「棚田と木の葉が教えてくれるもの」

 上勝町で環境と地域づくりを考えるフォーラムがあってパネリストにお招きいただいた。上勝町は四国一人口の少ない町でありながら、官民を挙げてのまちおこしの話題にこと欠かず、全国から視察が訪れる活発な自治体である。
 会席料理のつまものとして出荷されている「彩り」は2億円弱を売り上げる。その素材はもともと木の葉である。そこに至るまでには、市場を開拓する試行錯誤に加えて、差別化のための品質管理と受発注を円滑につなぐシステムの構築など努力がある。

 上勝町棚田を考える会では、自分たちを「棚田で耕作する百姓」と位置づけて、地道に情報発信を行った結果、樫原地区の狭い坂道には棚田を撮影するカメラマンの行列ができるほどになつた。もうひとつ上流の市宇集落では、ぼくが事務局をしている勝浦川流域ネットワークと共催で、都市の人たちに棚田での暮らしを体感していただこうと、「棚田の学校」を開催し3年目に入った。まず人が来なければ何も始まらないのだ。

 マーケティング面では中山間地域の鏡ともいえる上勝町であるが、そこには自分たちの住んでいる地域の良さを発見し、それを下流(都市部)の住民たちに感じてほしいと立ち上がった人たちの誇りが伝わってくる。このことから学んだ教訓は、自分の良さを自分で認めない限り発展はないこと。そしてそれをよその地域の人たちが訪問してすばらしいと思ってくれることがさらに動機付けとなり、ほんものに育っていくことである。

 つまり過疎の本質は金銭や物質の問題だけではなく、すばらしい宝物に自ら気付き、そこで暮らすことがさまざまな恩恵に下流にもたらすことを、地元(上流)と訪問者(下流)が知ること。暮らしの知恵を持った熟年者から子どもたちへの継承など、まさに交流を通じた発展、交流を通じた環境保全が見えてくる。

 こうして都市と山村の双方の立場に身体を預けてみると、お金と労力(高齢化)に集約されがちな中山間地域の課題であるが、別の側面が見えてくる。お金といえば、森林交付税や炭素税、条件不利な場所での耕作農家に対する所得補償などが施策として挙げられるが、それで山村が蘇るだろうか? もはや業として成り立たないといわれる林業を補助するために、休日に都市からのボランティアが駆けつけて森林の手入れを行ってもそれが役に立っているだろうか?

 山村の存在は無形の財産を下流の都市にもたらしている。山の保水力を健全に保つことで下流の洪水を防ぎ、かつ利水にも恵みをもたらす。それを上勝町の谷崎勝祥さんは「棚田のみみずが都市を潤している」と話す。さらに森林は酸素を供給し、棚田や渓流は都市住民の癒しの場となっている。こうした恩恵に対し、都市住民は何を感じ取り、何をすべきかを考えるところから出発すべきではないだろうか?

 そのためには千人を集めて学者の講演を聞くよりも、十数人を相手に密度の濃いコミュニケーション(里山文化のエコツーリズム)を体感してもらうことから始めてみた。

 棚田の学校は3年目となった。今年から大人も子どもも遊べる里山(名付けて「上勝ダッシュ村」)をつくることを始めた。都市と山村の関係を見つめることから見えてくるもの---。みなさんの感性と実践を求めています。

(棚田の学校や里山の学校は参加者募集中。詳しくはこちらから)。


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