「押し寄せる感情の波、その瞬間吸い込まれる」

 不況が長引くとコストダウンが手っ取り早い、ということで、仕入叩き、リストラ、調達はアジアで…とどこもかしこもデフレ圧力が高まっている。政府が行う構造改革には理念が見えず、即席の成果を強調するパフォーマンスだけ。景気回復にはカンフル剤が必要ということで抵抗勢力や既得権者が雄叫びを上げている。どちらにしても、大切なものを見失っているいう思いが拭えない。

 地球に住んでいるのはヒトである。そのヒトが生きていくもっとも大切な営みが経済活動である。心と肉体と魂が一体となった存在がヒトであり、地球誕生後46億年の時間の流れのなかで続けられてきたいのちのリレーの継承者。さらに遡及すれば、ビッグバンに始まる150億年の宇宙開びゃくの瞬間にまでたどり着く。
 
 かつてマーケティングでもっとも重要なのは、「製品」「価格」「流通」「販促」であった。しかしそこにはヒトはいない。いたとしても消費行動を予測される顔が見えない属性に過ぎない。90年代は「顧客の声に耳を傾けよ」がスローガンであった。これはとても大切なことだ。今はそれを双方向で進めていく段階に来ている。

 コミュニケーションなき改革は成功しない。顧客心理に思いをはせないITは無意味。ヒトを感動させない商品やサービス、営業活動を続ける限り、デフレも不況も脱出することはない。「感動」という心の動きに思いをはせることは、数字偏重の経済活動こそがもっとも苦手としている領域である。ならば、なぜもっと「生きる」ということを究めようとしないのか。

 平井定義のマーケティングでは、次のようなプロセスになる。
◇ 相手に自分を注目してもらうにはどんな方法がある?
◇ その相手に話しかけたい、接触したいと思わせるにはどんな方法がある?
◇ 接触してきた相手をいい意味で裏切る(=感動)にはどうすればいい?
◇ 頼んでよかったと思わせる要素は何?
◇ さらにそれを口コミしやすくする仕掛けは?
 
 これを接触前、接客、アフタフォローとに分けて自分なりに落としこんでみる。落とし込むとは「すること」「しないこと」をはっきりさせることである。こうして「不満である」→「不満でない」→「満足」→「感動」へ向けて階段を上がっていくことになる。

 巨大官僚機構や老舗企業が信頼を失う事件が続出した。企業の時代から家業の時代へと転換したのだという人もいるが、組織の大小が問題ではない。
 ヒトを感動させるには、自分が感動していたい。感動とは、無目的で無垢で力強い相手の行為に共感したからである。しかもそれはヒト同士では相互作用となって、感動させるほうも感動するほうも光の速度で感情の波がひたひたと押し寄せる。そこに得も言われぬ瞬間が訪れることを共感という。そのとき、無限の情報が相互にやりとりされる。

 すべての経営資源は、感動を分かち合うために使ってみる。それしかないのでは?

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