「いまだから農産物の加工所を〜事業を手がけて人を育てる〜」



 ときどき取り出して見る映像がある。数年前に放映されたNHKドキュメンタリー「生命〜40億年はるかな旅」と「地球大進化」である。
 前者は、気が遠くなるような悠久の時間のなかで生命進化をたどりつつ、未来の人類のありかたを見つめようとする企画で、生命がどのように段階を上がったか、どのように必要な能力を獲得していのち=遺伝子のリレーをつないだかという生命の主体性、連続性に焦点が当てられていたように思う。
 後者は、生命の進化に影響を与えた地球の環境変化を取り上げ、生命がそれをどのように受け止め克服していったかというもの。地球上の生命は幾たびか絶滅の試練があり、それを乗り越えた種が次の時代に爆発的に進化の速度を早めたとされる。
 あたかも地球が生命体の意思を持って生命に過酷な試練を課し、それが高度な生命の進化を促したとすれば、地球は厳父であり慈父のような存在である―。このような悠久の物語に浸っていると、目の前の課題をしばし忘れて魂が空高く遊ぶ心地がする。
 
 百年に一度の経済危機という言葉が社会に広がっている。確かに生活者が買ってもいいと思える価格=値頃感は、昨年末からあらゆる業種で下がっているようだ。
 そんななかで日本を代表する製造業が早々と派遣労働者を解雇した。潤沢なキャッシュフローを持ち、社内に優秀な人材を抱えながら、一部の派遣労働者の人が就労存続する機会さえ提供できないとは。
 自社の生き残りのためと考えて実行したのだろうが、最終製品を買うのは生活者。テレビの街頭インタビューで「欲しいんですけど、不況といわれているので節約しなくちゃと思って我慢します」などのコメントがあった。生活者に不安を持たせてしまっては製品(クルマなど)は売れなくなる。つまり自分で自分の首を絞めている。

 徳島市内のある製造業の社長と経営計画について協議を進めている。不況による売上ダウンは織り込み済み。こんな時代だから攻めることで収益構造を転換することが不可欠と判断。自社の強み(コアスキル)と一般的に確立された技術を組み合わせて新たな強みを構築し、次の一歩を歩もうとされている。
 社長いわく「いい人材を採るチャンスなので無理をしてでも採りたい」「社屋に投資してもカネは生まない。カネを生むのはヒト。新たな事業への挑戦を通じてヒトは育つ」。地域の中小企業でも志は高く思いは深い。日本を代表する大企業には多くの人々が共感できる哲学を持ってもらいたい。

 公共事業に依存してきた山間部の建設業が厳しい。これからどんな時代になるのかを見据え、身の丈でできることを積み重ね、少しずつ経営資源の軸足を移していくしかない(でなければ余力を残して会社を整理するか…)。
 産業として日本が真剣に取り組まなければならないのは農業だろう。地球温暖化が加速すれば世界的にさらなる異常気象に見舞われるかもしれない。きれいな洋服や高級車は我慢できても食べるものはそうはいかない。そして生活者は、一部の外国産の食品への不信感を契機に安心安全への関心が高まっている。だから地域で自給率を高めておきたい。

 とはいえ、農業に夢を抱き会社を辞めて田畑を耕したところで安定収入は得られない。ブランド化された品目を栽培している農家のなかにはサラリーマンがうらやむような高所得もあるらしいが、それとてリスクを甘受して投資機会を見極めつつ地道に土作りなどの栽培管理を続けてきたからであって、儲かる品種の種苗を畑にまけば一朝一夕に高品質の作物が収穫できるものではない。

 農業の流通構造では消費者に近いところにいるスーパーなどが主導権を握っている。だから、農家が農産物をそのまま出荷しても儲からないことが多い。農林統計を繙いてみると、「生産」「加工」「流通」の付加価値の割合はおおよそ1対2対5となっている。相場が高い安いと一喜一憂しているのではなく、「加工」や「流通」まで手がけたとき、農業は事業として楽しみが出てくる。

 徳島県の木、ヤマモモは収穫時期が短い。ヤマモモは無農薬で栽培でき、その甘酸っぱい果実はどこかなつかしく、深い深紅の色彩が山の宝石のようである。けれど農家にとっては枝が折れる恐怖を味わいながら高所での摘果作業を行っている。
 このような重労働のヤマモモだが、苗を植えてから実がなるまでには年月を要する。製造業に例えれば、機械や材料を買って現金化するまでの時間が長いのと同じ。しかも収穫は一年のうち短い期間だけ(お金になるのもその時期だけ)。作柄は天候の影響を受け、保存はきかず、等級によって価格はランクづけされ、価格は自分で決められない。このように「徳島県の木」といえども農家の不断の努力によって食卓に上がっていることを忘れてはならない。

 生産農家の課題は、早く換金できること、規格外作物が活用できること、安定した現金収入が一年中確保できること、保存が可能なこと、価格は自分で設定可能なことなどである。そうなると加工、あるいは流通の段階に足を踏み入れることになるだろう。 

 幸いにもヤマモモは小松島西高校の生徒が中心となり、県内企業の協力を得て「雪花菜アイス」の材料などに活かされ、地域資源の活用例として知られるようになった。「雪花菜アイス」はほかにも「なると金時」「すだち」など県内産品を原材料として使っている。 「雪花菜アイス」は平成20年度の「阿波の逸品」(徳島県主宰)の審査会に出品され、多くの審査員がおいしさを激賞した。なかでも「ヤマモモ」の評判が良かったのである(個人的には、世界的に有名なブランドのアイスクリームよりもおいしいと思う)。

 農業がめざすのは、栽培から販売までを一貫したコンセプトで括ることなのだが、こうしたことをめざす農業法人はすでにいくつかある。ただし投資規模が大きくノウハウも必要で敷居は高い。
 販売の目処やマーケティング戦略を立てないまま国等の助成金を得て業界団体等が立派な製造設備を設置し、売れないまま負債を抱えている事例が各地に散見されるようである。
 事業には身の丈に合った始め方がある。どんな顧客層を想定し、その人たちにどのような価値を提供するのか、そしてそれをどう伝えるのかなどマーケティングを吟味し、予測キャッシュフローと借入金返済額や次なる設備投資の予定等と勘案する。綿密な考察に基づき大胆な行動により船出したら、売上を増やしながら人材を育てて軌道に乗せなければならない。事業を手がけて人材を育てる―。そこに中小企業でもっとも大切な経営ノウハウがある。 

 地域の農家の悩みを解決しながら、新たなビジネス機会を見極めると、比較的小さな規模で農産物の受託加工を行う方法が浮かび上がる。「身の丈」「現実性」「差別化」をキーワードに、どのように加工所を立ち上げ、事業として発展させるのか考えてみたい。

 小さな加工所が地域の拠点として成立すれば、農家の所得向上はもちろん新たな雇用機会にもつながる。それぞれの加工所が得意な加工技術を持ち寄って分散化、役割分担化、ネットワーク化できれば付加価値はさらに大きくなる。それらを通じて都市と山村の経済循環を構築できれば、地域の人材に再投資できるのではないか。
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