エアコンから「エコ」を考えるひと夏の物語


 小麦色の娘が躍動する時、決まって美しく見えるのは、見る人の視線が低い位置にある時だ。
そうして彼女たちを見上げるようにして、ポートレートの背景を空に抜いてしまう。
真紅のサルスベリの花、黄色いマツヨイグサのつぼみ、オニユリのみかん色、トロピカル・ドリンクのライトブルー…。青空を背景に浮かびあがるとき、夏の空という主人公にみつめられて色彩はその時、物体からこぼれ落ちたようにみえる。
汗が出る。
(暑い…)
空を仰ぐだろう。上向きの視線は、人間が夏と交わした契約である。

(暑い夏も視点を変えれば楽しめるかも。「空と海」から引用)

 暑かった今年の夏も終わろうとしている。執筆時点でもう暑さの峠は越えただろう。今年は、エアコンの使用(仕事と私生活を含めて)10日以内と目標を立て、自らのWebサイトにも宣言した。しかしまだ1秒たりとて稼働させていない。

 事務所は街なかにあって窓を開けるわけにはいかない。締め切ると、腕から沸き上がる汗がキーボードにしたたり落ちる。おっと、いけない。ハンカチでふきとる。だからオフィスではハンカチは欠かせない。今年は涼しげな京扇子を買った。大柄なトンボが描かれたセンスのいい扇子である。パソコン相手に扇子を持って、格子模様のシャツを着て、ハンカチオヤジとなって熱闘する。テレビを付ければ甲子園もハンカチ熱投である。

 そのパソコンは温度が上昇してファンが鳴門の渦潮のように高回転でうなりをあげる。ハードディスクがやられるかもしれない。それでも(室戸阿南海岸に打ち寄せる波のように)じわぁっとにじむ汗を見ていると、呼吸する生命の躍動を感じる。コスメティックにいえば「潤っている」感じ。哲学的にいえば、生きている実感に浸りながら、夏の暑さを楽しむ。阿波踊りをやっている人、熱いですか?(熱くないですよね)

 食事もなるべく熱いモノを食べる。汗が噴き出す音はしないからかもしれないが、汗が出る瞬間は予測できない。いつのまにか出ているようで、体感的な暑さと比例しているわけでもなさそうである。食後に顔を洗って気分を引き締めると、(穴吹川や海部川のさわやかさが戻ってきて)「さあやるぞ」という気になる。それを繰り返していると、私生活でもエアコンをまったく使わなくなった(暑さに慣れるとビールもほとんど飲まなくなった。飲むとかえって不快になるので)。ビールを飲むのならノンアルコールビール。銘柄を選べば量産ビールよりもうまい。

 外出すると役所以外はどこへ行ってもエアコンが効き過ぎていてよくない。ついついよそのエアコンのスイッチや設定温度をいじって嫌われる。外出時に陽射しで腕が灼けると熱い(痛い)ので、長袖を着る。クールビズというと半袖がほとんどだが、長袖のクールビズがかえって実用的ではないか。

 夏に活躍するのは扇風機だ(事務所ではそれさえ使っていないけれど)。ところが大手家電メーカーは相次いで扇風機から撤退している。マイナスイオンなどのような信憑性の薄い付加価値よりも、静かで耐久性のあるモーター、プラスチックではなく金属でしっかりとつくられた本体、実用的でありながらエレガントなデザイン、静けさと快適さを追求する羽根の素材や形状など、本質的な価値の追求でまだまだやり残していることがあるのではないか? できれば機械の組み立てとアッセンブルの微調整は日本の職人が行い、署名をして出荷する。技術者の誇りが込められた扇風機なので半世紀以上は使えそうだ。

 さらに二次的、三次的な付加価値として、(これはやや邪道かもしれないが)内蔵メモリとスタンドの筒を利用した背面の無指向性スピーカーから、風鈴の音、せみしぐれ、せせらぎ、虫の声、波の音などが聞こえてきたら楽しいかもしれない。それは、ホンモノの自然を見に行こう、ホンモノはやっぱりいいんだ、の気持ちを高めてくれるかもしれない。こうした扇風機があれば、3万円でも5万円でも買う人はいると思うのだけれど。

 今年の夏、北極の氷の面積が観測史上最小になっているとの報道があった。国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の予測では,この状態になるのが2040〜50年頃とされていたが、大幅に前倒しで溶けていることが判明した。氷の面積が減れば太陽光の反射が減少し、加速度的に水温が上がる怖れがある。もう遅いかもしれないとの思われるけれど、だからといって生きることの妥協はしたくない。

 もはや企業の経営理念や目標に「地球温暖化防止に貢献する」条項を加える必要があるのではないか。そのことは企業におけるコストダウンやコスト意識、社会との協調性などのプラス面をもたらす。企業ではないが、上板町役場のゴーヤー日除けのようなユニークな活動には広報効果(+ゴーヤーを食べて夏バテ防止という副産物)も生まれた。

 大切なのは、家庭生活における一人ひとりの心がけだが、意識の問題にどう踏みこんでいくかは難問だ。地球温暖化防止(総論)は賛成だが、自らのエアコンは止めてくれない(各論)のである。ならば、ある程度の法的な統制は必要なのではないだろうか。

 例えば、家庭でのエアコン使用量は予め決められており、その枠内で使用することになるとする。人々は、こまめに温度設定や稼働停止を行うようになるだろう。健康面で不安があり医師からの診断がある人は別枠で考えればいい。使用枠を余した家庭が、枠を使い切った家庭にエコマネーのようなしくみで環流させる方策もある。

 徳島県の条例により、○○秒を越えるアイドリングは禁止となり、違反者は罰金が課せられる、というのもあっていい。習慣になってしまえばどうってことはない。また、エコ運転セミナーを年間数百回開催するのもいい。エコドライバーの手にかかれば、特に意識せずに燃費を30〜40%改善なんてことも可能といわれている。エコ運転セミナー受講者のなかで希望のひとには教材の入ったノートパソコンとプロジェクター、講義ノートを貸しだし、職場や地域で勉強会を開催してもらってもいい。

 少し視点を変えて、暑さを楽しむ、暑さを感じさせない方策、そのことで地球温暖防止と個人生活の双方にとって生まれるメリット――そんな価値観をどのように提示していくか、これからの研究課題としたい。

 ごみ収集を行わず、各家庭がごみを持ち寄り、自らの手で34分別している上勝町をみると、「できないことはない」「ないのは熱意」「やれないのではなく、やらないだけ」とわかる。

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