Webデザインその1(2000年9月)


 かつて、ある自動車会社のWebでは映像が動きました。アメリカでは、クリックすると牛が鳴くことで人気を博したサイトもあったとか。こうしてアクセス数は増えたものの、見る人の興味はその会社や製品に注がれることはありませんでした。凝ったつくりの弊害として表示に時間がかかり過ぎたことも原因です。しかし広帯域通信網が整備されれば阻害要因にはならないので、ほんとうのところは生活者不在であったからでしょう。Webは、好奇心の対象であって商売にはならないと言われた時期もありました。

 新技術の導入期には技術のおもしろさに目が行くのは当然です。技術の限界を探し出して「これは使いものにならない」と主張する人も現れます。例えばオートフォーカスカメラでは、ピントがはずれる動体予測が指弾されました。しかし、今日ではニコンの最高級F5やコンタックスまでもがAFであり、人間の知覚反応を越えた動体撮影、盲目の写真家の存在もAFなしには考えられません。ヒトにとって表現の幅が拡がったのです。

 技術(ハード)の新しさから関心が薄れる頃、 「これを使って何ができる」に思いを寄せる人が増え、提供するソフト、つまり生活提案を考えるようになります。Webがこの段階に達したのが1999年頃ではないでしょうか。

 普通の人たちが声を上げて非公式のオンラインコミュニティをあちこちで作り上げていきました。妊娠した感想を女性専用のメーリングリストに投げかけたことから「私も!」と投稿者が声を上げ、とうとうプレママ同士の情報交換の場となるサイトを構築し、Webコンサルタントになった女性もいました。Webの持つ可能性(その裏返しとしての怖さ)が示されたのです。それは「生活者主権」の時代の幕開けでした。

 Webが生活の実用道具となったとき、見せるデザインから「ニーズに応える」デザインとなりました。オンラインショッピングモールの「楽天」には数え切れないショップがエントリーしていますが、コンスタントに売上上位にランクされている「ワイナリー和泉屋」は、店長の思い入れたっぷりの文字情報を散りばめていました。洗練にはほど遠いのですが、店長の熱気が伝わってきました。その成功を見て、Webにデザインは不要と言う人まで現れました。確かに技術者やデザイナーの自己満足サイトはいくらもありました。しかし、デザイン不要論も同じように自己満足サイトではないでしょうか。例のワイナリー和泉屋も今ではデザインを重視してきているようです。

 直感的にわかる、共感できる!

 やはりデザインは重要です。Webにより多くの人が参加するようになった今、老若男女を問わず誰もが直感的に使えるデザインが必要です。テキストの文言の吟味も大切です。これは対面販売のセールストークに相当します(目の前の相手の反応がわからないゆえにいっそう気を遣う必要があります)。Webデザイナーは、グラフィカルなセンスだけではなく、色彩、季節や風土はもちろん、言葉がヒトに与える受容性の変化、産業心理学、恋愛心理学(商品を買う心理にもっとも近いのでは?)を熟知しておく必要があるのです。