野田知佑さんOUTDOOR取材 穴吹川撮影ロケハン記(1997年11月)
何度も吉野川を訪れている野田さん。今回は山と渓谷社の月誌『アウトドア』の表紙の撮影(11月19〜20日) である。さらに22日に徳島の出版社の取材があり、23日は吉野川シンポジウム実行委員会のイベント「吉野川を食べる」と多忙である。

藤田順三アウトドア編集長との事前打合せでは、2〜3月頃の表紙になるので、のほほん春の日だまり、という感じで、吉野川の風物詩の潜水橋、竹林を背景にできればとのこと。ロケ候補地を挙げると、藤田さんは穴吹川に興味をもったよう。吉野川本川で撮影してみてはとも思ったのだが…。

朝9時にプリンスホテルで落ち合う。野田さん、カメラマンの渡辺正和さん、野田さんのマネージャ竹内さんと朝食を兼ねて打合せ。建設省の吉野川流域地図(みんなこれに興味を示したので、徳島工事事務所に立ち寄って資料をもらっていくことになった)を見ながら説明をする。結局、第十の堰を訪れ、穴吹川へ向かう途中で適当に潜水橋、竹林を下見しようということになった。

建設省徳島工事事務所、野田氏訪問する!?

何の事前連絡もなし。「野田知佑氏、突然現る」の一報に工事事務所は蜂の巣をつついたような大騒ぎ。実務をとりしきっているMo開発調査課長が野田さんと当たり障りのない会話をしているうちに、本庁と急きょ連絡を取りながら対応を慎重に協議するMt副所長。いつのまに嗅ぎつけたか、朝日と読売が駆けつけ、ほぼ同時に四国放送のフォーカス徳島取材班も。地元の雄徳島新聞の県政記者は「とりあえず行ってこい」の報道部デスク(少し腰が重たくありませんか)の指示で直行している模様。だれかが県政記者クラブに連絡を入れたものと想像される。毎日もいる。大会議室では記者会見の用意が整った。

野田さん、つかつかと庁舎に入り、おもむろに第一声。「吉野川の地図、くれませんか」…。

一同ズッコケのオチに至るまでのシナリオを瞬時にシュミレーションしたぼくであったが、工事事務所に着いた野田さん。長旅の疲れか、車内でうとうとされているではないか(車はマネージャの竹内さんが運転している。鹿児島から高速を乗り継ぎ、11時間かかったそうな。お疲れさ〜ん)。そこで藤田編集長とぼくが第十堰資料閲覧室に入り、記帳した後、資料をもらって車に戻った。

第十の堰〜さらさらの砂物語

つい最近(11月9日だったと思うが)第十の堰を訪れた時、子どもが十人ばかり北岸の溜まりで真っ暗になるまで泳いでいた。四国は10月ぐらいまでは海や川で泳げるが(四国はぬくうてええでよ)今は11月である。子どもたちの目当ては1メートルぐらいの巨大魚。これを追いかけているのだ。

徳島新聞の投書欄では、小学生の女の子が「サメが泳いでいるのかとびっくりした」とか、サラリーマンが「ここはアマゾンか!」などとその感想を寄せている。大物が背びれを出して浅瀬を泳いでいる姿を見ると体がうずくのはヒトの本能なのだろう。またある人は、堰下流の川底の美しさに触れている。少し長いがいい文章なので(ぼくが書くともっとうまく書けるんだが…)著者に無断で引用する。
 澄んだ水、沈んだ流木、陽光が差し込める水底は、さしずめ珊瑚礁のよう。あまりの美しさに居合わせた人は声が出なかった。幸運にも第十堰の潜水に同行させてもらった一日である。
 時は大潮の干潮の時刻。船は堰本体に沿って進む。ところが不思議な現象に気づいた。堰直下の川面では、水割りウィスキーのごとく水がゆらめいている。この現象はどこでも見られるが、魚道のない南岸の方が見やすい。一方北岸は魚の宝庫である。1メートルもあるコイが岸辺近くを悠々と泳いでいる。南岸は海水が入ってくるが、北岸は引き潮時にはほとんど真水となる。
 夏に訪れた時も水底の美しさに驚いたが、水が澄んだ今の時期は息をのむほどである。そして堰直下の苔のついていないさらさらの砂…それは天からこぼれた銀の砂のよう。早明浦ダム下流でこれほど美しい川底を知らない。堰を通過する澄んだ水が運んでくるのかもしれない。
 徳島市からほんの半時間ばかり。引き潮を選んで、第十の堰下流の水際を一度散策されてみては・・。この感動は体験してみなければわからない。


北岸に着いた一行が例の溜まりに近づくと、いたいた。巨大魚の死体を見た野田さんは「ソウギョでしょう」。そう言われれば、ニゴイはもっとキツネ顔ジェット機ソース味である。それからするとこの魚はタヌキ顔飛行船しょうゆ味の風体であった。

このところ、堰にはいろんな人が訪れる。カップルが手をつないで渡っているのをよく見かける。誰が言いだしたか、この堰を渡ればふたりの愛が深まる、との口コミが拡がった。そのココロは「大事YOU」だからだそうである。特に休日は若いふたりのロマンスが咲き乱れる。まだお天道さんは高いのだが、「世界はわたしたちのものよモード」に入ったふたりが歩くと、やわらかな斜めの残照がふたりを包み込み、川面はさざめきを止め、影絵のように浮かび上がり、ぼくは見とれる。気がつくとぼくとあの娘だけが堰の上にいた…。いい絵だ。

水面から堰を眺める「大事YOU」エコツアー、湧き水でつくった「深まれ愛」饅頭、「ヴァージンロードは堰の上」をうたい文句にマリッジ・プロデュース会社「10th LOVE」(10 番目の愛とは困ったもの) などと商売を始める人はいないかな。

学島の潜水橋

昨年は潜水橋の転落事故が相次いだ。しかもたいていが地元の人であり、昼間であったりする。特に高瀬潜水橋がそうだった。そのため、この橋は「魔の橋」ではないか、可動堰建設に怒っているもののけカッパ姫の仕業ではないかと恐れる人も出てきた。「安全な橋にしてくれ」との人々の合唱を受けて、行政は両横に高さ50センチのガードを設置した。吉野川の潜水橋はすべてこの工事に着手し、終わったところが大半だ。もともと洪水のせき上げを最小にし、流されないために水没する設計の橋である。水の抵抗が増えたので流出する心配も出てきた。

かつては三千五百人が住んだ善入寺島に渡った。現在では田畑として利用されている遊水地である。北岸の分派流にかかる潜水橋で「こぶな釣りしかの川」的な風景があった。けれどもここの景観は編集長の心をとらえなかった。写真は引き算であるが、うまく切り取った箱庭から、まわりの景観を連想させるのが日本の風景写真である。ここはそれも無理だった。

穴吹川〜渡辺さん絶好調

建設省の発表では、今年も四国一の清流となった。もっともBOD(生物化学的酸素要求量)値のわずかな差は当てにならないし、川の汚れのすべてを表しているわけでもない。川に入ってみれば、同じBODでも身体に感じるぬめりが違うことは以前から気づいていた。人間の五感は測定器が感知しないわずかな違いを感じているのだろう。けれどもこの日の穴吹川は確かに美しかった。9月の大型台風が茶色の苔を洗い流してしまったからか、深い淵でも水底に手が届くような気がした。

穴吹川の口山の潜水橋は絵になる。車が通れるかどうかの細い橋だが、上流を望めば竹林が水衝部にあり、なかなかいい。カメラマンの渡辺さんは、スキー写真の第一人者である。心配された曇り空も午後から陽射しがこぼれるようになり、それとともに撮影中の渡辺さんの顔からも笑みがこぼれた。本人にしかわからない感興の時が訪れているようだった。一緒にシャッターを切っていたぼくにもその気持ちは伝わってきた。被写体と無心に向かい合い、突然のシャッター音ではっと我に帰る…そんな時の写真はいい。

撮影後、渡辺さんの大切な一枚を見せていただいた。それは、野田さんたちと奄美大島を訪れたときのこと。早朝誰もいない渚をガクとふたりで散歩する野田さんが砂浜に残した足跡の写真である。画面からえも言われぬ魂の遊びが伝わってきた。素顔の野田さんがちらりと見えたような気がした。と同時にその瞬間に心を預けることができた渡辺さんの幸福感がうらやましかった。この一枚だけで渡辺さんが一流の写真家であることが実証される。

渡辺さんは二日後に東京で個展「シュプール」を開かれる。スキーは渡辺さんの生涯をかけたテーマである。まもなく同名の写真集が発売されるが、長野オリンピックの公式写真班にも選ばれた渡辺さんのいっそうの活躍が期待される。

・渡辺正和写真展「シュプール」 1997/11/22 〜12/24
 「ギャラリー東京映像」(港区麻布十番 03-5545-7659)
・渡辺正和写真集「シュプール」(山と渓谷社、11/21 発売)

釣り糸を垂れるポーズの野田さん。その毛針にハイ(オイカワ)がかかる一幕もあった。ルアー竿も握ったが、やはり野田さんの道具ではない。渡辺さんは「野田さんは撮影中につくりものでない自然な姿に戻る瞬間がある」という。それは同感だった。野田さんのいる河原だけが陽光を受けて白く光っている。背景に適度に光がまわり、望遠で落とせば文字が映えるだろう。

野田さんも気持ちよさそうで、シャッター音がせせらぎに同調し、コマが順調に進む。明日の予備日はもう要らない、との思いが誰の胸にも広がった。渡辺さんが手で大きな○を作って対岸の藤田さんに合図を送った。やった。撮影終了だ。

穴吹の町から本流を少し遡って竹林の美しい角の浦潜水橋辺りで北岸に渡り、高速で帰ることにしたが、お疲れの人が多く美馬中央橋のひとつ上流の橋をわたって帰路についた。

野田さん、アイスクリームを食べる

「おいしいアイスクリーム店があります。寄ってみますか?」。竹内さんの目がきらりっと光ったような気がした。それを編集長は見逃さなかった。長時間運転を続けている彼女へのねぎらいの気持ちもあったのだろう。「行きましょう」。

アイスクリーム店とは、阿波町の井原まゆみさんがこの4月に開店した「ドルチェ」という店である。まちづくりに情熱を傾けてきた井原さんが役場を退職後、自らの夢を託した店で、生態系への配慮、地場産業の振興、健康と快適空間に留意したコンセプトである。

石積みの敷地は生き物のためであり、これは近自然工法の第一人者である高知の福留さんの助言もあるという。敷地にコンクリートはなく土のまま。地中には水の浄化、マイナスイオンの供給のため、吉野川の竹を自ら焼いた竹炭が埋められている。建物は地場の上勝杉を使用。雨水をためるタンクは十勝ワインの樽。材料はすべて地元(裏の畑)でとれた新鮮な野菜を用い、添加物を加えず、その日のうちに売り切る。ぼくはバニラとトマトが好きだ。

アイスクリームを口に運んでいた一同が薪ストーブに目を止めた。配管が天井に接触していて火事の可能性があると藤田さん、野田さんが指摘。行動力のある井原さんのことだから、今晩中にも対策を取るだろう。
 「こんなうまいアイスクリームは始めてだよ」と、野田さんの一言。野田さんは何を食べても、どこへ行ってもそう言う。ぼくが拙く編集した「川と日本」(昨年徳島で開かれた川をめぐる全国大会の報告書)にしても、いい本だと言っていただいてうれしかった。

エッセイや講演の野田さんはまた別のイメージを持っている。ところが素顔の野田知佑は、繊細な感性、さり気ない気配り、そして鷹揚に構えたゆとりが接する者に安心感を与える。それでいて自らの存在にこだわらないことが、人と比べることでしか自分を位置づけられない人から見れば、ある種の絶対感を持った存在に見える。

広辞苑によれば、常識とは「普通、一般人が持っているべき標準知力」とある。それに対して良識とは「社会人としての健全な判断力」とある。常識=良識というまっとうな感覚を持った普通の人が英雄になってしまうこの国はおかしい。考えてみれば、野田さんは当然至極に感じたことを直截に言っているだけだ。川は誰のものなんだ。自分たちのことは自分たちで決めよう…。野田さんの心の中にある熱い思い。その炎は一人ひとりの胸にあるはず。それを絶やしてはならない。

まず、始めよう。吉野川から。そしていつの日か、日本の川で心ゆくまでのんびりと川遊びができる日がくればいいな、と思わずに入られない。

アイスクリームを何十年も食べたことのない野田さんがぽつりと言った。
「またあのアイスクリーム、食いに行こう」

ハゼ釣り

「3日前に二十センチ級が釣れました。吉野川のハゼはアメ色をしていておいしいですよ」
予備日に仕事が終わったアウトドア編集部ご一行様は、翌日は吉野川でハゼ釣りに興じることになった。田宮水門で糸を垂れるがまったくアタリなし。そこで吉野川大橋の北岸上流にある水門へ場所を移動。そこへ吉野川シンポジウム実行委員会の姫野さんが吉野川の伏流水でつくる地酒「芳水」を差し入れ。野田さんと話が弾む。事務所の吉崎さん(ハゼ釣り名人)も来てぼくならもっと釣れると豪語。土曜日、お願いしますよ。

ここでマハゼを一匹釣り上げたのは竹内嬢(唯一のマハゼ)。やや小さいが透き通るような色をしている。ここで吉野川河口干潟の幻の魚といわれたアオギス。

再び第十堰に

潮は高いのだが潮回りが悪いのか釣れない。そこで場所を第十堰に移した。ここで小さなドンコがたくさん釣れた。これは淡水性のハゼである。

さあ、これから料理をしようという段になって、岩本さんが現れた。岩本さんは徳島市から南へ半時間ばかり入った佐那河内村の静かな谷沿いで「虎屋 壺中庵」という料亭を営まれている。今度のイベント「吉野川を食べる」では、吉野川のハゼやアオノリ、シジミ、シジミなどを持ち寄って「あやしい探検隊」のリンさんと料理の宴を繰り広げていただく、と何ともぜいたくな催しである。その岩本さんが下見に来られたのだ。

さっそく藤田編集長が料理指南を出迎えててきぱきと調理する。岩本さんも包丁をさばきながら、問わず語りに料理法をつぶやいている。化学調味料の味を一切否定するこだわりの料理人であるが、うんちくを傾けるよりも自らの失敗談を語り、キノコ採りに山中を彷徨う岩本さんは職人に徹した心意気がある。

野田さんも岩本さんもそうだが、「こだわる」という形容詞を厳密に使っている。こだわるのは目的あってのことで手段ではない。だからこだわることにこだわらない。それが「こだわる」であると身をもって示しているように思える。

岩本さんは渓流釣り、特にテンカラの名人である。ぼくはまだテンカラで掛けたことがない。毛針を巻くことから始めてみないかと誘われている。今回のイベントのもうひとりのゲスト、熊谷栄三郎さんとも親しい。直接お会いしたことはないが、熊谷さんの著書「山釣りのロンド」(山と渓谷社)はいい本である。滋賀県は知られざる渓流の宝庫らしいが、京都新聞の論説委員として多忙な熊谷さんの話が聞けることは楽しみである。早く来年の春が来ないかな。

夕闇迫る頃、流木を集めた焚き火は燃え盛り、芳水を呑りながら気持ちのよい時間が過ぎていく。竹内さんの頬が紅潮している。吉野川のハゼの味はどうでしたか。渡辺さんは明日から写真展でとんぼ返りしなければならない。成功を信じて疑わない。仕事とはいえ、この二日間お世話になった藤田編集長。裏方に徹することで、まわりの人間がどれだけ生き生きしてくるかを身体で感じてきた人だろう。『アウトドア』が支持されているのも当然である。二日間撮影に同行した人間として、野田さんをはじめ、みなさんの心意気を伝えるためにまわり道をしながら書いてみた。明日は冬型の気圧配置で冷え込むらしい。

→このときの焚き火談義、見てみたいと思いませんか?

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