めていた。 (平井 吉信)


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