独学っていいよ
ぼくは勉強が好き。学生時代も好きだけど、社会人になってからはもっと好きになった。でも大学へは行っていない。勉強は好きだけど、そもそも受験勉強をしたことがない。高校を卒業するときの成績は全校400人中380番。だけど同学年の顔と名前はほとんど合う。出席の順番も覚えている。これは自慢できるかな。

勉強が好きなことと、学校の成績は比例しないと思うようになった。退屈な物理の授業の代わりに天文学の理論書を読んだり、モノづくりの概観図を描いたり、詩と呼ぶには体裁が調っていない日本語を書き連ねたり。

これまで勉強してきたことはたくさんある。天文学、写真、オーケストラ指揮、経営、環境全般、オーディオと音楽、川について、天体物理学などそれほど専門的でない一通りの自然科学。20代ではベートーヴェンと岡本太郎に夢中になり、30代では川についてのめり込んだ。またそうした範疇に入らない「ものの見方」「判断」「ものごとの手順」「受け入れる心理学」など実践のなかで自然と身に付けてきたものもある。そんななかで小説を2作書いた。これはこの世でもっともすばらしい作品だと思う(自分の作品、ないしは自分自身をつまらないと思う人が書いた作品など読みたいと思いますか?)。嫌なことがあったとき、自分の文章を読む。究極的には自分を癒すために書いたのかもしれない。

勉強して感じる真実はひとつ。人に習うと身に付かない(のだと思う。習ったことがないからわからないが)。ぼくにとって勉強は趣味であり楽しみ。だから例えば疲れたときに英語の勉強をすると癒される。

楽しいのは、無目的だから。純粋に知識の海の波打ち際でひたひたと遊ぶ。結果として、生活の役に立っているけれど、それが目的で勉強してはいない。だから受験勉強は動機が不純で興味がまったく湧かなかった。受験してどうするの? 大学を出てどうするの?

楽しいのは、やりたいときにやるから。習い事だと強制的にその時間に拘束される。これは全然楽しくない。やりたいときに好きなことをやっているんだから、集中できるし、長い目で見ると飽きずに長年続けられる。継続は力という言葉は平凡だけど、これが実践できる人は非凡。

楽しいのは、一人でやるから。誰かとやればそこに競争が生じる。

楽しいのは、結果が出たとき、それがすべて自分の力によるものだと思えるから。もちろん人に助けてもらうことはおおいに楽しみたいもの。でも結婚式をしてもらった仲人に盆暮れのあいさつの「義務」が生じるように、師匠を持ってしまうと身軽にいられなくなる。

楽しいのは、結果が必ず出るとわかっているから。なぜなら、他人が編み出した方法はいかに理論的に破たんがなくても開発者に沿うようにできている。自分で自分に合う方法を発見していく歓びをなくしたくないし、自分で自分を成長させる歓びも失いたくない。

楽しいのは、百年続けようと思えるから。生涯をかけて取り組みたい課題が多いほど、その人は充実した人生を送っているはずだから。

ぼくと違った精神で独学を究めた友人がいる。鎌倉市在住のまさのあつこさん。次回は、まさのさんについて書いてみよう。

▲戻る