選ばれるために〜パーミション・マーケティングその1(2000年6月)


 最近どちらを向いても「パーミション・マーケティング」という言葉が目に付く。特にネット上では常識となりつつある概念である。この理論は、学者が理論付けしたものというよりも、マーケティングにおける生活者の反応、特に潜在的な欲求やリアクションを観察することによって経験的に得られるもので、ぼく自身の商売経験、サラリーマン時代の営業経験からも漠然と感じていたものであった。一言でいえば、マーケティングにおける主導権が発信者から受信者に移ったこと、そして受信者の自発性を引き出すような双方向のやりとりを特定の個人と行うといった感じである。これはその特性からも、Webがめざすone to one マーケティングと類似性が高い。

 今回は、候補者を選んでもらう「選挙」というマーケティング活動を通じてこの考え方を検証していきたい。

 従来の選挙では、公示前に後援会名簿づくりとあいさつまわり。公示後では選挙カーによる連呼、電話による呼びかけなどが中心であった。これはどこの陣営も行っているため新鮮味がないが、従来一定の効果(行動と成果に相関関係)があるといわれて実施されてきたものである。

 確かに自分が入れたい候補者、政党が早い時期に決まっている血縁地縁型選挙ならある程度有効であろう。しかし現在のように無党派層が大半を占め、候補者が直前まで決まらない情勢で、しかもWebにより候補者の政策が知りたい時にわかる時代に、従来型の選挙の効果が薄れつつあることは誰しも推測できる。それどころか、パーミション・マーケティングに照らして考えれば、従来の選挙戦は実際の投票行動に結びつけるために却ってマイナスとなっている可能性さえあるのだ。

 その一例は、電話による無差別呼びかけである。電話を取らせるというのは、忙しい生活時間に土足で踏み込んで一方的なお願いをする行為である。

 無党派層と呼ばれる世代は20〜40代の比率が高い。しかもこの世代は、将来の自然環境、福祉、年金などでそれ以前の世代から「負の遺産」を受け継ぐ可能性が高いにもかかわらず、候補者の訴える政策の蚊帳の外に置かれている世代である。投票所に足を運びやすい年代層に政策を訴えるほうが票を確実にするとの読みがあるからであろう。30代というのは、小さな子どもが1〜2人いる家庭であり、お金と時間が相対的に厳しい条件にあり、しかも働き手が現場の中枢としての責任を背負わされている立場である。今後はこの層を取り込んでいかないと、与野党とも選挙戦が読めなくなってくる。これは選挙というより、政治の責任でもある。

 大音量の選挙カーにより子どもが泣き出す、忙しい家事の邪魔をされることが30代の家庭にとって受け容れられることなのか? パーミション・マーケティングでは自発的に手を挙げてもらわなければならないのだが、拒否されてしまっては元も子もない(パミマ的に考えれば、黄色いプラカードを持った市民運動の成功が説明できる)。いったん認知してもらい、候補者と末永い関係を築いていくプロセスがパーミション・マーケティングの核心であるが、金をばらまく、仕事をやるといった利権、締め付けによって行われてきた従来の関係づくりを無党派層はうさんくさい目で見ており、選挙から足が遠のく一因となっている。もちろんそれは選挙戦だけの問題ではないのだが、あえてマーケティング的な側面に絞って考えてみたい。(次回に続く)