穴吹川上流を変えた土砂災害(森を見つめよう)
穴吹川の水質はもちろん、中流付近の景観はすばらしい。深い渓谷に映し出された翡翠色の淵のリバートーン(川が浅いところから深いところへと連続的に変わっていく水の色の階調)が運転しながらちらちら見えると、おおっ、と声が出てしまう。

対向車に気を付けながら、穴吹町から上流の木屋平村へ向かう。役場を過ぎ、橋を渡ってしばらく走ると木屋平村川上地区に入る。この辺りからの穴吹川は目を覆いたくなるような光景が連続する。それは、平坦な谷の地形に砂防ダムが本流、支流を問わず連続する河原砂漠のような光景である。

これはいったいどうしたのだろう?

それは、昭和51年に「一の森」北斜面で崩壊した土砂がこの辺りの光景を一変させてしまったからである。徳島新聞の連載に詳しい記述がある。それによると、剣山に降った1800ミリを越える雨によって山腹が崩壊し、谷(穴吹川本流と支流)を埋めてしまった。その土砂は、幅20メートルほどのV字型の渓谷を幅百メートルを超える平たんな土地に変えるほどであった。現在の穴吹川は崩壊した土砂の上を流れる人工の流れと指摘する。
→「扉を開く・第六部〜森の悲鳴が聞こえる

被害の原因はもちろん記録的な集中豪雨である。しかし記事の取材者の指摘にもあるように、その十年ほど前に広葉樹が伐採され、スギ、ヒノキの若い植林の山になったことがきっかけと考えられている。あまりの変わりように、昔を知る登山者は「山峡の砂漠」と嘆く。

やはり森だ。昭和30年代〜40年代にかけての国の拡大造林政策によって、もともとの広葉樹の森はことごとくスギ、ヒノキの幼い人工林に変わった。さらに廉価な輸入木材によって商品価値を失った森は、手入れもままならない。今できることは、人工林を枝打ちや強間伐によって蘇らせること。さらに、時間はかかるが、伐採跡などにその土地にもともと生えていた樹木を呼び戻して森の形成に人間がある程度手を貸すこと。

その意味で、NPO法人「吉野川みんなの会」が継続して行っている緑のダム機能の調査は、地道であるが大切なことである。調査は素人でもできる。手弁当で調査に参加、協力できる人はぜひ、吉野川みんなの会まで連絡して欲しい。

写真は、吉野川みんなの会からの委嘱を受けた専門家チームによる調査の様子。広島大学の中根研究室が中心となって緑のダムの機能の一つである浸透能を測定している。調査にはみんなの会の会員がボランティアで参加している。このほかにも植生調査など現地での作業は多い。さらに人手が必要である。
  
土にパイプを埋め込む(左)。埋め込まれたパイプの様子(中)。ここに水を流し込む(右)。

飽和に至るまで繰り返し浸透速度をストップウォッチで測定。針の先が水を出る瞬間を捉える集中力が必要。

この日の調査地点は、穴吹川上流の川上地区。強間伐されたスギ林には、植生の拡がりが感じられる。



吉野川みんなの会には、市民が少しずつ出し合ってお金が集まっているが、まだまだ予算は足りない。手間は出せないが、お金は出せるという人は寄付もできる(下記URLをご参照ください)。
http://www.daiju.ne.jp/shuisho.htm

事業所等からNPO法人吉野川みんなの会などへの寄付は経費となるかもしれないので税理士に相談してみよう。税控除については国の指定する要件を満たす必要があって、まだまだハードルが高いようだ。国に納める税金のうち、一定の割合を市民が指定した特定のNPO法人やNGOなどに寄付できる制度を早く調えて欲しい。

夏場ともなれば、水量が少ないだけに生活排水の負荷も感じられる。しかし木屋平村の中心集落を過ぎると穴吹川は深い渓谷となり、人家を寄せ付けない流れがしばらく続く。この間に山からの湧き水を集め、流れによる自浄作用で穴吹川は清浄な水を取り戻す。穴吹川を楽しむのなら、中流〜下流を見ていればいいが、穴吹川をもっと知ろうと思えば、上流の木屋平村、さらに剣山、一の森にも足を伸ばしてみよう。森に足を運んで五感を働かせみたい。

森を見つめ、人のくらしを考え、清流で遊ぶ。穴吹川はそんなことも考えさせてくれる。

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