明日への力 国がハンセン病の判決結果に控訴しないことになった。 世論に押されたとはいえ、小泉首相の英断である。 長年苦しんできたその葛藤が大きかったからこそ、 当たり前のことが認められた喜びをかみしめる人たち。 今夜は眠れない夜を過ごすことだろう。 過ちは誰にでもある。 大切なのは、過ちを認めること。 人間は弱い。 弱いけれど意外にも人間は精神で生きている。 その心は認められることによってのみ癒される。 国の最高機関である日本政府が過ちを認めたこと。 国民はこれによってどれだけ政府が身近に感じられるようになったことか。 この国を変えていく力は権力の締め付けではなく、共感である。 2001年春。 徳島市では、 住民投票の結果を受けて元建設省官僚の小池市長が 可動堰反対を打ち出して圧倒的な支持で再選された。 この国には既得権とそこに巣くう金権の構造が厳然と存在する。 しかもそれに刃向かえば干されてしまう。 けれど経済が悪化し、自然環境がどんどん失われ、 人々がこの国で生きることを真剣に考え始めたなら、 この国は必ず再生する。 そのためにぼくは生きている。多くの人たちと同じ思いで。 まず知ること。 これまで表に出てこなかったこと、 巧みな権力の情報操作から真実を汲み取り 一人ひとりが何ができるかを自問自答すること。 そこには、政治も行政も生活者の区別もない。 どの政党がいいかとか、どの政治家がいいかなども問題ではない。 大切なのは市民が勉強し行動するという実践を通じて、 世論に、政治に、行政に働きかけること。 そうしてはじめて特定の思想や利権団体に依存しないしくみができる。 生活者主権の国…みんな生活者であり、国が沈むことを望む人などいない。 そのためには、既得権、私利私欲を離れて行動すること。 人はそんな使命を持って生まれている。 降り積もる雪のなかで黄色いプラカードを持って 手を振りながら住民投票を呼びかけた人たち。 それも一人ひとりが主人公となって自分たちで変えていく、 時代の転換点に立って未来を俯瞰する。 それはわくわくするようなときめきでななかったか? この国を良くしようと願う人は、 自分たちができることを自問自答しよう。もしそれがわからないなら、 それを実践している人の門戸を叩こう。 何かのメッセージを示してくれるはず。 それは教義や理論ではない実践そのもの。 その人の後ろ姿は明日のあなたの後ろ姿であるはずだから。 ▲戻る |
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